三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

高校同期会の1日

2013年08月11日 09時57分23秒 | Weblog



きのうは、年に一度の高校同期会。
ゴルフ会の幹事役で、朝早くからゴルフ場で参集するメンバーのチェック。
段取り手配をあれこれと。
なんですが、ゴルフの幹事なんて、20年以上やっていませんので、
ドラコン・ニアピンの決定もしていませんで(汗)、
「おいおい」「あ、そうか(笑)」という間抜けなやり取り。
ということで、もちろん自分のスコアなんてどうでもよく、
賞品の手配やら、集荷に精を出していたので、
案の定、クラブに球があたらない(泣)。
せっかくニアピンは決めたのですが、
そのフラッグも急遽購入したようなもので、執着がなくそのホールに来ても
ニアピン、ドラコンを忘れている始末。
っていうか、自分たちが乗らなかったら、ニアピンなし、というに等しい。
呆れた進行具合でありますが、楽しいのは楽しい(笑)。
そっち方面、ひたすら吉本系の気遣い仕事の幹事さんであります。
でもまぁ、参加した連中はスコアはよかった。
なんと、優勝者のグロスは74。準優勝で75。
おいおい、でありますが、すばらしくプレーに専念できていたようです。
これはやはり、幹事の配慮の良さがおおいに与っているでしょう。

で、プレー後、
総勢は23名申込みでしたが、参加は20名。
うち女性は2名と言うことで、
いちばんいい賞品を「レディース賞」としてそれぞれ優勝準優勝に送呈。
共学校の女子は、一生こういういい思いを出来る(笑)。
で、急ごしらえの幹事さん、調子がいいぞと
張り切って進行しておりましたが、
順位下位のみなさんから発表して賞を送呈してきて、
最後になって来て、優勝・準優勝者への賞品がなくなってしまった(!)。
いやはや、大失態であります。
満場、期せずしての大爆笑で、
しかしまぁこういう失態にも歳を取ってくるとゆとりがある(笑)。
落ち着いて難をのがれる知恵と方法がなんとか浮かんで参ります。
「実利よりも名誉」というようなワケわかんない言葉をつぶやきながら
どさくさ紛れに、その場をなんとかしのぎ
そこは仲間内・身内の誼みで許しを請うておりました。
ふ~~やれやれであります。
原因は簡単で、コンペでの優勝・準優勝・1位・・・、
という書き方に不慣れで、1,2,という数字を賞品につけていたこと。
で、下から発表していったので、3番目の「1位」のひとで
賞品がなくなってしまったのですね。

というようなことで、
宴もたけなわの夕方から夜の大宴会では
そのことで大盛り上がり。
優勝・準優勝者には申し訳なかったのですが、
負けた人たちに大いに溜飲を下げさせた、
名ゴルフ幹事の名をほしいままにしておりました。
ふ~やれやれagain、であります(笑)。
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auの通信状況

2013年08月10日 05時02分55秒 | Weblog



きのうは、真っ盛りの仕事を抱えつつ、
ある用件で、札幌ー富良野間を往復いたしました。
友人の農家を訪ねてきた次第であります。
それはまぁ、いいのですが、
イマちょうど、テンパっている仕事があって、
佳境なものですから、到着するメールをiPhone5のテザリング機能を使って
通信で受け取って、それをまた別のあて先に送る必要があった。
iPhone5のテザリングって、要するにWi-fi基地局になって、
高速データ通信が可能になるのですね。
これは大変便利で、よく利用していまして、
先日も青森ー札幌の往復中に列車移動中にデータを作成して
停車時間や、到着後のわずかな時間でデータ通信して
仕事が飛躍的にやりやすく、便利になっている。
もうわたしは、この機能から離れられないくらいなのですね。
そんなことで日常やっているもので、
つい、ようし,あれを使えばバッチリだ、と思ってしまった。

