らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

潮時

2014-06-11 | 雑学

民謡ソーラン節の6番目に
〽 沖の鷗に 潮(しお)どき問えば
  わたしゃ立つ鳥 波に聞け チョイ
という歌詞があります。

この潮時という言葉の意味について、「物事の終わり」と解釈している人が30歳代~50歳代に多いそうです。
そこで今日は潮時の由来について調べました。

広辞苑によれば、潮時(しおどき)とは、①潮水のさしひきする時刻。②あることをするための丁度よい時期。好機。
と説明しているように、物事を行うのに丁度よい時期のことです。

元々は海の潮が満ちるときや、引くときを言い、漁に出るときの潮の状況を見極め、その最も良いタイミングで船を出すことから使われるようになった言葉です。

潮が満ちていくときが「上げ潮」、やがて止まり、そこからは「引き潮」になり、上がっていた海面はだんだんさがっていきます。
そのアゲからサゲに変わる正にその瞬間が「潮時」で、これが転じて、ものごとを行ったり止めたりするのに最適な時期といった意味になります。

ソーラン節のこの歌詞も漁に最適の時期を鴎に問うているもので、本来の意味は「ちょうどいい時期」であるはずが、「物事の終わり」と誤った意味で使われるのは、潮が引く時間に例えた表現の「そろそろやめる時期」と勘違いされているのではないかと思われます。

最後に、潮時(しおどき)とは、物事を行うのに最良のタイミングのことです。



 


割愛する

2014-06-10 | 雑学

「割愛する」と言う言葉があります。
この「割愛」と言う言葉を皆さんはどのように使われているでしょうか?
平成23年度に文化庁が行った「国語に関する世論調査」に、この言葉の意味についての質問があったので、今日はその結果をご紹介します。

平成23年度に行われた文化庁の調査の中に「割愛する」とは、どちらの意味だと思うか?という質問に対し、調査結果は次のようになっていました。
本来の意味である(イ)と答えた人の割合17.6%で、本来の意味ではない(ア)と答えた人が65.1%と、圧倒的に多かったそうです。

割愛する例文:説明は割愛した。
(ア) 不必要なものを切り捨てる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・65.1%
(イ) 惜しいと思うものを手放す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17.6%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.7%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.3%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12.3%

「割愛する」とは、本来は【惜しいと思うものを手放したり省略したりする】で「不必要なものを省く」ことではではありません。
元々は仏教語で「悟りを開くために邪魔になる愛着やこだわりを断ち切る」ことから来ているのだそうです。
「愛着を断ち切る。恩愛や煩悩を捨て去る。」「惜しいと思うものを思いきって捨てたり、手放したりすること。」即ち、愛着が割かれることが「割愛」のもともとの意味ということです。

従って、ただ単に「省略する」という意味ではなく「本当は省略したくないのだが事情により残念ながら省略せざるを得ない」というニュアンスになります。
例えば「(結婚式の披露宴で)その他多数の祝電を読むのは割愛させて頂きます」とか「(会議で)この説明は割愛します」などと使われていますが、結婚式の祝電の披露や会議の説明を省略するものを『惜しい』と思うか、それとも『不必要』と思うのか、人それぞれだと思いますが、それによっては(イ)であったり、この調査結果のように本来の意味でない(ア)であったりするかもしれませんね。


御託を並べる

2014-06-09 | 雑学

自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言いったり、偉そうに言いたてることを「御託(ごたく)を並べる」と言いますが、皆さんのお近くにこのような方はおられませんか?
私が現役の頃は、先輩や上司にこのような人が少なからずいて、辟易したことを覚えています。
そこで今日は言葉について調べてみました。

「御託(ごたく)を並べる」の御託とは、ご託宣を省略した言葉で、ご託宣とは託宣の尊敬語、託宣とは、神が人に乗り移り、または夢などに現れて、その意思を告げ知らせることです。
神のお告げの話をする人は偉そうな態度に見え、その話はもったいぶって長々と続くことから、御託(ご託宣)は傲慢でくどくどと言う意味になったそうです。

そして「並べる」は「文句を並べる」のように「次々に言う」「述べたてる」と言った意味で、その長さに辟易したところから、自分勝手に長々としゃべる様をいうようになったそうです。

なお、勝手なことを言って暢気にしていることを「太平楽(たいへいらく)」と言いますが、これは雅楽の曲で、いかにも悠長な曲に聞こえることから生じた語であり、また、よどみなく長々としゃべり続けることを言う「長広舌(ちょうこうぜつ)」は、仏の三十二相の一つ、「広長舌」(大きな舌)が変化した語と言われています。

