三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【核の傘に入ると「共犯」なのだろうか?】

2017年12月22日 07時12分35秒 | Weblog
本日は、住宅ネタではなく、メディアネタ。
たまにカミさんの実家に行くと目にする「北海道新聞」さん。
12月12日付の1面トップを見て、強い違和感を感じていた。
北海道で育ったので紙面の雰囲気には馴染みもあるのですが、
広くインターネットで、それこそ海外の報道などとも接する日常からは
こういう紙面を久しぶりに見て、なにこれと思わされた。
報道内容としてはノーベル賞の平和賞をことし受賞したICANという
非政府系組織が受賞のあいさつで語った内容の「要約」のようでした。
核保有国に対して核を廃絶せよという意見を述べ、
北朝鮮などに対して非難を投げかけるという主張を展開し、
さらに返す刀で非核保有国に対しても「集団的安全保障」組織への加盟について
「共犯者になるのか」となじっていたということでした。
こうした主張に対して核保有国のスウェーデン在住の各国大使たちは、
その演説をボイコットしたことも事実として報じられていた。
その記事の要約タイトルとして〝核の傘に入る国「共犯者」〟としていた。
新聞というメディアの端的な現実をみた思いがしました。

このICANの主張自体は理解出来なくもない。
現実政治とはまったく関係なく、いわばユートピアに行きたいみたいな
願望を持って行動され、主張されることは自由。
またノーベル賞委員会がそれを受賞させることも勝手だと思う。
しかしだれが考えても核廃絶がいま実現可能だとは思わない。夢物語。
一方で、核を自国では持たず抑制的に非核保有国であるふつうの国に対し
「共犯者」呼ばわりは、異常な言いすぎではないかと思う。
これではNATOや日米安保などの加盟国はみんな「共犯者」にさせられる。
あまりにも荒唐無稽で小児病的な発言だと思う。
できれば核を廃絶したいのは人として山々だけれど、
少なくとも非道な核開発国に隣接しその脅威にさらされている日本を、
「共犯者」であると罵るのはちょっと人類的常識とは思えない。
であるのに、北海道新聞の1面トップにこの発言の要約が
大見出しになって踊っていることへの、名状しがたい違和感があった。
新聞は自分自身はストレートには言わないけれど、
その主張の大部分に共感するような発言を押し出して誌面構成して「伝える」。
この日に生起した事実の中から、道新はこれを一番に言いたかったのでしょう。
できれば現政権を叩きたい底意が強烈に浮かんでいる。

こういう誌面構成が常態化しているだろうことをまざまざと知らされて、
本当にインターネットがあって良かったと思った次第。
インターネットで初めて「報道」というものと「客観的に接する」ことが可能になった。
現代はそういうことが、幅広く情報の世界で広がっている時代だと思います。
若者がほぼ新聞を購読しなくなりWEBで情報摂取することは、
このような恣意的な意見から自由であることを表しているのだと思います。
WEB時代、もうすこし既存メディアは学ばないものだろうか?
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