友人との用件を片付けたあと、
件のメールが着信したのをiPhoneのメールで確認して
もよりの場所から、っていうか、富良野の中心街から
そのテザリング環境を車中で構築して、試みたけれど、
これがまったく,トロい、トロい・・・。
通信状況を見てみたら、秒あたり1kとか,バカな数値を表示して
まったく仕事には使いようがない。
その上、iPhoneのメールもほぼフリーズに近いような転送速度。
これは、経験を総合すると
どうも富良野という地域での通信インフラが情けないことになっているのではないか。
時間との競争だったので、やむなくマクドナルド店舗ではWi-Fi環境が使えることを
思い出してなんとか滑り込みで送信したけれど、
どうも、時間を過ぎてしまったようで
先方のオフィスに電話しても、通じなくなってしまっていた。
やれやれ、であります。
auの通信状況、どうも最近、あやしい。
まぁ一般人の少ない知識での経験ですから、断定は出来ないのですが・・・、
電話の会話自体もどうも品質が安定していないと思います。
繋がりにくかったり、会話が切断されたり、途切れ途切れになったり・・・。
iPhoneが売上を伸ばして、営業成績は向上しているようですが、
足下の通信環境はどうも、腑に落ちない状況。
先般、大都市圏で大規模な通信障害を起こしておりましたが、
その分のやり繰りで、地方を切り捨てているのではないかと
疑いのまなざしを禁じ得ません。
もうちょっと、ユーザーのことを考えて、
こういうトラブルがないように努力して欲しいと思います。
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海に飛び込んだ「あまちゃん」

2013年08月09日 05時17分27秒 | Weblog



相変わらず、あまちゃんのマイブームは盛り上がっております(笑)。
最初は坊主が見始めていたのに付き合って見ていた次第ですが、
次第に、「そういえば、シナリオの勉強にもなるかも・・・」という
仕事での個人的なスキルアップの必要性にもつながる
免罪符的な目的意識も芽生えてくることで、
一気にフリーク化するほどの入れ込みようになっております(笑)。
ちょうど、シナリオ作家的な仕事もやっている最中だったという機縁もあったワケ。

まずはそんなふうな興味から
若い、といってもアラフォーだそうですが、
才能あふれる宮藤官九郎さんのシナリオの面白さに惹かれています。
あまちゃんは、いろいろな魅力を持っていると思いますが、
わたし的にはそこが最大ですね。
ただ、こういったドラマ、ヒットするには
ある種の「勢い」が必要なんではないかと思うのです。
で、いろいろ感じてきて、
いちばんの魅力は、あの繰り返し流しているタイトルバックの
あまちゃんルックの能年玲奈ちゃんが海に飛び込んじゃうところが
すごく大きいように思われてきた次第。
NHK朝の連続ドラマで、やはり一番うれしいのは、
「元気がもらえる」というところでしょう。
だから、国民的なニュースターを繰り返し生んできたのではないか。
あの、飛び込んじゃう元気の良さには
どうしても抗いがたい魅力の発散がある。
それを毎日のタイトルバックで流し続けている。
おお、行け! みたいな勢いを生み出していると思われるのです。
もちろん、その海が過酷な被災地の海であることを
みんながイメージを共有していることは言うまでもない。
震災津波から2年以上が経過し、そこからの精神的復興を
天然系のいやし感あふれる能年玲奈ちゃんの演技の中でみんなが仮想している。
そしてそのドラマが、
刻一刻と、その震災津波に向かって進行させて行っているという、
展開の仕方に、民族的な共感を惹き付けざるを得ないのではないか。
宮藤官九郎さん、そして制作スタッフの意図に、
国民的な注目が引きつけられるのも、むべなるかなだと思います。
まぁ、わたしなどは、
「大丈夫かよ、こんなに国民を巻き込んで、万一にもコケないか」
というように、シナリオライターに感情移入して見ている有り様。
まぁNHKドラマの座付き作者という、現代の近松門左衛門的な位置に
いま、かれ・宮藤官九郎さんはいるわけで、
そういったハラハラドキドキを作り出す才能の豊かさには尊敬敬服しきりです。

いまの日本人の意識という大きな海に
「あまちゃん」は、完全に飛び込んじゃったのでしょうね。
がんばれ能年玲奈ちゃん、がんばれクドカン、であります(笑)。
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北日本の1月遅れの「七夕」

2013年08月08日 05時05分05秒 | Weblog



きのうは北国では「七夕」。
1カ月季節をずらしてくれるというのは、
日本文化の中でも、数少ない北国への配慮なのだと思います。
ただし、北海道ではゴールデンウィークをずらしてほしいという願いが強いのですが、
こちらの方は、可能性はまったくなさそうです。
逆に、どうしてこういう七夕の1カ月の変更が可能だったのか、
ちょっと不思議に感じる次第。
それとこういうことは誰が決めているのか、その主体もわからない。
不思議に思って調べてみると以下のような説が書かれていました。

