ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

田中千穂子『障碍の児のこころ-関係性のなかでの育ち』2007・ユビキタスタジオ-ユーモアのちからに学ぶ

2024年12月16日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *   

 遊戯療法家の田中千穂子さんの『障碍(しょうがい)の児(こ)のこころ-関係性のなかでの育ち』(2007・ユビキタスタジオ)を再読しました。

 この本もずいぶんいい本なのにかなりのひさしぶりで、自分の勉強不足を反省させられます。

 この中では、知的障碍で何らかのご事情から困難に陥ってしまった人たちへの田中さんの心理相談などの援助の様子が描かれています。 

 かなりの事例が描かれ、その困難さを障碍者の人と一緒に少しずつ解決をしていく、あるいは、馴染んでいく田中さんの粘りとていねいなアプローチは感動的です。 

 また、何かとたいへんなご家族にもていねいにより添う田中さんの姿もすばらしいです。 

 そして、それらの援助活動の底には、やはりユーモアの力の大きさを感じさせられる場面が数多く描かれています。

 たくさん学ぶべきところがあった中で、今回、じーじが一番、すごいと思ったのは、ある障碍者の女の子とのプレイセラピー。

 女の子がカウンセラーの田中さんを刀で切り刻むというプレイをした時に、田中さんがその凄惨な場をユーモアで笑いに変えようと、手足をわざと間違えて再生し、プレイルームを笑いの場に変えてしまい、再生の物語に変えていくというプレイをしたところでした。  

 どんなに苦しい場面であっても、ユーモアで切り抜け、生き残り、クライエントを守るという治療者としての田中さんの姿に感動しました。

 あらためてユーモアの力のすごさを考えさせられました。

 もっともっと勉強と経験を積み重ねようと思います。         (2017?記)

     *

 2024年12月の追記です

 ご紹介した事例は、女の子の行動が激しくて、さすがの田中さんも困難さを感じますが、田中さんの機転のきいたユーモラスな対応で、笑いが生じて、すごく生き生きとしたセラピーになっています。

 田中さんの即興性やユーモアのすごさがとても印象的な事例です。         (2024.12 記)

 

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宮下奈都 『神さまたちの遊ぶ庭』2015・光文社-北海道の「大地」と「人々」の「大きさ」を味わう

2024年12月16日 | 北海道を読む

 2016年のブログです

     *  

 素朴で,穏やかで,温かい小説をたくさん書いておられる宮下奈都さん。

 そんな自然体の宮下さんが北海道での自然たっぷりの生活を記したエッセイ集『神さまたちの遊ぶ庭』。

 とても面白く,興味深くて,一気に読んでしまいました。

 北海道を愛する夫の希望で,福井からトムラウシに移り住んだ宮下さんご夫婦と3人の子どもたちの笑い話のような,しかし,大自然での素敵な生活を綴ります。

 エゾシカやキタキツネ,さらには,ヒグマも出てくるという知床並みの秘境。

 トムラウシは日本百名山トムラウシ山のふもとにあり,大雪山国立公園の真ん中にあるので,当然といえば当然ですが,びっくりすると同時に,うらやましくなります。

 ちなみに,「神さまたちの遊ぶ庭」とは,アイヌ語の「カムイミンタラ」の訳で,大雪山のことを指します。

 大自然とその中にある小さな学校と温かい地域の人々の中で,子ども達はどんどんたくましくなり,おとなたちも変化してきます。

 広い大地と自然豊かな環境は,いつのまにか人々を癒し,成長のエネルギーを与えてくれるのかもしれません。

 近くのスーパーまではなんと車で30分!

