昨日に続き、紅葉が美しい南禅寺をご紹介します。
・境内の紅葉です。
・三門を入ると、広い境内に紅葉が広がっていました。
「疏水」
説明によれば、疏水(そすい)は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間に造られています。
疏水の工事は1890年に竣工しましたが、その目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などでした。
ところが水力発電の有利性が注目されるようになると、1889年に蹴上に発電所が建設され、1891年には送電が開始されたそうです。
また水力発電の増強と水道用水確保のため1908年に始まった第2疎水の工事が1912年に完成していますが、同時期に蹴上浄水場が建設されて、現在は上水道の水源として利用されています。
・美しい水路閣です。赤煉瓦のアーチを思わせる水道橋は、南禅寺の古めかしさになじんで、今では一種の美を湛えています。
この南禅寺水路閣は、建設当時は古都の景観を破壊するとして反対の声もあがったそうですが、今では京都の風景としてすっかり定着しています。
古びたアーチ橋は不気味な静けさを醸し出すことから、サスペンスなどのドラマの撮影でもしばしば登場しているそうです。
水路閣は疏水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42m、レンガ造りアーチ構造の優れたデザインを持ち京都を代表する景観の一つとなっています。
・水路閣の上を流れている水路です。
「駒ケ瀧本堂最勝院」
・「駒道智大僧正」
鎌倉時代の僧・駒道智大僧正(生没年不詳)は公卿、摂政関白・九条道家(1193-1252)の子で、幼なくして比叡山で仏道修行に入り、天台密教の深奥を極めました。
その後、三井寺(園城寺)の長更(管長)となり、かつて天台宗だった禅林寺(永観堂)の住持を務めました。
晩年、駒ヶ滝最勝院の地に移り住みました。
・「死霊」
駒道智は、鎌倉時代の1266年3月3日、法力により白馬にまたがり、生身を天空に隠したと伝承されています。
それ以来、奥の滝は駒ヶ滝と呼ばれ、僧正を駒大僧正と言い、又院号をとって僧正をまつる寺を最勝院と呼ぶことになりました。
「本坊(庫裏)」
「東山の縁をすぐ背にして立つ庫裡(くり:寺の台所、住職や家族の居間)です。
白壁を鮮やかに区切る黒々とした用材、すっきりとした屋根の稜線が美しく、一歩敷居をまたいで上を向くと、天井のない吹きぬけ造りに、縦横に組み上げられた梁組の力強さ、幾何学的美しさが禅宗建築の特色をあらわしています。」
と説明されていますが、時間の関係で中に入っての見学はできませんでした。
「国宝の南禅寺方丈大玄関」
本坊の左手には唐破風の大玄関があります。
この大玄関は特別な行事の時にのみ使用されます。大玄関左手には書院が配され、方丈へと続いています。
この本坊は常住とも呼び衆僧生活の場であるとともに、臨済宗南禅寺派の宗務を取り扱う寺務所となっています。