<以下、Yahoo知恵袋から引用>
明治5年までの暦は旧暦とよばれる太陰太陽暦で、
明治6年1月1日からグレゴリオ太陽暦に改暦しました。
このとき、1月1日の正月元旦はじめ、
旧暦の月日による伝統行事はすべて新暦の同月同日に移行しました。
中央政府や出先機関は率先して新暦で行事を行いましたが、
都会から隔絶した地方などでは旧暦で行事を行う風習が近年まで残っていました。
しかし、旧暦だと新暦の1ヶ月から2ヶ月近く季節が遅くなります。
年によってその差異も違い、新暦に馴染むほど、その不便さが顕著になります。
そこで明治中期以降に、旧暦に替え、新暦から丸1ヶ月後にずらして行事を行う
「月遅れ」という便宜的な手法が生まれてきました。
民俗学では新暦と旧暦の中間を取ったということで「中暦」とよびますが、
実際にそんな暦が有るわけではありません。
「月遅れ」というのはあくまで便宜的手法なので、
すべての伝統行事を月遅れでするわけではありません。
月遅れの代表は8月15日の月遅れ盆です。これは旧暦だと年によっては9月に入り不便。
かといって新暦では梅雨の農繁期、ということで普及しました。
でも、2月1日に月遅れの正月を祝う地方など存在しません。

さて七夕の話ですが
よく例に引かれる仙台の七夕祭。意外に歴史は浅く
昭和2年に記念すべき第一回が開催されましたが、このときは旧暦7月7日でした。
当時の仙台地方では旧暦の行事が多かったのです。
翌昭和3年に8月7日にしたのも博覧会後の客が見込める日程にあわせたものです。
それ以降2回目と同じ日程で実施してきただけの話です。
同じ七夕祭りでも、七夕伝説発祥の地大阪府交野市交野が原の七夕祭りや
神奈川平塚の七夕祭りは7月7日に行います。
七夕は1月7日、3月3日、5月5日、9月9日とならぶ五節句のひとつで、
縁起のよい陽数(奇数)を重ねた日です。
それを月遅れにして、2月1日や、4月3日、6月5日、8月7日、10月9日では
頓珍漢で縁起も良くないと考えたのです。
つまり月遅れ行事とは、旧暦だと新暦の月日を変動するので不便だが、
かといって新暦に移行すると、また別の不便なことがある、という地方で、
その行事に限って月遅れという新たな方式を採用してきた結果にすぎません。
よく言えば合理的、悪く言えばご都合主義です。

書かれている内容から判断すると
誰が決めた、というような主体は特定しにくい。
要するに「慣習」というような部類に属するのでしょうね。
ちょっと勉強になった次第であります。
写真は、北海道神宮本殿門前のヤナギの木に掛けられた願い事短冊。
いいですね、こういう庶民の願いごと。
いっとき、神さまになったような優しい気持ちに浸れます(笑)。
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出雲への思い

2013年08月07日 05時25分41秒 | Weblog



北海道から山陰地方というのは、本当に遠く感じます。
山陽地方というのは、仕事でもなんとか機会があり得るけれど、
目的性を持って行くケースというのは、山陰はほとんど考えられない。
日本全体でもそのような受け止め方が多いそうで、最近では
「島根か鳥取か分からないけどそこら辺に行きました。」
そんな突き抜けた自虐文句で売るチョコパイの土産が、
島根県でじわりと人気を呼んでいる。
紹介役はアニメ「秘密結社 鷹(たか)の爪」のキャラクター「吉田くん」。
島根県の旧吉田村(現雲南市)出身という設定で、
自虐ネタで島根を売り込んできた。