 しかし,通勤に2時間以上かかる都会に比べて,どっちが不便だ?!,と著者は静かに訴えます。

 便利さに馴れて,大切なものを見失いがちな私たちに,いろいろなことを考えさせてくれる一冊だと思います。       (2016 記)

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 2023年10月の追記です

 子どもたちが小さかったころ、まだ家族がじーじと一緒に北海道旅行をしてくれて(?)、トムラウシ温泉の東大雪荘に泊まったことがありました。

 とてもいい宿で、特に露天風呂は最高でした。

 翌朝、朝食会場に行くと、登山客でいっぱいで、家族でまとまって座る席がありませんでしたが、登山客のかたが席を譲ってくださって、ありがたかった思い出があります。

 登山客のかたはこころが優しいんだなと思った記憶があります。         (2023.10 記)

 

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成田善弘『精神療法家のひとりごと』2019・金剛出版-じーじのひとりごととはだいぶ違います

2024年12月15日 | 精神療法に学ぶ

 2019年のブログです 

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 成田善弘さんの『精神療法家のひとりごと』(2019・金剛出版)を読みました。

 新刊です。すごいですね(!)。

 しかも、じーじのひとりごととは違って、中身が充実しています。

 本書は雑誌「精神療法」に連載されたエッセイなどをまとめたもので、精神療法についてのお話が読みやすい形で書かれています。

 読みやすいのですが、内容はかなり深いので、読んだ後にも余韻が残って、いろんなことを考えさせられます。

 印象に残ったことを一つ、二つ。

 まずは、患者さんの問題行動を病理の現われとして見るのではなく、患者さんなりの現実への対処と見るという視点。

 患者さんの努力はぎこちなく、不適切で、逆効果になりやすいですが、彼らなりの努力であると見ることで、問題行動を捉える見方が違ってくると述べます。

 鋭いですし、一方で、温かい理解だと思います。

 次に、先日の神田橋さんの本にも出てきましたが、患者さんの近未来の動きを予想することの大切さ。

 そのことで治療者の仮説が検証でき、また、一方で、予想が当たらない時には患者さんなりの努力が見えると述べられます。

 当たらないことで、今まで治療者に見えていなかった患者さんの一面が見えて、理解が深まるようです。

 さらに、治療者の質問は、なぜなんだろう、とひとりごとのように言うのがいいということ。

 自然に生じてきたような質問がいいと思う、と述べられていて、参考になります。

 そして、患者さんがそれまで考えてこなかったようなこと、思ってもみなかったようなことに出合うこと、患者さんにとって新しい発見になるような面接が望ましいと述べられています。

 やさしい言葉で、深いことが述べられていて、すぐにでも実践にいかしていきたいと思うことがらが多くありました。

 さらに勉強と努力を積み重ねていこうと思いました。           (2019.4 記)

 

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さーちゃんは英和じてんをもう使っていますか?あーちゃんはカメラをもう使っていますか?-じーじからのお手紙

2024年12月15日 | じいじの手紙を書く

 2024年12月、中2と小5の孫娘たちへのお手紙です

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 さーちゃん・あーちゃん、元気ですか。

 じーじはこしがいたいけれど、なんとか元気です(?)。

 ばーばはものすごく元気です(!)。

 さーちゃんに質問なのですが、さーちゃんは英和じてんをもう使っていますか。

 使っているようなら、じてんのなまえと出版社を教えてくれませんか。

 この間、あーちゃんが来たときに、じーじの部屋で英語のお勉強(?)をしたのですが、「きゅうり」を英語でなんというか、じーじはわすれてしまっていました。

 じーじは英語だけはとても苦手なので(?)、中学生の英和じてんと和英じてんでお勉強をしたいと思っています。

 もう使っているようなら、ぜひ教えてください。

 友達が使っているじてんのなまえでもいいです。

 あーちゃんは、このあいだ買ってもらったたんじょうびプレゼントのカメラは使えるようになりましたか。

 こんど、はずかしがりやさんのさーちゃんの写真をこっそりうつして、じーじのパソコンに送ってください。

 送りかたはママが知っているらしいので、ママにお願いしてみてね。

 楽しみに待っています。

 そちらは雪がだんだん積もってきているようですね。

 気をつけて、冬休みまで、がんばってくださいね。

 お正月にまた会えるのを楽しみにしています。

 にいがたのじーじより

 (2024.12 記)

 

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神田橋條治・滝口俊子『不確かさの中を-わたしの心理療法を求めて』2002・創元社

2024年12月14日 | 心理療法に学ぶ

 2019年のブログです

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 神田橋條治さんと滝口俊子さんの対談『不確かさの中を-わたしの心理療法を求めて』(2002・創元社)を再読しました。

