「神戸方面の旅」、3回目の今日もバスガイドさんの話からご紹介します。
ガイドさんの話では、近年、学校の歴史の教科書は、私たちが習った内容から変わってきているとのことでした。
例えば、昔は、鎌倉幕府が成立した年は1192年で、覚え方として「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えたものです。
ところが現在では1185年が正解で、1192年は不正解とのことです。
その理由は、1185年に源頼朝が朝廷に日本全国への守護・地頭の設置を認めさせたことから、実質的な支配が頼朝に移ったと考えられるためだそうです。
また、同年に壇ノ浦の戦いで平家を破ったこともその一因とみられています。
ガイドさんは続けて「仁徳天皇陵」についても話していました。
私たちが習ったのは日本最大の古墳は「仁徳天皇陵」と習いましたが、現在は「仁徳天皇陵」と言う名称を使用せず、大仙陵古墳と言うのだそうです。
その理由、宮内庁が調査のための発掘を認めていない現状において、学術上ここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能であり、現在では教科書などを含めて「仁徳天皇陵」との呼び名は用いられなくなっていると言うことです。
そこで他にも歴史の教科書が変わっている項目があるのか調べてみました。
・聖徳太子→厩戸皇子(うまやどのおうじ)に、
歴史学で、「日本書紀」に記載された「聖徳太子」という名前は、実はどこにも存在しておらず、よく調べると「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」に敬意を表す「贈り名」、
或いは 「尊称」だったことから、「名前があるのなら、本来の名前で教えるべきだろう」ということで、徐々に「聖徳太子」から「厩戸皇子」へ変換されている途中だそうです。
・大化の改新は645年→646年に、
従来、「大化の改新」は、645年とされていました。
覚え方も語呂合わせで、「蒸し米(645)焚いて祝う大化の改新」だったと思いますが、それが、645年は中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我氏を暗殺したクーデター、所謂
「乙巳(いっし) の変」という表記となり、政治体制を刷新した「改新の詔」が発布された646年を以って、「大化の改新」の始まりと変更されているようです。
・「士農工商」の身分制度はなかった。
1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は
教科書から外されるようになったそうです。
これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から
消されたということです。
今回の社会見学会には直接関係ない事ですが、バスガイドさんの話題の中からご紹介しました。