らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

備中高松城

2014-07-07 | 趣味

NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が佳境に入ってきました。
昨日の放送では、秀吉の中国攻めで備中高松城の水攻めの迫力あるシーンと明智光秀が本能寺の変を起こすに至るまでの信長との主従関係。そして、遂に、「敵は本能寺にあり」と全軍を鼓舞して京に向かうところまでが放映され、いよいよ来週は「本能寺の変」へと移っていきます。

一方、官兵衛は、備中高松城の城主、清水宗治の調略を図ったものの決別となり、いかに闘わずして城を落とすかを考え、後に「天下の奇策」と呼ばれることとなる“日本三大水攻め”の1つ、「高松城水攻め」を考案します。

なお、「日本三大水攻め」とは、 岡山県の備中高松城、和歌山県の太田城、埼玉県の忍城(おしじょう)の3つの城の水攻めを言うそうです。

「高松城水攻め」
難攻不落の高松城に秀吉は持久戦を強いられていましたが、軍師の黒田官兵衛は城を堰堤(えんてい)で囲み水没させることを進言します。
12日間の突貫工事で堤防が完成し、折からの梅雨時と近くの足守川の水とで堰堤内188ヘクタール(約188町歩)は水が溢れ、たちまちにしてお城は水没しました。
これが世に言う「高松城の水攻め」で、官兵衛の奇策によって戦わずして清水宗治を討ち落とすことに成功しました。 

・備中高松城水攻めの図です。(2008年に撮影、以下同じ)


・下の写真は水攻めの略史が書かれていますので参考にしてください。


「備中高松城跡」
備中高松城の形式は梯郭式平城で、石垣は築かれず土塁によって築城されていました。
城の周囲は低湿地帯でこれらが天然の堀を形成していたそうです。
現在では、周りを田畑で囲まれており、これがかつて難攻不落を誇ったお城とは思えないものでした。

・本丸跡公園です。


・備中高松城の本丸跡です。


「清水宗治の首塚」
秀吉は安国寺恵瓊を仲介役とし、城兵の命と引き換えに和議を成立させ、清水宗治は切腹します。
宗治の切腹を確認した後、秀吉は本能寺の変で主君 織田信長を討った仇敵 明智光秀を倒すべく強攻策を取って京に引き返し、光秀を倒して天下人への道を歩むことになります。
これが有名な「中国の大返し」と言われている出来事です。

   清水宗治の辞世の句
   「浮世をば  今こそ渡れ 武士(もののふ)の  名を高松の  苔に残して」

・城跡公園には城主「清水宗治の首塚」の碑があって、その名残をとどめています。