まことに尾籠な話題で恐縮なのですが、
きのうの取材の折、
やや時間からは早かったので、ちょうどよくあった近隣の公園で
トイレを済ませたいと考えて探してみた次第。
この公園、なかなかに整備され、しかも広大なもの。
都心皇居からクルマで30分ほどの距離で、
古くからの「住宅街」の端正さを表しているかのようです。
きちんとした「都市計画」の存在も感じさせていて、
なかなか東京は奥行きが深い。
で、肝心のトイレ、
あれ、どこかな、と探していて
とある建築的装置には目が行ったのですが、
どうも見た感じ開放的で、どっちかというと
モダンデザインの「東屋」か、それとも「水場」としか見えない。
通りすがりの方で、公園管理的な役目を果たしていそうな雰囲気の方がいて
質問してみたら、やや苦笑気味に
「いや、あれがトイレですよ」という。
その言葉遣いにやや微妙な表現が含まれていて
「そうか、やはりそうは見えませんよね」
みたいな、こちら側の疑問への共感が少し感じられる。
こちらは目的地なので、謝辞を述べて
さっそくくだんの建物に入ってみました。
大変風通しがいい建物でして
男性の方では、通路は完全に開放されております。
また、わたしは小用でしたが、
こちらも視線上部は開放されていて
見たくはなくても、外の風景を見ることができる。
まぁいいようなんですが、実はやや落ち着かない。
大きい方も、見てみたら上部は開放されていて
小用とは違って視線は遮られているようですが
どうもニオイはこれも開放されているようなのですね。
季節は12月でありまして、風には冷気がたっぷりです。
小用を足しながら、ややブルッと来るものは禁じ得ない。
たしかに見た目のデザインは考えているようで、
しかし、使う人間の「ライフデザイン」としてはどうなのか。
まことに寒々しい、という印象を持たざるを得ませんでした。
たぶん、冬場のことは考慮しないことにしているのでしょうね。
しかし、じゃぁ夏場のことを考えても
このようにニオイの「開放感」って言うのはいかがなものか?
使用する方は、開放的で気分がいいと考える人もいるかも知れないけれど、
ちょっと「羞恥心」という気持ちを持った人は
他人へのニオイ公害が気になって使用をためらわれるのではないか。
「公徳心」というものに於いて
このデザインを考え、そしてそれを採用した側は
どのように「折り合いを付けた」のか、
どうにも腑に落ちない気分を感じさせられました。
第一、寒い(笑)。
せっかく公共的使用を考えるべき建築なのに
ひとへの「優しさ」配慮が足りない。
この分では、冬場は利用が激減しているのではないかと
いらぬお節介ですが、心配になった次第です。
まぁ北海道ではきちんと囲ってあっても、
水道の凍結などで冬場はトイレが使えないのが一般的ですから
大きなお世話、とは言えるのですが・・・。
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