御託(ごたく)も太平楽(たいへいらく)、そして長広舌(ちょうこうぜつ)もしゃべっている本人は得意満面の気持ちでしょうが、聞かされている人たちにとっては有難迷惑な面がありますね。

(参考)
仏の三十二相」とは、仏が備えているという32の優れた姿・形を言います。
即ち、手過膝(手がひざより長い)、身金色、眉間白毫(みけんびゃくごう:光を放つと言われる白い毛)、頂髺相(ちょうけいそう:頭頂に隆起がある)など。


カッコウ

2014-06-08 | 雑学

昨日、ホトトギスと思われる野鳥をご紹介しましたが、今日はカッコウを取り上げたいと思います。

山に入るとカッコウの鳴き声をよく聴きますが、姿は見たことがありません。
調べてみると、カッコウの全長は35cmくらい。体は細身で頭から背、翼の上面などは灰色、腹は白色で細かい横縞があるようです。
雌には灰色部分が赤茶色をしたタイプもいるとのことです。

日本では夏鳥で、全国的に見られ、草原、耕地、牧草地と小さな林がある明るくひらけた環境に生息しているそうです。
カッコウはモズやホオジロ、オオヨシキリなどの巣の中に托卵し、これらの鳥を仮親としてヒナを育ててもらうチャッカリ屋の鳥です。

カッコウの他ホトトギスやジュウイチ、ツツドリなども自分で卵を温めず托卵しますが、なぜ自分で温めないのでしょうか?
このことについては研究者の間でも意見が分かれているようですが、有力な説としては、これらの鳥たちは、体温変動の激しい変温動物であるためだそうです。
つまり、これらの鳥たちは彼等は安全に卵を温められるという保証がなく、それを解消するため、他の鳥に生育を任せるという方法とっているらしいということです。

カッコウです。(ネットより)


なお、カッコウは別名を「閑古鳥」と言うそうです。
カッコウをなぜ閑古鳥と言うのか調べてみると、「カッコウ」が「かっこうどり」と呼ばれ、更に「かっこどり」から「かんこどり」になったと言われています。

そして、カッコウの鳴き声が何故淋しい様子を表しているのかと言うと、「カッコウ」の鳴き声の"かっこう、かっこう..."は人里離れたさびしい山の情景を思わせると言われ、そこから、"寂れている"という意味で使われるようになったそうです。

山で聞く閑古鳥の鳴き声はいいですが、商売などで人が集まらず「閑古鳥が鳴く」お店は、商売人にとっては辛いですね。

「日本昔話」
カッコウがなぜカッコウと鳴くようになったのか?日本昔話からご紹介します。

『あるとき母親が子供に「背中がかゆいので、かいてくれないか」と頼みましたが、子供は遊びに夢中で聞いてくれません。
母親はしかたなく川辺の岩で背中をこすっていましたが、あやまって川に落ち、死んでしまいました。
子供はたいへんな親不孝をしたと悲しみ、鳥になって、今も背中をかこう、かこう、カッコー、カッコウと鳴いているのです。』とさ。


ホトトギス?

2014-06-07 | 地元紹介

先日、畑に行くと小屋の方で音がしていました。
何事かと思って音のする方をよく見ると、一羽の野鳥がトカゲを銜(くわ)えて屋根に叩きつけているところでした。
体長10㎝以上のトカゲを丸呑みするようです。
畑ではいろいろな野鳥が見られますが、トカゲを銜(くわ)えて、丸呑みする野鳥を見たのは初めてのことです。

・これがその野鳥です。ホトトギスか、或いはオオヨシキリかも知れません。


少し距離があったので野鳥の種類は判別できませんが、写真で見るとホトトギスのようにも見えます。
ホトトギスはお腹を見れば分かるのですが、一度も見せてはくれませんでした。

・この鳥、撮影に気付いたようで、屋根の上を移動しなが全部呑み込んだ後、飛び去りました。


畑では作物以外にもいろいろと楽しめますね。


ひょんなこと

2014-06-06 | 雑学

若い人でも「ひょんなこと」と言う言葉を使用するのでしょうか?
私はよく使いますが、今日はこの言葉について調べました。

「棚からぼたもち」とか「ひようたんから駒」というように、想像もしなかったことから、思わぬ場面が展開することがありますが、そんなことを、「ひょんなことから」とも表現しますよね。

この「ひょん」という言葉は、古語の「ホヨ」あるいは「ホヤ」に由来するそうです。
「ホヨ(寄生)」や「ホヤ(寄生木)」は、ほかの樹木に寄生して生長する「やどり木」の古名のことです。

