林 弘子先生の作ったパンは一度だけ食べたことがあります
一度冷凍したパンだったので、本当の美味しさはわかりませんでした
確かに酸味もなく、そしてしっかりと焼いてありました
彼女の力強さを感じました。当時、ブログも毎日閲覧していました
泣きたい時も怒りたい時もうれしかった時も、毎日林先生のブログで励まされました
それが急に見られなくなり、とても悲しい思いをしました
残念なことに、私は林先生の作っているパン種のことを全く知らなかったのです
ただの普通の酵母パンだとばかり思っていたからです
確か林先生が亡くなる前か、その後でしょうか、必死になって元種と格闘していました
小麦粉と水だけをこね合わせて自然発酵させた小麦種
もう少し早くに気づいていれば、私ももう少しましなことを聞けたかもしれない
そればかり後悔しました。そして、毎日の生きる糧になっていたことも伝えたかった
彼女の生きざまも好きだった。だからというわけでもないのですが、
ようやくパンがパンとして出来上がった時、「ありがとう」と伝えたかった
おかげさまで、このパンに出会えて、もう他のパン(特に食パン)は食べられなくなりました
コンビニの甘い食パンは食べられません
スーパーのやわらかいアンパンも食べられません
好奇心旺盛な私は、そのパン種でひたすら遊ぶことを覚えました
ピンポン玉くらいの小さなもの、ポリ袋にひっついたパン種も、ちゃんとパンになってくれました
どのような形でも、どんなに小さくても、パン種は生きているからできるのです
生きていれば、どんなことでもできるのですよ
姉は浪費家で、身内にもお金を借りたりしていました
それでも亡くなってしまえば、嫌なことも思い出となってしまいます
私は犬を飼っていますが、それがストレスとなることも
自分のやりたいことに、ずっとついて回れると困ってしまいます
犬を飼うべきではなかった、と思うこともありました
入院もできない、家も空けられない、散歩はしなければならない
決められた行動は、全てにおいて苦手
命があるから、命を授かったのだから、ちゃんと責任をもって育てなければならない
何があっても飼い主には忠実。とてもありがたいことです
最後まで面倒をみなければなりません。飼い主がいないこは、とても不安がります
私は一度も死にたいと思ったことはありません。それはまだ怖いからです
考えただけで震えがきます。まだやりたいことがたくさんあります
だけど自分の体が思うようにならないと、はがゆくてしょうがありません
なぜ、私はここにいるのか、なぜ、体がおかしくなったのか
自分でわかっているのに、どうすることもできない。また他人をみてもしょうがない
ならば、そこから一歩違った考え方をどこかで拾うこともできるのではないか
形にこだわらず、家族にとらわれず、自分の居場所(生き方)を探せないものなのか
家族につながりを求めても、何も残らないこともあります
ただただ悲しくなります。それをやめたらきっと、自分は楽になると思いました
私はひとりでも大丈夫です。これからもそうやって生きていきます
確かに不安障害かもしれません。けど、負けません。薬も飲みません
薬以外にできることもあります。歯磨き粉をやめる。石鹸をやめる。シャンプーをやめる
もっとあるかも、ですね(今日血圧測るの、忘れたわ…)
2010年4月25日に、へそ大根のはりはり漬けを作りました
レシピも書いてるようですが、過去の記事は全く覚えておりません
うまく干せた大根は色もきれいに仕上がります
人間って、どうして同じものを作りたがるのかしら?
ダイエットもみな、同じくしたいのね…
へそ大根も日が経つにつれ、少し黒っぽくなってきます
意外とかわいいへそ大根の穴。穴の中からのぞくと何が見えるだろうか
それを探すことから始めよう、かな
知ってる?ダイエットって、本当はその後が一番大事なんだってことを…
ストレス解消にヘタなお絵かき。描くとなんだかスッキリするんです