政権末期の日本に欧米の経済不安による超円高が押し寄せている。
東日本大震災以降の厳しい経済状況、
国のエネルギー政策の見通しも見えない中で、
国内で必死に輸出型製造業を維持してきている産業にとって、
相当に厳しい局面が現れてきている。
現代では、資本主義は世界全域での大競争の時代になり、
そのときどきの為替の状況などで、
それこそリスクは普遍的に存在する。
金融は自由に国境を越えて、より有利な運用先を求めて移動する。
そこにモラルはとくに存在しない。
こういった時代背景の中で、各国政府・中央銀行は協調して、
経済運営に当たっていくのだけれど、
その主体者は、各国のさまざまな政治決定システムの結果で選ばれる。
その政治指導者選出の過程で、
主に問われるのは、当然ですがその国民の利益。
で、大きなポイントは経済の活性化とか、景気の動向。
そうであるのに、政治の方の選択システムでは
そのポイントについて、大きな論議が行われるというのは聞いたことがない。
わたしたちの国の現在の首相は菅直人さんですが、
かれがどういう経済運営観を持っていたか、
たぶん、多くの国民はまったく知らなかった。
というか、そういう面から首相の選択の仕方をしていない。
より大きくは、衆議院議員の選挙においても、
そのような選択をわたしたちはしていない。
財政の運営というのは、まぁ、中央銀行たる日銀もあるわけで、
ひとり政府運営者だけの問題ではないのだけれど、
今日の政治運営システムの中で、この財政運営はどういう選択が必要なのか、
という論議が起こってこないのはどういうことなのだろうと思います。
たぶん、だれが主体者になっても難しい、
ということを表しているのだろうけれど、
そうだからといって、運営システムについて、
マスコミなどでの論議がないというのも、おかしいと思っています。
まぁ結局、国の運営を任された政治指導者が、
経済財政運営の仕方にも、その適任者を任命するという形で
責任を取る、というのが限界的な対応と言うことになってくるのでしょう。
しかし、政治の結果責任でかなり大きなポイントになっている問題で、
おおまかではあれ、政治指導者の素養の部分が見えないで
指導者選択をするという現状も、やはり危険率は高い。
菅直人さんが、基本的に増税論者である、ということは
なってみてからわかった、というのが多くの声ではないのか。
このあたり、いつも疑問に感じています。