古代の日本では、「やどり木」は信仰の対象とされていたようで、大伴家持が天平勝宝2年(750年)正月2日に行われた宴の席で「ホヨ」を詠んだ歌があります。

  「あしひきの 山の木末(こずえ)の ほよ(寄生)取りて 挿頭(かざ)しつらくは 千年寿(ちとせほ)くとそ」があります。
   訳:あしひきの(枕詞) 山の梢の 寄生木(やどりぎ)をとって、髪に挿すのは 千年の長寿を祈っての気持からなのだ。

この時33歳だった大伴家持も、ホヨ(寄生)に強い生命力を感じて、長寿を祈るこの歌ったものと言われています。

やどりぎは冬の間にも鮮やかな緑色なので、万葉の人々は強い生命力を感じ、尋常でない力をもつ木としてあがめられていたようです。
その不思議さがやがて「意外な」、「妙な」、「突飛な」という意味でも使われ、形も「ヒョン」と変化して、「ひょんなこと」になったと言われています。


ジャガイモ収穫

2014-06-05 | 家庭菜園

今週の週間天気予報では、昨日から土曜日まで雨マークが出ていたことから、「もしかすると梅雨入りもあるかな?」と思っていたところ、昨日、近畿地方が梅雨入りしたと報じられました。

小規模の家庭菜園でも、雨が降るとジャガイモの収穫に支障をきたすことから、先月末の真夏日に汗をかきながらも、収穫作業を行いました。
今年は私の畑では、大根で芸術品「ヴィーナス」が誕生するなど珍しい野菜が収穫されていますが、ジャガイモでも珍しい実や芋に出会いましたのでご紹介します。

「ジャガイモの実」
ジャガイモは殆どの品種で花が咲きます。
通常、咲いた花は摘み取りますが、そのままにしておくと品種によっては雌しべが受粉して実をつけます。
この事はそんなに珍しいことではありません。

・これは2010年6月に私の畑で実をつけたジャガイモ(キタアカリ)の実です。青いミニトマトによく似ています。


私の畑では、上記のミニトマトのようなジャガイモの実は時々できますが、今年は少し変わった形の実が葉腋(葉の付け根の内側)につきました。
長年ジャガイモを栽培していますが、このような葉腋にできた実は初めてです。

・これがその写真です。


原因をネットで調べてみましたが、ミニトマトのような実はあるものの、葉腋にできた実についての記述はありませんでした。
もしかすると、葉腋から出てきた脇芽が肥大化したのかも知れません。

・拡大するとこのような実です。


今年は私の畑ではジャガイモは比較的豊作であり、このように手頃な大きさの芋が一株当たり10個前後ついていました。



しかし、葉腋に実が付いていた株については、上記の半分程度の個数が付いているだけでした。


更に、このように3個がくっついたような珍しい芋もでてきました。
どうしてこのような珍しい実や芋ができたのか不思議に思っているところですが、このような初めての体験ができることも家庭菜園の楽しみでもあります。




だらしない

2014-06-04 | 雑学

先週から今週にかけて日本列島は異常な暑さに見舞われています。
5月28日以降、全国で30度以上の真夏日を観測した地点は連日100市町村を超えており、特に月末には315市町村で観測されたそうです。

6月に入ると更に増え、1日には404観測ポイントで30度以上の真夏日が、そして35度以上の猛暑日は27市町村で観測されています。
また、この日には熱中症で搬送された人が全国で491人に上り、内1名が死亡したと報じられていました。
読者の皆様には水分補給を行うなどして、熱中症には十分ご注意ください。

さて、年金生活者の私は、季節外れのこのような暑さが続くと体がだれてきて、余程気をつけておかないと、何となくだらしない生活に浸ってしまいそうになります。

ところで、この「だらしない」と言う言葉は古くからある言葉の「しだらない」が変化したのではないかと言われています。
「しだら」とは【好ましくない状況】のことで“自堕落”が転化したとも、梵語で秩序の意味のsutraからともいわれています。
これに強調の意味の“ない”がついて「しだらない」となり【締まりがなく、秩序がないこと】を言い表しているそうです。

「しだらない」が「だらしない」に変わる、このような現象を「音位転換」・「音位転倒」というのだそうです。
このような例はほかにもあるようです。
例えば「新しい」は(あらたしい)が(あたらしい)に、「山茶花」は(さんざか)が(さざんか)に音位転換したものだそうです。


隠れ蓑

2014-06-03 | 雑学

大阪南部の熊取では、一部の農家が早くも田植えを始めました。
私が子供の頃は、梅雨入り後に、両親が稲藁で編んだ蓑(みの)を着て雨の中でも田植えをしていたことを覚えています。
現在ではこのような田植え風景を見ることはありませんが、この蓑を使った言葉に「隠れ蓑(みの)」があります。
今日はその語源を調べました。

