毎週土曜日、母宅に行く。
5月に母がデイサービスに行くようになってから、
私の土曜日は2倍速で時間が過ぎていくようだ。
8:40に家を出て、9:15ごろ母宅到着。
持ち物の用意、服装を整え、検温、服薬、義歯チェック。
余裕を持って支度しても、
靴を履いてからメガネがない、マスク忘れた、マフラーしていくetc.でバタバタ、
9:55ごろ送迎車到着。行ってらっしゃーい。あぁ行った(ほっ)
10時ごろから洗濯機を回し、晴れていれば布団を干し、
食卓上に積みあがった新聞や郵便物をチェック。
薬の飲み忘れをチェックし、次の数日ぶんの薬をセッティングする。
冷蔵庫の中にあるものないものをメモし、ゴミ箱や生ごみをチェックする。
部屋を片付けて掃除をする。
この間、火曜担当(弟)への申し送りのために気づいたことはその都度メモしていく。
たったこれだけのことをするのに、気付けば3時間ぐらい経っている。
お昼ごはんはいつも1時か1時半。
なんでこんなに時間がかかるのか。
昼食後はガス台を拭いたり流しを洗ったり、
鍋や食器を洗う。
食器はたいてい汚れが落ちていないし、鍋は必ずこびりついている。
そのへんをやっつけてから母の夕飯作り。
といってもたいしたものは作らない。
味噌汁にお浸しと焼き魚とか、味噌汁にハンバーグと温野菜とか。
焼き魚やハンバーグは家で作って持って行くからお皿に盛るだけだ。
たいしたことはしていないのに午後もあっという間に時間が過ぎる。
気がつけば4時を回り、慌ててマンション下に降りる。
母無事帰宅。おかえり~。
車が見えなくなるまで母は名残惜しそうに手を振っている。
今日は楽しかった?何をやったの?
と尋ねても「なんでもいいやん」とお茶を飲みながらお茶を濁される。
連絡ノートに目を通し、返事(といってもひとこと)を書き、
持ち帰った洗濯物を洗って干し・・・
たったこれだけで1時間。
この季節、もう日はどっぷり暮れている。
「はよ帰り。真っ暗や」
はいはい、言われなくても帰りますよ。
今日の任務終了、お疲れさん。

「お母さんのとこへ行ったらなんであんなに早く時間が経つんやろ」
と言ったら、弟夫婦も同じように感じていた。
「勝手が違うし、たぶんあれがないこれはどこ?で無駄に動き回ってるからやろな」
とは弟の分析。
それにしてももう半年以上経つのに、時の流れはちっとも変わらない。
10時から4時まで6時間もある。
時間が余ればゆっくり新聞でも読もう。
なんて思っていたのに、いざやってみたらなんのなんの。
新聞どころか座る間もなく、気がついたらお茶も飲まずトイレも行かず。
感覚としては2倍速だ。2倍速で時が流れる家。ミステリー(笑)
デイに行かない日、ここで母はいったい何をして過ごしているのだろう。
新聞はチラシが挟まったまま読んだ気配もナシ、脳トレドリルも開いた形跡ナシ。
時々、座敷机があっちの部屋からこっちの部屋に運んであったり、
しまってあったザブトンが出ていたりするから
何かしら意図があって動いてはいるのだろうが、尋ねても「わからん。忘れた」
母にとって、時はどのように流れているのだろう。
「老年的超越」で時間の感覚は超越しているのだろうか。
5月に母がデイサービスに行くようになってから、
私の土曜日は2倍速で時間が過ぎていくようだ。
8:40に家を出て、9:15ごろ母宅到着。
持ち物の用意、服装を整え、検温、服薬、義歯チェック。
余裕を持って支度しても、
靴を履いてからメガネがない、マスク忘れた、マフラーしていくetc.でバタバタ、
9:55ごろ送迎車到着。行ってらっしゃーい。あぁ行った(ほっ)
10時ごろから洗濯機を回し、晴れていれば布団を干し、
食卓上に積みあがった新聞や郵便物をチェック。
薬の飲み忘れをチェックし、次の数日ぶんの薬をセッティングする。
冷蔵庫の中にあるものないものをメモし、ゴミ箱や生ごみをチェックする。
部屋を片付けて掃除をする。
この間、火曜担当(弟)への申し送りのために気づいたことはその都度メモしていく。
たったこれだけのことをするのに、気付けば3時間ぐらい経っている。
お昼ごはんはいつも1時か1時半。
なんでこんなに時間がかかるのか。
昼食後はガス台を拭いたり流しを洗ったり、
鍋や食器を洗う。
食器はたいてい汚れが落ちていないし、鍋は必ずこびりついている。
そのへんをやっつけてから母の夕飯作り。
といってもたいしたものは作らない。
味噌汁にお浸しと焼き魚とか、味噌汁にハンバーグと温野菜とか。
焼き魚やハンバーグは家で作って持って行くからお皿に盛るだけだ。
たいしたことはしていないのに午後もあっという間に時間が過ぎる。
気がつけば4時を回り、慌ててマンション下に降りる。
母無事帰宅。おかえり~。
車が見えなくなるまで母は名残惜しそうに手を振っている。
今日は楽しかった?何をやったの?
と尋ねても「なんでもいいやん」とお茶を飲みながらお茶を濁される。
連絡ノートに目を通し、返事(といってもひとこと)を書き、
持ち帰った洗濯物を洗って干し・・・
たったこれだけで1時間。
この季節、もう日はどっぷり暮れている。
「はよ帰り。真っ暗や」
はいはい、言われなくても帰りますよ。
今日の任務終了、お疲れさん。

「お母さんのとこへ行ったらなんであんなに早く時間が経つんやろ」
と言ったら、弟夫婦も同じように感じていた。
「勝手が違うし、たぶんあれがないこれはどこ?で無駄に動き回ってるからやろな」
とは弟の分析。
それにしてももう半年以上経つのに、時の流れはちっとも変わらない。
10時から4時まで6時間もある。
時間が余ればゆっくり新聞でも読もう。
なんて思っていたのに、いざやってみたらなんのなんの。
新聞どころか座る間もなく、気がついたらお茶も飲まずトイレも行かず。
感覚としては2倍速だ。2倍速で時が流れる家。ミステリー(笑)
デイに行かない日、ここで母はいったい何をして過ごしているのだろう。
新聞はチラシが挟まったまま読んだ気配もナシ、脳トレドリルも開いた形跡ナシ。
時々、座敷机があっちの部屋からこっちの部屋に運んであったり、
しまってあったザブトンが出ていたりするから
何かしら意図があって動いてはいるのだろうが、尋ねても「わからん。忘れた」
母にとって、時はどのように流れているのだろう。
「老年的超越」で時間の感覚は超越しているのだろうか。