 これもずいぶん久しぶりの本で、アンダーラインがあまりなかったのも、先日の下坂さんの本と同じです。

 しかし、この本も再読をしてみるとすごい本で、当時のわたしは本当に何を読んでいたんだろうと、反省すること大です。

 良く解釈をすれば、この20年ほどの間に、これらの本が少しは理解をできる程度に成長してきた、といえるのかもしれませんが、それにしてもお粗末です。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、これも最近よく目にしますが、部分の中に全体がある、という考え方。

 神田橋さんは、フラクタル理論から思いつかれたとのことですが、精神分析ではいろんな方が同じような趣旨のことを言われます。 

 だからこそ、今、ここで、の重要性が強調されることになります。

 二つめは、これもよく指摘されますが、現在によって過去の記憶が変わるということ。

 ゆえに、現在を充実させられれば、過去の記憶も充実したもの、意味のあるものに変化をする可能性があるということで、心理療法の意味付けにもなりそうです。

 こういう大切なお話が、神田さんと滝口さんの人生を振り返りながら話されますので、すごい読み物になっています。

 お二人とも、ご自分の信ずる道をていねいに生きてこられた方なので、その語りには重みと説得力があります。

 特に、神田橋さんのお話は、やや毒舌気味とところがありますので、痛快です。

 その神田橋さんでも、中井久夫さんの天才ぶりには圧倒されっぱなしのようで、中井さんがいかにすごい人なのかがわかります。

 この本も読んで損をしないいい本だと思います。

 こちらもまた数年内に再読をぜひしたいなと思いました。      (2019.4 記)

      *

 2022年2月の追記です

 よく考えると、本書の題名である、不確かの中を、という言葉も、わからないことやあいまいさに耐えることの大切さ、と関係しているように思います。      (2022.2 記)

 

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立原正秋『冬のかたみに』1981・新潮文庫-その2・暗い時代を勁く、凛と生きる少年とその後

2024年12月14日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を久しぶりに読む。

 おそらく6年ぶり。

 日本が朝鮮を併合していた時代、朝鮮の臨済宗の寺で育つ日朝混血の主人公を描く。

 主人公の父親も僧侶であったが、日本人と朝鮮人のはざまで苦悩し、主人公が幼少期に自殺をする。

 主人公は、その後も寺の老師や先達に見守られて、禅の世界の中で精神的な成長をとげる、という物語である、と理解をしていた。

 今も物語の内容はそれでよいと思うのだが、今回、今ごろになって、この物語の底流に、この時代背景としての日本の朝鮮併合や軍国主義、侵略などの問題が大きく横たわっていることに気づかされた。

 小説の中で、主人公の朝鮮人の祖父は日本に協力をした地主として登場し、これが父親の自殺のもととなってしまう。

 また、当時、ベルリンオリンピックで朝鮮の選手がマラソンで優勝をするが、新聞には日の丸をつけた写真が載る。

 さらには、朝鮮から中国に出征をする兵士を朝鮮人の子どもたちが日の丸を振って見送る。

 そして、ある日、突然に、朝鮮人の子どもたちが学校で朝鮮語を話すことを禁止され、日本語が強制される。

 立原さんは声高ではないが、侵略をするものの傲慢さと侵略をされるものの苦しみ、支配するものの驕りと支配されるものの哀しみを時代背景として淡々と描く。

 しかし、今、ロシアのウクライナ侵略を目のあたりにすると、問題の根の深さに思い至る。

 よい小説はおそらくその中に多義的な意味を含んでいると思うが、村上春樹さんの小説と同じで、この小説も多義的で多層的なさまざまな意味合いを内包しているように思える。

 今頃気づくようではかなり遅いと思うが、それでも遅いなりにそういうことが見えてきたことには感謝したいと思う。

 人生を深く掘り下げた、よい小説だと思う。        (2023.5 記)

 

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成田善弘『セラピストのための面接技法-精神療法の基本と応用』2003・金剛出版-成田善弘さんのていねいな精神療法に学ぶ

2024年12月13日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

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 精神科医で精神療法家の成田善弘さんの『セラピストのための面接技法-精神療法の基本と応用』(2003・金剛出版)を久しぶりに再読しました。

