ここ数年、黒のフォーマルが何度も、クリーニング屋さんと自宅の箪笥の間を往復している。
そういう年回りになったんだなぁと思う。
お寺のご住職のお話を聞く機会が多くなった。
若いころ、たまに聞く法話は、右の耳から左の耳へ通過していたけれど、近ごろは反芻しては、深くうなづく自分がいる。
ついこの前は、阿弥陀経にある言葉を、ご住職がこのように説明してくださった。
青色青光(しょうしきしょうこう)。
黄色黄光(おうしきおうこう)。
赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)。
白色白光(びゃくしきびゃっこう)。
これは、浄土に咲く蓮華の花の美しさをたたえたもので、青い色の華は青い光を放ち、黄色い華には黄色い光が、赤い華には赤い光が、白い華には白い光があるのです。
それは、私たち人間にも言えることで、みんなそれぞれ違う個性があり、光っています。
人まねをするというのも限度があります。
青い色の人が無理して赤い色にはなれません。
色について詳しい人の話によると、青、黄、赤が混ざると黒っぽい色になってしまうそうですな。
しかし、これらが「光」の色となって混ざると、白く輝くんだそうです。
私たちもみな、それぞれの個性の色を精一杯放ちながら交わって、光り輝いていきたいものです。
と、お話を締めくくられた。
その晩、「青色青光…」と法話を振り返った。
私はどんな色の光なんだろう…今、放っている色があるとして、それは本当に自分の色なんだろうか…あれこれ考えていたら、いつのまにか眠っていた。
そういう年回りになったんだなぁと思う。
お寺のご住職のお話を聞く機会が多くなった。
若いころ、たまに聞く法話は、右の耳から左の耳へ通過していたけれど、近ごろは反芻しては、深くうなづく自分がいる。
ついこの前は、阿弥陀経にある言葉を、ご住職がこのように説明してくださった。
青色青光(しょうしきしょうこう)。
黄色黄光(おうしきおうこう)。
赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)。
白色白光(びゃくしきびゃっこう)。
これは、浄土に咲く蓮華の花の美しさをたたえたもので、青い色の華は青い光を放ち、黄色い華には黄色い光が、赤い華には赤い光が、白い華には白い光があるのです。
それは、私たち人間にも言えることで、みんなそれぞれ違う個性があり、光っています。
人まねをするというのも限度があります。
青い色の人が無理して赤い色にはなれません。
色について詳しい人の話によると、青、黄、赤が混ざると黒っぽい色になってしまうそうですな。
しかし、これらが「光」の色となって混ざると、白く輝くんだそうです。
私たちもみな、それぞれの個性の色を精一杯放ちながら交わって、光り輝いていきたいものです。
と、お話を締めくくられた。
その晩、「青色青光…」と法話を振り返った。
私はどんな色の光なんだろう…今、放っている色があるとして、それは本当に自分の色なんだろうか…あれこれ考えていたら、いつのまにか眠っていた。
ご住職がどんなお話をしてくださるのか楽しみでした。
今回は、健康談義に花が咲きました。
ご住職はここ半年間ほど、フィットネスクラブへ通っているそうなんです。
私たち夫婦もそういう話は興味があるので、
つい身を乗り出して話をしてしまいました。
◆kayさん
kayさんも法話などがお好きなんですね。
私も他に、お寺の入口の掲示板に書かれている言葉なども好きで、
散歩の途中、立ち止まっては読んできます。
うちは、夫の家の方が、真宗です。
◆saruriさん
「個性が大事」ってよく耳にする言葉なんですが、
難しいですよね。
自分らしさって何だろう…って思っていたときに、
タイムリーにこのような法話に出会いました。
なるほど~って、納得できるように思えたのですが。
自分色ってどんな色だろう…って、
あらためて今の自分自身に置き換えてみると、
やっぱり考えちゃいます。
>興味あるけれどわからないですネ。
私もです。
先日はコメントをくださりありがとうございました♪
今日、実母の初盆でお寺へ行って参りました。
人それぞれ色が違う・・・すごく感じます。
その人のその色だから魅力に感じる訳で、私がそうなろうと努力をしてもなれない・・・。
無理になろうとしなくても私には私の色があるらしい とこの頃ようやく感じるようになったので、このお話すごく納得できました。
でも、自分ってどんな色を放っているのか・・・興味あるけれどわからないですネ。
ほんとうに、そうだなぁって思いました。
私も法話とかかなり好きです。
ともゑさんちはどちらの宗派なんでしょう。
ちなみにうちは真宗です。実家が。
実家の寺の坊さんは、あんまり話が上手じゃないんだけれど、お寺に行った時はいろいろお釈迦様の言葉みたいのが書いてあったりするじゃないですか。
そういうの読むのも好きです。