唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河中節度使 その2

2012-02-23 10:39:39 | Weblog
・大暦14年[779年]徳宗皇帝が即位し、老齢の元老郭子儀の棚上げを図り尚父[父に等しい]
太尉として遇し、兵権を取り上げ部下に分配させた。河中・邠寧は李懷光が継承した。
・建中2年[781年]成徳李惟岳・魏博田悦を討つため懷光は全軍を率いて東征に出た。
・東征が続いている建中4年[783年]原兵が朱を擁立して反し、皇帝は京師を棄てて
奉天城に籠城することになった。皇帝の危機を聞いた懷光は全軍を率いて急行し軍を破り包囲を解いた。
・軍事的能力はあるが政治的能力が乏しい懷光は功績大にも拘わらず、敬遠と疑惑の対象となり
不満を募らせ、興元元年[784年]2月反旗を翻すことになった。
・懷光は追いつめられて反したのであり、同じ反将の朱とは協調できず。部下の諸軍は李晟や
渾かん[玉+咸]などの討伐軍とは同じ朔方軍系列であったため消極的な行動しかできず、結局河中に籠もることになった。
・貞元元年[785年]7月河中は河東馬燧や渾かん軍に包囲され、部下は次々と投降し、
追いつめられた懷光は部下に殺されてしまった。