唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

武寧軍節度使 徐泗濠節度使 その6

2012-02-06 18:01:26 | Weblog
・唐朝には既に藩鎭統制の力はなく中和元年[881年]時溥は節度使に任ぜられた。
・中和3年[883年]黃巢は京師を棄てて東奔し、溥は東面兵馬都統に任ぜられてこれを追討した。
・中和4年[884年]黃巢の首を取ったのは溥の配下である。
・光啓元年[885年]溥は蔡州四面行營兵馬都統として蔡州秦宗權を征討したが戦果はあがらず、
配下の諸将は勝手に淮南道へ進出して各地に自立した。
・光啓3年[887年]頃より宣武朱全忠と争ったが不利であった。大順2年[891年]には全忠の
圧迫により鎭を返上する願いを出し、宰相劉崇望が赴任したが結局交替しなかった。
・景福2年[893年]全忠は徐州を陥とし、時溥は自殺した。
・その後全忠の管轄下として張廷範・王敬蕘・朱友恭などが交替した。
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