 この本も、とてもいい本なのに、じーじの怠慢ゆえに、かなり久しぶりになってしまいました(成田さん、ごめんなさい)。

 四十台後半、じーじが家族療法学会や思春期青年期精神医学会、さらには、精神分析学会などで学びはじめた頃に読み、以後、参考にさせていただいてきている基本的な本です。

 内容はとても深く、今でも学ぶところがいっぱいありますし、今回も勉強になったところがたくさんありました。

 いい本というのは、こちらの経験が深まるにつれて、学べるところも多くある本のようです。

 懐かしかったのは、成田さんが編者のお一人だった『転移/逆転移』(1997・人文書院)と『共感と解釈』(1999・人文書院)に載った二つの論文。 

 じーじはこの頃、共感や逆転移のことで悩んでいたこともあって、とても勉強になった記憶があります。

 また、この二つの論文集には、当時はまだ大家になる前の藤山直樹さんと松木邦裕さんがすばらしく切れのいい論文を書かれています。

 以来、じーじはお二人の本を読んだり、精神分析学会でじっくりとお話をお聞きするようになったという、じーじにとってはとても大切な本でもあります。

 もう一つ、今回、勉強になったのが事例検討についての論文。

 特に、参加をする際の心構えが丁寧に論じられていて、参考になりました。

 事例提供者にも、参加者にも、両方に役立つあり方が述べられていて、優しく、温かい、成田さんらしい心配りに感心させられます。

 じーじも新潟で事例検討会に参加させてもらっていますが、事例提供者のかたに少しでも役に立ち、かつ、自分でも勉強になるような参加の仕方をさらに考えながら、続けていきたいなと思いました。

 まだまだ、勉強を深めていかねばならないなと思わせられるいい本でした。        (2017?記)

     *

 2024年4月の追記です

 逆転移は今もじーじの大きな課題。

 患者さんに陰性の感情を抱く時や患者さんに陰性感情を向けられた時はなかなか大変です。

 ただ、精神分析では、治療者が患者さんに陰性の逆転移を抱く時、患者さんも同じような感情になっていることが多いので、その時の患者さんの陰性感情についてさまざまに考えることが大切になると述べられます(これで合っていると思うのですが…)。

 実際にはなかなか難しいことだと思いますが、逆転移からの少しの心的な距離が、新しい展開に繋がることもあるのかな、と思ったりします。       (2024.4 記)

 

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立原正秋『冬のかたみに』1981・新潮文庫-その1・勁く、凛とした、おとなの小説

2024年12月13日 | 立原正秋さんを読む

 たぶん2017年のブログです

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 本棚の上に積み重ねられた文庫本の中に、立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を見つけたので、ものすごく久しぶりに読んでみました。

 おそらく30代に読んで以来なので、30年ぶりくらいの再読です(立原さん、ごめんなさい)。

 立原さんは、じーじが20代から30代にかけて集中的に読んでいた小説家ですが、今では同年代の人達くらいにしかわからないかもしれません。

 名作『冬の旅』が有名で、じーじは非行少年たちが主人公のこの小説を読んで、結局、家庭裁判所調査官になりました(この小説を読んで調査官になったという人をじーじはほかに2人知っていますので、この小説の影響力はすごいと思います)。

 『冬の旅』もしばらく読んでいませんので、そろそろ再読をしようかな、と思っているのですが、なにせ、昔、何度も読んでいるので、じーじにしてはめずらしく(?)、まだあらすじをぼんやりと覚えており、こちらはもう少ししてから再読をしたいな、と楽しみにしています。

 さて、『冬のかたみに』ですが、やはりよかったです。

 まったく色褪せていません。

 というか、年を取ったことで、ようやくわかってきたことも多くありました。

 立原さんの小説は文章が美しく、力強く、正確な日本語が特徴ですが、この小説では、特に、これらの点が際立っています。

 主人公が幼少期から韓国の禅寺で育ち、禅の世界でよき師匠に出合い、厳しくも温かく見守られて成長し、精神形成をしていくという小説ですので、物語と文章が鮮烈で、凛として、とても美しいです。

 ともすると、私達は、時代に流され、欲に流されがちですが、そんな弱い自分に喝を入れられそうな感じがしました。

 今後もまた読みたい、いい小説でした。        (2017?記)