っていうようなことなんだそうです。
が、やはり出雲は行ってみて、その雰囲気に独特な癒やしを感じました。
去年、60年以上生きてきてはじめて行けたのですが
それも出雲縁結び空港に直接ではなく、
広島の方での仕事の帰りにようやく念願を果たせたのです。
神社好きとしては、やはり出雲大社というのは格別であって
その拝礼の仕方からして、2礼4拍手であるという
ほかの神社と違っているというあたりからぞっこんにさせられる(笑)。
そして出雲大社本殿には、天皇も許可なく立ち入ることができない。
というお話を伺って、驚愕の念が強まる。
そもそも本殿は、古代の創建時において60mを超える高さの建築で
木造の常識を遙かに超える規模であったこと。
なんども倒れたようだけれど、その都度建て替え続けてきたこと。
代々の神主さんが「千家」という「国造」の家系であること。
っていうことは、利休さんって、家系なのかという素朴な疑問。
出雲の阿国は、この本殿建て替えの費用捻出のための「勧進」として
「かぶき踊り」を創始したということ。
神楽殿には、日本中の神さまを迎えるためなのか、
日本一の大注連縄が鎮座している。
日本中が「神無月」のときに出雲は「神在月」になることなどなど、
いかにも歴史の由縁の古さを強く感じさせるけれど、
さりとて、ここは日本かどうか、という意味では
ちょっとエキゾチックな、権力が真空化しているような不思議さがただよう。
ことしは、出雲の神さま、60年に一度の式年遷宮ということで
このあたりも、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮以上の格式を感じさせられる。
まぁ、去年行ったときには
ちょうど神さまは本殿から仮殿に移られていたワケですが、
それでもあけぼのの中、写真のような本殿のお姿を遠望させていただいて
いかにも「国のまほろば」を強く感じた次第です。
神話の世界での「国譲り」ということはいったいどのような歴史的経緯だったのか、
その生々しさを追体験したい,というような気持ちも盛り上がります。

歴史好きには、たまらない魅力をたたえたまま、
強い磁場性を放って存在し続けている出雲。
その不可思議さに、ずっとこころが離れがたくなっております。
それが「縁結び」の神さまたる由縁なのでしょうか?
もう一度、ゆっくりと訪ねてみたいと念願しております。
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頸部MRI検査

2013年08月06日 06時44分09秒 | Weblog



きのうは、閉所恐怖症の人には辛いといわれるMRI検査。
先日は脳神経外科で検査してもらったのですが、
今回は整形外科、頸部椎間板ヘルニアの精密検査であります。
断層写真のコピーももらったのですが、個人情報に属しますので(笑)
それと、あんまり見ていて気持ちのいいものでもないので公表は控えます。

検査を始めますよ、ということで
待合室に入って、服を着替え検査室に行きます。
担当の方からちょっとした留意事項「体を動かさない」などの短いやりとりがあって、
さぁこれから、というときに
あわてたように「あ、閉所恐怖症の方は、大変なことになるので・・・」
みたいな、切羽詰まった言い方で女性の方が入ってくる。
これから入ろうという直前にそういうことを言われても、
かえって不安感を増幅するだけだと思うのですが・・・。
まぁわたしは、特段そういう傾向はないので「ご心配なく」と返事。
なんか、違うような気もしましたけど。
MRI検査というのは、何回か受けていますが、
あの独特の大音量はまったく変わりがない。
ベッドに横たわって、本体内部にスライドしながら入れさせられて
乳白色の内部に20~30分程度缶詰めになる。
本でも読んでいようか、というわけには行かない。
第1、そんな自由の利く隙間空間はありません。
寝返りを打つような天地の広さもないので、まぁどうしようもない囚われの身であります。
「体を動かさないでください」
といわれるので、従順なわたしは、つばも飲み込むのに慎重になる。
やはり20~30分、まったく体を、というか手足を動かさないというのはムリですね。
最初は手をお腹の上で組んでいたのですが、
どうにも重く感じて、写真撮影の合間に下に降ろさせてもらいました。
だんだん慣れてくると、つばを飲み込むくらいはカウントされないことに気付く。
まぁすることもないので、目をつむっていたら、睡魔も来まして
「お疲れ様でした」
といわれたときには、ウトウトとしてもいました。

診断の結果は、やはり
「ごく軽度の頸部椎間板ヘルニア」ということでした。
医師は背骨に沿って走っている神経の束部分を心配していたようですが、
「たいへんキレイな状態です」というご託宣。
ということで、しびれをもたらしていると推測される部位の断層写真コピーを
カミさんへの説明用にプリントしてもらって、
無事、帰還して参りました。
まぁ、これからもリハビリで気長に対処していくことになります。
ふ~~、やれやれ。
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食習慣改善ダイエット