「隠れ蓑」とは、それを着ると身を隠すことができるという蓑のことです。
伝説上の生き物である鬼や天狗は、着ると姿が見えなくなる蓑を持っていたとされています。

そこから転じて、真相を隠す手段を指す言葉となり、マスコミなどでも「税金逃れの隠れ蓑に別名義の会社を作っていた」などと使っています。

天狗の隠れ蓑については、熊本県に次のような民話があるそうです。

「民話」
彦一の家の近くの山に住んでいる天狗は、着ると姿を消すことのできる隠れ蓑を持っていました。
彦一は天狗の隠れ蓑が欲しくてたまりません。

そこで彼は知恵を働かせ、竹を一本切り、あたかも遠くを眺めているかのようにはしゃぎます。
それを見ていた天狗は「それは何か」と尋ねたところ、「これは遠眼鏡じゃ。遠くにある物、何でも見えよる」と言いました。
天狗は譲ってくれと頼むも、彦一は譲りません。
それならば隠れ蓑と交換してくれと天狗が言うと、彦一はすぐさま竹筒を手放し、素早く隠れ蓑を身に付けてしまいました。

一方、竹筒を覗いても何も見えず、騙されたと知った天狗は怒るも、既に蓑をつけた彦一の姿は見えません。
彼はまず家に帰って妻を驚かせます。
調子に乗った彦一は色々と悪戯を思いついては実行し、あげくの果てには酒屋に忍び込み、好物の酒をぐびぐびと呑んでしまいました。

そして酔っぱらった彼は家に帰って熟睡してしまいました。
その間に、妻が蓑をがらくたと勘違いしてかまどで燃やしてしまいます。
目を覚ました彦一は蓑がないので妻に問い質したところ、「蓑を燃やした」と言われびっくりします。

しかし、試しに残った灰を体に付けてみたところ、ものの見事に姿を消すことが出来たので、彼は喜び、まだ呑み足りないのか再び酒屋に駆け付けました。
でも、今度は酒を呑んだことによって、口の部分の灰が剥げてしまい、彦一の口だけが空中に浮いている形となり、それを見て「お化けだ!」と驚いた酒屋の主人に追い回されます。
そして最終的に彦一は川に落ちて灰が全部流れ、みっともない裸をさらしてみんなの笑い者になってしまったというお話です。


ヤジロベエ

2014-06-02 | 趣味

ヤジロベエ(弥次郎兵衛)をご存知ですよね。
日本の伝統的な玩具で、人の形をしており、胴の先が細くなって、左右に伸びた手の先についている重りでバランスをとる玩具です。
釣合人形とも言われ、英語では balance toy と呼ばれています。

この「やじろべえ」の名称は、東海道中膝栗毛に登場する弥次 さんこと 弥次郎兵衛 に因んだものだそうです。
当時の旅姿である道中荷物を振り分けにして肩に担いだものを、天秤棒の両端にぶら下げた形で作られたオモチャが元祖だと言われています。
人形でなくてもバランスをとって揺らしながら遊ぶことができればヤジロベエと呼ぶようです。

・ヤジロベエです(ネットより)


ヤジロベエは物理学の重心安定の理を応用した玩具で、人形の左右に長い横棒をつけて、その棒の両端におもりをつけ左右の釣合いを均衡させるものです。
指などで軽く押し動かすと、棒の中心の人形は揺れながら釣合いをとって落ちません。
これは、弥次郎兵衛全体の重心が弥次郎兵衛を支えている支点より下にあるため、傾いたときに元に戻そうとする作用が働くからです。
そのおもしろさから江戸時代以来、親しまれてきているようです。

「弥次郎兵衛を作ろう」
家庭でも簡単に作れるのでご紹介します。

「材料」
・竹串・・・・2本
・爪楊枝・・1本
・不要なジャガイモ・・1個 (ドングリや消しゴムなど何でもよい)



「作り方」
1.ジャガイモを3等分し、顔と両腕に相当する部分を作ります。



2.腕部分に竹串を斜めに差し込みます。(バランスが悪ければ、差し込む角度や深さを変えることで調節します。)



3.顔部分に爪楊枝と竹串を差し込みます



4.完成です。(もし倒れる場合は、爪楊枝を短くして支点の位置を上げ、重心を下げれば安定します。)



ヤジロベエが倒れずに安定するのは、重心の位置が支点より低いからです。
指で支える位置、即ち支点よりも重心が低い場合、傾きが生じても元に戻りますが、反対に支点よりも重心が高い場合は、傾きが生じるとそのまま倒れてしまいます。

お孫さんに作ってみては如何でしょうか?
きっと喜ばれますよ。