     *

 2020年11月の追記です

 立原さんの『冬のかたみに』を読むと、一度、韓国のお寺に行ってみたいな、と思うことがあります。

 わが家の美人ちゃんばーばが、韓流ドラマに熱中している(?)今がチャンスかもしれませんが…。        (2020.11 記)

 

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藤山直樹・伊藤絵美『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』2016・岩崎学術出版社

2024年12月12日 | 藤山直樹さんを読む

 2016年のブログです

       *      

 藤山直樹さんと伊藤絵美さんの『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』(2016・岩崎学術出版社)を読みました。

 とてもおもしろかったです。

 そして、とても勉強になりました。

 この中で藤山さんが精神分析のエッセンスを講義されているのですが、おそらくじーじが今まで読んだ精神分析の説明の中で、一番わかりやすくて、かつ、一番深いものではないかと思います。

 もちろん、それは藤山さんなりの「精神分析」なのですが、だからこそ、藤山さんファンのじーじには宝物のような講義でした。 

 ここで、じーじがうれしかったのは、治療者がたとえ失敗をしても厳然と「そこにいること」の大切さが述べられていて、このところ、このことを考え続けているじーじにはとても勉強になりました。

 そして、失敗は必須のものではないか、とか、必然のものではないか、との指摘は今後の大きなテーマだな、と思いました。

 考えてみれば、ウィ二コットさんもそのようなことを述べていることを思い出しました。

 もっと勉強が必要です。

 藤山さんの精神分析への熱い思いは、まだまだ精神分析の初心者のじーじのこころにもかなり深く響いてきて、今後も何度も読み返して、理解を深めたいと思いました。

 また、伊藤さんとの対談も面白く、認知行動療法との異同を考えながら、心理療法全般のことを考えました。

 二人のこころの臨床家の対談にいろいろと触発をされて、もっともっと勉強をし、実践を積み重ねていきたいなと思いました。        (2016 記)

     *

 2024年12月の追記です

 失敗は必然のものではないか、という言葉を今も考え続けています。

 カウンセラーがいろいろと失敗をすることで、クライエントさんが、こんなことでは大変だ、自分も頑張らなければ、と自立の契機になるのかもしれません(?)。

 カウンセラーが失敗ばかりでは困りますが、適度な失敗はクライエントさんの成長にも必要なのかもしれません。

 親子関係でも、ウィニコットさんがいうように、完璧な母親ではなく、ほどよい母親のほうが、子どもの成長や成熟には大切な気がします。

 病的に完璧な母親(父親もそうですが)はむしろ、子どもの成長を阻害する可能性もあります。

 おおらかで、たまに失敗をして、子どもに憎まれても、ごめんね、と素直に謝って、子どものそばに居続けるような親がいいのかもしれないなあ、と考えたりしています。        (2024.12 記)

 

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野沢尚『反乱のボヤージュ』2004・集英社文庫-古びた学生寮の取り壊しをめぐる人間模様

2024年12月12日 | 小説を読む

 2021年12月のブログです

     *

 野沢尚さんの『反乱のボヤージュ』(2004・集英社文庫)を読む。

 すごく久しぶり。

 当然、内容は全く忘れていて、若者小説なので、あまり期待しないで読み始めたが(野沢さん、ごめんなさい)、これがすごい面白い。

 じーじの中で、今年のベスト3に入りそう。

 ある大学の、古びた学生寮の取り壊しをめぐる人間模様。

 例によって、あらすじは控えるが、自治会の学生、ノンポリの学生、運動部、応援団、途中から加わる舎監、などなどの中で、主人公の成長が描かれる。

 ノンポリの学生も、みんな、さまざまな事情を抱えていて、それを描く野沢さんの筆はすごい。

 そして、温かい。

 それが単に甘いだけでなく、生きる切実さを伴っているので、深く、哀しい。

 なかなか深い良質の小説だ。

 以前、読んだ時には、ひょっとすると、この深さがよくわからなかったのかもしれない。反省。

 しかし、この年になってでも、こういう良さを味わえたことは幸せだ思う。

 うっかりもののじーじゆえ、こういう読み落としもきっとたくさんあるに違いない。

 謙虚に読書と勉強に励みたい。        (2021.12 記)

 

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広瀬徹也編『精神療法の実践的学習-下坂幸三のグループスーパービジョン』2004・星和書店