2013年08月05日 06時54分03秒 | Weblog


例年、春先から冬の初め頃までは散歩を日課にして
運動量を確保していたのですが、
ことしは散歩に行き始められたのは6月からと
春先の寒さもあって遅くなりました。
冬場には雪かきなどもあって、そこそこ体を動かすので、
まぁそれほどには気を使っていない。
で、ストレスが溜まってくると、どうしても食事で紛らせようと考えるタチなので、
食事量は多い方でした。
自然と、メタボ体質の食習慣が身についてしまっている。
ときどき、健康診断などでなんやかやの数値にチェックが入って
そのたびに、その数値を下げるために若干取り組んで
それが達成されると、またストレスからの過食気味生活に逆戻りを
繰り返しておりました。むむむ、情けない。
しかし、65歳までにダイエットが出来ない人は、ダイエットできない、
というまことしやかなお話を耳にして、これはヤバい、と。
ことしはそんなことから、カミさんからの言いつけを守って
散歩の開始時期からやや遅れてですが、
食習慣改善に取り組むことにしました。
まぁもう1カ月以上にはなります。
最近のダイエットの主流のような考えだそうですが、
炭水化物の摂取量を減らして、ほかの栄養素はバランス良く摂取するというもの。
出張なども多いし、付き合いではお酒も食事もあるので、
はじめは、それほど守れなかったのですが、
ここ1カ月くらいは、ほぼ5~6度の仕事上の会食機会は別にして
ほぼ規則正しく、戒律を守った食事をしておりました。
その結果、ここ2~3日前から、
これまで夢だったようなレベルまで体重が減少しました。
まぁお恥ずかしいので、元体重と現体重は公表致しませんが、
最大値からは10kgほどのレベルダウン。
顔つきも自分では、だいぶほっそりとしてきた感じがしております。
そういう状況ですが、日頃の散歩が効果的で
きのうも暑い中、ゴルフをしてきたのですが、
体力はバッチリ、という健康状態を維持しております。
わたしの場合は、ストレスと過食に明確な相関関係がありますので、
そういうときのブレーキパッドを考えていかなければならない。
まだまだ油断は出来ませんね。

なんとか、リバウンド、逆噴射しないように、またさらなる体重減を目指して、
運動と食習慣改善に取り組んでいきたいと思っております。
ようするにお米って、日本人にはおいしすぎるんですよね(笑)。

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イマイチの七夕・札幌

2013年08月04日 05時25分02秒 | Weblog



わたしが子どもだった50年前くらいには、
もっと街中でこういう季語に属するような「生活文化」が健在だった。
って、おいでありますね(笑)。
そんな話をしてもイマドキには困るでしょうね。
なんですが、久しぶりに「七夕飾り」というものを札幌で見た気がして
思わずiPhoneを構えていました。
そういえば、ということで、
七夕って、仙台とを往復するような暮らしになって、
札幌の側では、ほとんど話題にもならない現実を
再認識させられる次第であります。
仙台では、街中至るところに飾りが満艦飾になりますね。
ほかの東北の夏祭りに比べると、アクションが少なくて
どうなんだろうという声は多く聞かれるけれど、
それでも華やぎは半端ではない。
湘南・平塚も7月だけれど七夕飾りが名物で、
そこで飾られたものが仙台で使われるんだ、などという俗説もあるそうですが、
都市の規模からいっても、文化蓄積からいっても
やはり七夕といえば仙台であります。

ひるがえって札幌。
仙台と同様に、七夕を1月遅らせてもらっているのは、
日本民族としての北方圏への「日本文化」としての配慮だと思うのですが、
そのありがたさをまったく理解しなくなってきている。
わたしの父母の時代くらいまでは、このような
季節風物への慣習的文化が、暮らしの中で大きな部分を占めていた。
ひと月遅れさせてもらって、
「あぁ、北海道でも日本文化の仲間入りができているんだ」
というような民族としての一体感に浸ることが出来ていたように思う。
現代では、そのような慣習的文化が、すっかり廃れてしまっている。
かろうじて、この写真のように北海道神宮の門前で
おお、そういえば、こういう文化伝統があったよなぁ、と思い起こされるくらい。
米作を基本にした季節行事の催行というのが、
必要不可欠であった時代と、そうでなくなった時代と
単純にはそのようなことなのでしょうが、
やはりさみしいなぁと思わされますね。
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消費増税と目先計算だけの家づくり

