架け替え工事が進んでいる清水橋。
形が見えてくるほどに、なくなっていく以前の清水橋の姿。
約70年間、新しく作った部分でも50年ほどの間、この橋の上を市電が走り、車が走り、人も行き来し、清水市民の生活を支えてくれた。
安全性、機能性を高めるために必要な架け替え工事に、感傷的になるのはどうかとも思いつつ、この以前の橋脚はどこかに生かせないのかなと思ってしまう。
たとえば、清水港で長い間活躍したクレーン、テルファーのように人々の憩いの場に、歴史とともに清水区のどこかに残すとか…。
『大改造劇的ビフォーアフター』に出てくるリフォームの匠のような人なら、これをどんなふうに残してくれるのかなと、思ったりもする。
この橋脚の一部分は、劣化の状態などを研究するために、建設会社に保存されるそうだ。
来年11月ごろの完成を目指しているとか…。
清水の新しいシンボルになる日までには、まだもうしばらくかかる。
形が見えてくるほどに、なくなっていく以前の清水橋の姿。
約70年間、新しく作った部分でも50年ほどの間、この橋の上を市電が走り、車が走り、人も行き来し、清水市民の生活を支えてくれた。
安全性、機能性を高めるために必要な架け替え工事に、感傷的になるのはどうかとも思いつつ、この以前の橋脚はどこかに生かせないのかなと思ってしまう。
たとえば、清水港で長い間活躍したクレーン、テルファーのように人々の憩いの場に、歴史とともに清水区のどこかに残すとか…。
『大改造劇的ビフォーアフター』に出てくるリフォームの匠のような人なら、これをどんなふうに残してくれるのかなと、思ったりもする。
この橋脚の一部分は、劣化の状態などを研究するために、建設会社に保存されるそうだ。
来年11月ごろの完成を目指しているとか…。
清水の新しいシンボルになる日までには、まだもうしばらくかかる。
今は、現在の橋の脇に橋げたをモニュメントみたく飾ってあります。あそこの橋げたになる前は、外国の鉄道線路に使われていたそうな、確か。
今度もう一回確認してみよう。
古い橋の頃、うちのおかん様は怖がって怖がって、車でわたるたびに体をシートから浮かせてました。意味ないじゃん(笑)
でも、私、車の運転が下手なので、架け替え前はあまり使ったことがありませんでした。
外国の鉄道路線…なんと、そんな歴史が。
モニュメントを見に行こうと思います。
お母さまのお気持ち、わかります。
私は、巴川沿いの低い高架下を車でくぐるときに、
亀みたいに頭を引っ込めちゃいます。
たとえひっかかっても車がへこむだけなのに、
自分の頭が痛い気持ちになっちゃって。