2024年12月11日 | 精神療法に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 広瀬徹也さん編集の『精神療法の実践的学習-下坂幸三のグループスーパービジョン』(2004・星和書店)を再読しました。

 この本は広瀬さんが帝京大学精神科の教授をされていた時に、下坂幸三さんから若手精神科医がグループスーパーヴィジョンを受けた時の記録で、下坂さんの前には土居健郎さんが同じようにスーパーヴィジョンをされていたようで、夢のように贅沢な研究会の記録です。 

 実際、今回、再読をしてみて、改めて勉強になるところが多々あり、いい本だな、と今さらながら感心をしました。

 2004年の本で、じーじが購入したのはいつだったかはっきりしませんが、それにしてもずいぶんのご無沙汰で、もったいないことをしてしまいました。

 しかも、前回は、アンダーラインがあまり引かれておらず、当時のじーじは何をしていたのでしょうか、やや不明です。

 今回は、アンダーラインも付箋もすぐにいっぱいになりました、エッヘン!(もっとも、どれだけ内容を正確に理解できたかどうかはなぞですが…)。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、患者さんにマイナス感情を抱いた時には、少し冷静に学問的に両者の関係を捉えるようにすると、マイナス感情が薄まることがあるということ。頷けます。

 二つめは、最近、よく出てきますが、治療者が早わかりをしないで、患者さんの言葉を、一つ一つ細かく聞いていくことの大切さ。耳が痛いです。

 特に、世間的にも常識になっているような言葉、たとえば、共感とか、過保護とか、過干渉とか、そういうなんとなくわかる言葉を勝手に早合点することなく、患者さんにとってのその言葉の意味するところを再確認していくことが大切になるようです。

 三つめは、問題行動の中にポジティヴな要素を見出すこと。

 しばしば患者さんの回復の兆しが問題行動の中に潜んでいることをスーパーヴィジョンの中で下坂さんは指摘されます。

 すごいな、と思いますし、本当に患者さんのことを考えているんだな、ということがわかります。

 ひとつだけびっくりしたのは、下坂さんでも仕事が大変で抗うつ剤を飲んだ時期があったということ。

 そういうことを正直に話される下坂さんは信用できます。

 まだまだ他にも有益な箇所がたくさん出てきます。

 こんどは早めにまた、再読をしたいと思います。        (2019.4 記)

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 2022年9月の追記です

 患者さんにマイナス感情を抱いた時の対応が参考になります。

 じーじは未熟者ですので、そういうことはよくありますが(?)、下坂さんが、学問的に、とおっしゃっていますが、少し距離を取って、第三者的な目で見ると、やや冷静になれることもあるようです。

 むずかしい実践ですが、頑張りたいと思います。         (2022.9 記)

     *

 2024年12月の追記です

 同じ言葉でも人によってその意味する内容が全然違うということはとても大事なことですが、ひょっとすると同じ光景を見ていても、人によってそのその意味する内容が全然違うのではないのかな、と最近、思ったりします。

 夫の妻への言葉が、夫は何気ないつもりが、妻には暴言に聞こえる、妻には暴力に体験される、ということはありそうです。

 同じように、親の子どもへの言葉が、親はしつけのつもりが、子どもには虐待に聞こえる、虐待をされているように思う、ということもありそうです。

 言葉だけでなく、ある人の行動が、他の人には違った意味合いを帯びて体験されるということが、人間関係の争いやこころの傷つきなどには多くあるのかもしれません。

 そして、そういうことが、離婚の裁判での主張の違いや、虐待の裁判での主張の食い違いなどに現われているのかもしれないなあ、などと考えたりしています。       (2024.12 記)

 

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沢木耕太郎『イルカと墜落』2009・文春文庫-沢木さんのアマゾン河奥地紀行を読む

2024年12月11日 | 沢木耕太郎さんを読む

 2018年のブログです

     *   

 先日、テレビを見ていたら、なんと沢木さんが出てきました。

 アマゾン河の奥地に住む未接触人種の調査に行くというドキュメンタリーの再放送でしたが、テレビで見る沢木さんもなかなかかっこよかったです。

 そんな折、たまたま本棚を眺めていたところ、本書を見つけてしまいました(こういうことがあるので、じーじはユングさんが好きです)。

 墜落?、と思って、背表紙を読んでみると、沢木さんの乗った飛行機がアマゾン河奥地で墜落をしたらしいのです(再読なのに、その記憶が全然戻ってこないのが、我ながら、すごい!(?)と思ってしまいましたが…)。

