三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【万葉集編纂 日本語の成立・進化】

2019年08月04日 09時18分08秒 | Weblog
わたしの好きなBS-NHKの番組に「英雄たちの選択」があります。
日本史を題材に、歴史家の磯田道史さんがMCを勤め
歴史周辺関係のゲストたちと面白く日本民族の深層に迫ってくれる。
先週は「万葉集」についての特集でした。
万葉集の編纂は、奈良・聖武天皇の頃に開始された。
東アジア世界との活発な交流・戦争の時代であった天智天皇(大王)の時代から
白村江の敗戦を経験し、その後朝鮮半島から百済の国家的流入があって、
やがて中国の王権との平和共存が実現していって、
本格的な「国家」が樹立されていった時代なのだと思います。
天智の弟である天武がはじめて「天皇」の即位して、
中国王朝との外交を展開しそれまでの倭国から「日本」に国号を
国際的に認めさせ変更させたとされている。
たぶんこの間の戦争から国号変更に至る過程は、日本の根幹形成期。
そういう時代背景の中で万葉集は成立していった。
書き言葉はまだ漢字しかなくて、それを「万葉かな」ということで、
それまでの「やまとことば」に一音ずつ漢字を「当てて」いた。

明治の初め頃にも、日本はあらたな文明との遭遇から
日本語の創出をしなければならなかったけれど、
ちょうど、この万葉集編纂のころも同様の社会変革時期だったのだと。
日本ではこの時期から身分を超えて社会全体で
言の葉をつかって、万葉な多様なひとびとの感じたことなどが
残され、それを現代人でも「追体験」することができる。
日本語という独自の民族的文化基盤を獲得していった。
漢字という世界標準の言語が導入され、文章博士という存在が
日本全国に派遣されて、普及啓蒙されていくと同時に、
それを使って、この列島で暮らしていたひとびとの心象が表現されていった。
やまとことば、という文字を持たない言語が、
このように表現されるようになった。
そのことによってわれわれと同じような人間感情をもっていたことが、
明瞭に後世までそのことを感受することができる。
そこからでも1500年程度の「文化蓄積」が可能な基盤が形成された。
いまや、その存続時間は世界有数の国家社会。
基盤としての「日本語」というもののありがたさ、
そのために苦闘した多くの先人たちの営為を大いに思わされますね。
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