歴史探訪と紅葉を求めて山形、福島方面を旅しました。
そこで今日から数回に分けてこの旅行記の観光スポットをご紹介したいと思います。
初回の今日は、山形県上山市にある「春雨庵」をご紹介します。
・仮住まいとして沢庵禅師に草庵を寄進した土岐頼行の居城、上山城(月岡城)
です。
五層天守閣を持つ美しいこのお城は羽州の名城と言われており、今では上山市
(かみのやまし)のシンボルとなっています。
「春雨庵」は、京都・大徳寺の高僧、沢庵禅師が「紫衣事件」で出羽国・上山に配流されたときに、上山城主・土岐頼行が草庵を寄進したものを禅師がこれを「春雨庵」と名付けたそうです。
・「春雨庵」です。
沢庵和尚は、「春雨庵」で3年過ごした後、赦免されて江戸に戻り、東海寺を開山します。
・沢庵和尚です。
お馴染みの「沢庵漬」は沢庵和尚が考案したといわれており、その発祥地は当地といわれています。
見学者に試食用の「沢庵漬け」が置かれていました。
・「沢庵漬」発祥地の碑です
沢庵和尚が上山で3年間過ごした居室です。
(一言メモ)
・沢庵和尚(1573年12月24日ー1646年1月27日)の名前で知られている沢庵宗彭
(たくあん そうほう)は江戸時代の臨済宗の名僧です。
生まれは但馬国・出石(現兵庫県豊岡市出石町)です。
「紫衣事件」で出羽国・上山に流罪となりました。
・「紫衣事件」
江戸幕府は、朝廷と寺院との関係を弱めるため「寺院法度」などを定め、締め付
けを厳しくしていきました。
1627年、後水尾天皇は幕府に諮らず、僧の最高法衣である紫衣着用の勅許を
与えますが、幕府はこれを法度違反として無効としました。
これに反発した大徳寺の元住職である沢庵は幕府に抗議しますが、幕府は権力
で押さえつけ、沢庵禅師を出羽国・上山に流罪としました。