 というような次第で、沢木さんのアマゾン河大冒険を読みました。

 イルカ、はアマゾン河で出合います。

 それも、ピンクのイルカで、沢木さんには相当印象深かったようです。

 船旅での現地の人々との交流に描かれる沢木さんは、『深夜特急』の時と同じで、自然体でユーモラスで、読んでいて心地よいです。

 そして、いよいよ飛行機に搭乗。

 おんぼろセスナ機に乗って、窓の外を眺めていると、なんと燃料が漏れ出し、だんだんと高度が下がり、機長が、荷物を捨てろ、と叫びます。

 沢木さんは偉そうにしていた機長のカバンを真っ先に外に投げて、沢木さんらしい(?)ところを見せます。

 と、なぜか、ここでじーじの記憶が戻ってきて、確かに、この部分だけは、読んだ記憶が…。

 記憶って不思議だな、と思いました。

 飛行機は結局、農地に墜落をするのですが、乗っていた人はみなさん、多少の怪我だけで済むという奇跡。

 機長が沢木さんに、俺のカバンを知らないか、と聞きますが、沢木さんは知らないふり。

 沢木さんらしさが爆発です(ここもなぜか記憶に残っていて、じーじはこういうお話が大好きなのかもしれません)。

 墜落の様子を沢木さんは克明にリポートして、さすがは名ルポライターと感心させられます。

 解説によれば、翌年、さらに調査を続行し、その時の未接触人種との遭遇がテレビ番組のメインになったようで、それをじーじは見たようです。

 未接触人種の二人が、最初は警戒しながらも、最後に沢木さんを招くシーンは印象的でした。

 いいテレビ番組といい本に出合えたことに感謝したいと思います。        (2018. 12 記)

 

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松木邦裕『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』2016・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年12月10日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

     * 

 松木邦裕さんの『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』(2016・創元社)を読みました。

 松木さんの研究会での講義や学会誌の論文などを集めた本ですが、充実した内容です。

 総論的な論文もありますが(少し難しいですが、とても勉強になります)、じーじが今回、特に勉強になったのが、「喪失ということ」と「不毛ということ」という文章。

 いろいろと考えさせられました。

 このところ、なぜか「対象喪失」のことを考えることが多いのですが(老人になったせいでしょうか)、やはり精神分析の中心テーマの一つだろうと改めて思います。

 老人だけでなく、若い人や子どもさんであっても、新しい出会いとともに対象喪失が常にあるんだろうなと思います。 

 そうして、うまく対象喪失をしていくこと、さらには、それを周囲からうまく支えてもらうことが、「育てられること-育つこと」なんだろうなと思います。

 まだまだ考えが深まっていませんが、そういったことを臨床をふまえながら、さらに考えていきたいなと思っています。

 また、「不毛ということ」については、松木さんがその反対のことを語っているこの文章を引用したいと思います。

 「こころは、こころで感知することしかできない。感知した痛みを通して“生きづらさ”を抱えたこころの本性を知るのである」

 こころの営みの大切さとすごさを語っていると思います。

 全編に松木さんの強い思いが感じられるいい本です。          (2016 記)

     *

 2023年3月の追記です

 最後の、こころで感知する、というところは、普通は、共感、という言葉が浮かびますが、ここではもっと深い営みである、投影同一化という言葉が思い浮かびます。

 治療者からの一方的な働きかけではなく、治療者と患者さんの双方による無意識の相互作用をいかに意識化して、コンテインしていくかということを述べておられるように感じます(合っているといいのですが…)。

 もっともっと勉強しなければなりません。        (2023.3 記)

 

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司馬遼太郎『北のまほろば-街道をゆく41』1997・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年12月10日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『北のまほろば-街道をゆく41』(1997・朝日文芸文庫)を再読しました。

