1950年代後半に、戦後日本において新時代の生活必需品として宣伝された3種類の耐久消費財が三種の神器として持て囃され、電化製品では、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が一躍脚光を浴びることになりました。
その後、1960年代半ばのイザナギ景気時代には、カラーテレビ・クーラー・自動車 の所謂3Cが新・三種の神器として喧伝され、近年では2003年(平成15年)頃から2010年(平成22年)頃にかけて急速に普及したデジタル家電のデジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビがデジタル三種の神器と呼ばれたのは記憶に新しいところです。
これらの三種の神器は、歴代天皇に伝わる三種の神器になぞらえた呼称で、新しい生活・消費習慣を表すマスコミ主導のキャッチコピーであり、豊かさや憧れの象徴でもあったのです。
今日のタイトルの三種の神器はこれらの商品のことではなく、天皇家に伝わる三種の神器について、その由来などを調べたので概略をご紹介します。
三種の神器とは皇位の象徴とされる「玉」、「鏡」、「剣」のことで、これらは「ヤサカニノ勾玉(八尺瓊勾玉:まがたま)」、「ヤタノ鏡(八咫鏡)」、『クサナギノ剣(草薙剣:つるぎ)」と言われています。
「三種の神器の由来」
「ヤサカニノ勾玉」と「ヤタノ鏡」
天照大神は弟神である須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な行動に我慢できなくなり、怒り悲しんで「天岩屋戸(あまのいわやと)」に引きこもってしまいます。すると全ての世界が真っ暗闇になり様々な災いが起こりました。
神々は何とか天照大神に天岩屋戸から出て来て頂こうと相談し、色々な手立てを考えました。
この時に天照大神に天岩屋戸から出てきてもらう方法の一つとして作られたのが「玉」と「鏡」であったと言います。
後にこの「玉」と「鏡」が「ヤサカニノ勾玉(八尺瓊勾玉)」と「ヤタノ鏡(八咫鏡)」と呼ばれました。
「草薙の太刀/剣(クサナギノツルギ)」
天岩屋戸の事件で須佐之男命は地上に追放されます。そこで須佐之男命は嘆き悲しんでいる老夫婦と一人の娘に出会います。
老夫婦が言うには、
「毎年、八つの頭を持つ大蛇がやってきて、娘がさらわれていくのです。既に7人の娘がさらわれ、今年はこの末娘を捧げなければならなくなったのです」と、悲しんでいたのでした。
須佐之男命はこの親子を助けるために大蛇を退治することを決心します。
そして、見事に大蛇を討ち果たした須佐之男命は、この時、大蛇の尾からあるものが出てきたことに気付きます。
それが後に草薙剣(クサナギノツルギ)と呼ばれる「剣」だったのです。
この後、須佐之男命はこの草薙剣を天照大神に献上することになりますが、この「八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)」と「八咫鏡(ヤタノカガミ)」そして、「草薙剣(クサナギノツルギ)」こそが三種の神器と呼ばれるものなのです。
「三種の神器が保管されている場所」
ではこれらの三種の神器は何処にあるのでしょうか?
天照大神はニニギノミコトに三種の神器を授け、地上を治めるように指示します。
初代天皇である神武天皇はニニギノミコトの孫と言われていることから、これ以来、三種の神器は皇室で受け継がれることになったということです。
しかし時の流れとともに、三種の神器の行方は変遷しているようです。
・「八咫鏡(ヤタノかがみ)」は、崇神天皇(すじんてんのう)の時に、複製品が作られ、実物は伊勢神宮に祀られて、複製品が宮中に保管されたと言われています。
・「草薙剣」は景行天皇の時代に東国の制圧に向かう日本武尊(やまとたけるのみこと)に与えられましたが、病気で亡くなった後、この剣を祀るために「熱田神宮」が建てられ、そこに御神体として祀られているそうです。
・「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は宮中にあって、代々、引き継がれてきたと言われています。
以上のように三種の神器の保管場所は3種とも別々に保管されているようです。
・八咫鏡・・・・・・伊勢神宮(複製品は皇居)
・草薙剣・・・・・・熱田神宮(複製品は皇居)
・八尺瓊勾玉・・皇居
但し、三種の神器は天皇でさえも見ることを許されていないと言うことであり、三種ともに真偽は分からないと言うのが本当のところのようです。