きのうは先週の出張から札幌に帰ってきて
久しぶりに「なにもしない」で、休養に努めておりました。
肉体的なばかりではなく、神経的にも疲れが出ていて、
ちょっと自分でも反省するような部分が見られたりしたので、
本当になにもせず、ひたすら寝たり、考えないようにしたり、
そのように務めておりました。
おかげさまで、そうすると
少しは頭が回るようになって、
やる気が出て参りますね。
人間,オンがあれば、オフもあるっていうのが必要だと痛感。
で、カミさんが「倉本聰さん、テレビに出ているよ」
って、知らせてくれまして、
昨年から今年前半に掛けて、ずいぶんお世話になったので、
日ハムの試合以外で、大変久しぶりにテレビを見続けておりました。
BSフジテレビだと思いますが、
「北の国から30周年」という特別番組でして
始まって30分くらい経ってからだったので、全体的な視聴ではありません。
全体としては、東日本大震災以降の状況変化の中で
倉本聰さんが、いま、どんな考え方をしているのか、
そんな展開でお話が進んでおりました。
昨年10月からことし6月くらいまで、
2度の対談や、舞台鑑賞も2度ほどあって
富良野や倉本さんとは、親しい時間を共有してきています。
で、最近6月の舞台でも、ずいぶん、涙を流させていただいた。
6月の舞台は「帰国」で、戦後の意味を問い直すものでしたが、
やはり感じていたとおり、
東日本大震災のことが、大きな思索テーマになっている様子がわかりました。
戦後社会は、欧米的価値観の「資本主義思想」が明治の開国以上に
日本社会に圧倒的になだれ込んできた社会である、
という認識が倉本さんに強くあって、
今回の大震災から、その総体への問い直しが始まるのではないか、始めなければ
っていうような問題意識が、大きく出ていたように思います。
明治の開国というのは、欧米列強に対して
それに対抗していこう、という気分が濃厚な
「近代国家」競争意識が遙かに優先した社会であって、
「資本主義」というよりは、剥き出しの帝国主義国家間戦争に対して
日本人社会が、雪崩を打って突入していった社会だった。
それは、一部では独占的な「財閥」を生み出した社会ではあったけれど、
それ以上に、国家主義が優先され、
暮らしや生活の価値観は、江戸期までの社会とそうは違っていなかった。
質素倹約、刻苦勉励という規範が強く存在していた。
少なくとも、倉本聰さんはそういう気分を強く持っていると思います。
戦前までのこうした社会規範が倉本聰さんの心理の基底に存在し
そういう価値観と、現代生活との違和感が強いのでしょう。
そして東日本大震災の経験から、そこに回帰するしかないのではないか、
そのように思われていると思います。
表題のような、便利さを捨てる時代に「ならねばならない」のではないかと
作家的直感が、そう感じさせているように思います。
番組は、いくつかのテーマについて
倉本聰さんが語り続ける、という構成になっていて
そういう意味では、ここ最近のわたし自身の心象にも近くて
非常に興味を強く感じて見させていただいた次第です。
このテーマ、簡単にどうであるとは言い切れないテーマだと思っています。
ひとつだけ、
「復旧」という言葉への違和感については、
まったくその通りだと思いました。
復旧は、だれも心の中で思い続けてはいないだろうというのは、
実感として、たいへん伝わってきた言葉でした。
問題意識が違う部分もあるのですが、
その後のことを、倉本さんに報告したいなぁとも思った次第です。