 久しぶりです。 

 読むのは3回目くらいでしょうか。

 本書は司馬さんの1994年の青森の旅の紀行文。

 当時、『週刊朝日』に連載中に、なんと、三内丸山遺跡が発掘されるという大ニュースがあり、司馬さんは再度、訪れたりしています。

 まさに運命的な出会いですね。

 それまでにも、亀ヶ岡遺跡(宇宙人のような土偶で有名)や十三湖遺跡(アジアとも交流をしていた貿易港)を見て、古代の青森の偉大さに思いをはせていた司馬さんが、4500年前の縄文時代に栄えた大集落とその巨大な建造物を見て、さらに自らの考えを補強されたことは間違いありません。

 弥生人による米作中心の歴史が始まる前の、自然豊かな時代に青森を中心とする東北地方の縄文人はとても豊かな生活を送っていたことが実証されたわけで、画期的なことだったと思われます。

 しかも、そういう事実を何となく知っていたかのような記述をすでに江戸時代にしている菅江真澄も登場してきて、司馬さんの歴史観の確かさはすごいです。

 ちなみに、菅江真澄という人は江戸時代に北海道にも渡って、アイヌの生活を記録に収めており、じーじも大好きな旅行家・民俗学者・薬草家で、江戸時代の司馬さんみたいな人です。

 司馬さんのお話は縄文や遺跡に留まらず、いつものようにその博識ぶりは驚くばかりで、津軽、南部、下北のお話をくわしく展開されて、全くあきません。

 個人的には、戊辰戦争で負けて、下北半島に島流しにされた会津藩のお話が辛いです。

 戦争は人を悪魔のようにしてしまうということがよくわかります。

 じーじはなぜか敗者の歴史に共感してしまうきらいがありますが、いずれにしても戦争はよくありません。

 勝っても負けても、人が人でなくなってしまいます。

 青森の地に立つと、そういうことが実感できるのかもしれません。

 来年の夏は、北海道だけでなく、青森にも寄ってみたくなりました。         (2018. 12 記)

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 2023年12月の追記です

 その後、この翌年の2019年のゴールデンウィークに三内丸山遺跡などを訪れました。

 当時の拙い文章が、「ひとり旅で考える」欄にありますので、よろしかったら読んでみてください。        (2023.12 記)

 

 

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河合隼雄・中沢新一『仏教が好き!』2003・朝日新聞社-仏教・科学・哲学を考える

2024年12月09日 | 河合隼雄さんを読む

 2015年のブログです

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 河合さんと中沢さんの仏教と臨床心理学に関する対談の本ですが,10年ぶりに再読しました。

 河合さんはユング心理学を基本に臨床心理学全般を深めたかたですが,晩年は仏教,特に,華厳経にも関心をもたれていたようです。

 本書はそんな時期の河合さんが宗教学者の中沢さんに仏教全般に関する講義をお願いし,それを臨床心理学の観点から深めたものと言えます。

 内容は多岐にわたりますが,西洋哲学と仏教,キリスト教と仏教,深層心理学と仏教,医学と仏教,科学と仏教などなど,どれもお二人の真摯な対話が続きます。

 10年前には読み落としていた点がいっぱいあり,とても刺激になりました。

 じーじもさらに謙虚になって,もっともっと勉強を深めなければならないと思いました。       (2015.6 記)

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 2021年6月の追記です

 久しぶりに再読をしました。

 読み返してみると、お二人の間ですごく深い内容が話されています。

 駄洒落好きだった河合さんが中沢さん相手にとても楽しそうに対談をされていますが、内容は深いです。

 今回もいろいろと学ぶところが多かったのですが、印象に残ったのが井筒俊彦さんの存在。

 一神教と仏教を貫く宗教のあり方とでもいうのでしょうか、宗教の本質について述べられているように思われました。

 井筒さんの本はじーじも好きで何冊かは読んでいますが、さらに読み返したほうがいいように感じました。

 新しい刺激をさらにもらえる、とてもいい本です。       (2021.6 記)

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 2023年3月の追記です

 数学教師からスタートし、軍国主義や精神主義への反発から、徹底的に科学性、合理性を追求された河合さんが、仏教に興味を持たれたことはとても面白いなあと思います。

 真の意味での宗教性に触れる何かを感じられたのかもしれません。       (2023.3 記)

 

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