らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都の旅(その5)太秦映画村(2)

2014-12-08 | 地元紹介

京都の旅シリーズで東映太秦映画村をご紹介していますが、今日はその2回目です。

「旅籠 寺田屋」
寺田屋と言えば「寺田屋事件」で有名ですが、その事件は2度起きています。
一つ目の事件は、文久2年(1862年)4月23日、薩摩藩主・島津久光の出兵上京に、薩摩藩の過激派の若者が京で攘夷クーデターを起こそうと計画していたのを久光が聞きつけ、同じ薩摩藩士に取締りを命じたもので、同じ薩摩人同士の、凄惨な同士討ちとなった事件です。
同時に薩摩過激派に同調してクーデターを起こそうと構想していた、清河八郎らも計画を断念せざるを得なくなりました。

二つ目の事件は、伏見奉行所の役人によって、慶応2年1月23日(1866年3月8日)に坂本龍馬が襲撃を受けた事件です。
この事件では、寺田屋から屋根を使って逃走した龍馬達は、川沿いの木材屋に隠れました。
龍馬は、役人から逃げ切れないと思った三吉が切腹するのを止めて、薩摩藩邸へ行くように指示を出しました。
一方、龍馬は役人との応戦の際に左手の指を負傷してしまったため、この場に残りました。
薩摩藩邸へ知らせに走ったおりょうと、三吉の報告によって龍馬は、薩摩藩士に救出されます。

・二つの事件の舞台となった寺田屋のセットです。


「旅籠 池田屋」
池田屋でも事件が起きています。
池田屋事件は、文久3年(1863年) 8月 18日の「8.18政変」で失脚した長州藩および、それに同調する過激派公家が追放されたことで、長州および攘夷志士が京都に騒乱を起こそうとしました。
その際、大義名分となる孝明天皇を誘拐しようとしますが、テロを事前に察知した新撰組が集合場所であった三条の池田屋を襲撃し、テロを防いだ一件です。

この事件の眼目は8月18日の政変で京都を追われた尊攘派が、その巻き返し策として洛中市街を焼討ちし、御所より帝を拉致するテロの実行でした。
その密談が行われていたのが池田屋で、治安部隊である新撰組はこれを取り締まる任に当たっていたものです。
なお、坂本龍馬はこの事件に関わってはいませんでした。

・旅籠 池田屋です。


「新撰組屯所」
新選組は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った集団です。



「花魁道中」
花魁(おいらん)道中のアトラクションがありました。
花魁道中とは、上級遊女である花魁が従者を従え、八文字を踏んで練り歩く行列のことです。
このアトラクションでは女優の渋谷めぐみが花魁に扮して、中村座から吉原の三浦屋までを歩くものです。


「吉原」
吉原遊廓は江戸幕府によって公認された遊郭です。
元々は大御所である徳川家康の終焉の地、駿河(現在の静岡市葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まりだそうです。
吉原の周囲にはお歯黒溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる大溝がありますが、これは遊女の逃亡を防ぐための溝だそうです。



「遊女屋」
吉原の「遊女屋」です。
格子の中に遊女が坐って客を待ちますが、自由に外出することもできないことから、「籠の鳥」とも言われていました。


先ほどの花魁は、吉原の三浦屋の近くまでやってきました。