2013年08月03日 08時45分39秒 | Weblog



きのうは、消費税のアップや建材の高騰という
最近の動向を踏まえて、家づくりユーザーへのアドバイスについて
座談会形式で取材していました。
そのなかでは、消費税アップということを、ことさらにモンスター化させて
「オオカミがやってくるぞ」と大騒ぎしている
ローコストパワービルダーの営業的口車に乗せられて
「いま、建てなければ損をする」というように
お尻に火が付いた心理に駆られている
若い世代のユーザーの様子が聞かれました。
そういう心理って、「損をしない」ために家を建てるのか
というような本末転倒ぶりを感じさせられるということ。

「どんな家に住みたいのか」というテーマこそが
本来の家づくりには不可欠なものだと思いますが、
「どうしたら、損をしない家づくりになるか」になってしまっている。
もうその考え方で、すでに「損をしている」と思える。
損をしないように、消費税が上がる前に建てなければ、と急ぐ心理が働くだけで
大局的には、家づくりにおかしな要素が入り込んでしまっている。
家は、人生の価値観を映し出すものであって、
そういった建て方では、いかにも「目先のことだけ考えて」建てた家になる。
とくに20代くらいのユーザーが、
「早く建てないと損をする」と右往左往するのは、
本当に悲しい現実といわざるを得ない。
そんなことよりも、焦らずに
いろいろな体験経験を積み重ねる中で人生の目的や価値観を積み上げ
そのための拠点としての家は、どんな家にすべきなのかと
じっくりと考え準備して欲しい。
家づくりはその地域の文化に自分自身でも関与できる貴重な機会。
わたしたち夫婦はこんなふうな暮らし方がしたいです。
と、社会に対して静かに語りかけていけるようなチャンスなのだと思うのです。
少なくとも「注文住宅」という文化は、そういった可能性がある。
そういうときに、目先に駆られた家を建てるくらいならば、
注文住宅で建てる必要はない。
そんな目先計算だけなら、建売を買った方がいいと思います。

まぁ、こういった「情報」も流さなければならないのがメディアではあるのですが、
ユーザーのみなさんは、ぜひ賢い選択をしていただきたいと
切に願う次第です。

<写真は、日本民家園の重厚なたたずまいの古民家>
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パッシブに暮らすよろこびって?

2013年08月02日 05時25分23秒 | Weblog


ここんところ、やや天候が良くないので、
暑さもやや和らいでおりますが、
ことしの北海道はなかなかな暑さであります。
でも湿度は低いので、夜になると涼しさは格別。
で、日中どうしても日射から取得する熱が屋内にこもるのですが、
その屋内の高温空気を夜に排出すべく、
夕方くらいから朝まで、2階の大きめの窓を開け、
3階の高い位置にある窓も解放させております。
両方の窓はほぼ南北方向に相対した配置なので、
上下と共に、南北方向での「通風」促進にもなっておりまして、
自立循環的な、自然温度差をパッシブな工夫で活かして
快適な屋内気候を実現させております。
実際、この窓同士の距離は10mくらいは配置が別れているのですが、
その間に入ると、ここちよい冷気が流動している感じが体感できる。
わが家の1階は以前にも触れましたが、
ブロック造外断熱の威力で、年中22~23℃程度の室内環境で変動しません。
でもやはり2階の一部と3階は木造なので、
どうしても夏には室温上昇が避けられません。
以前は事務所兼用住宅だったので
古いエアコンが装置されているので、ときどき運転もしているのですが、
最近は、このパッシブな温度差換気・通気がここちよさを生み出してくれている。
こういう電気代もかからない知恵と工夫って、
内面からこみ上げてくるようなうれしさがあります。

いまの時代の雰囲気って、
こういう自然エネルギー利用についての「歓び」を
どのように創造していくのかが問われていると思います。
アタマではみんなそのことに了解もしているけれど、
人間は理性だけではなかなか行動に移らない。
そこになにがしか、情動的な部分があって、はじめて動こうとする。
「面白い」ということが、非常に大切なのではないかと思います。
どんな立派なことも、「面白く」伝わらなければ実現していかない。
世阿弥の「面白きこと、新しきこと、珍しきこと」を
メディアに関わる人間は、肝に銘じていかなければならない。
言ってみれば、パッシブに暮らす「歓び」なのか、
「悦び」なのか、「喜び」なのか、まだ不分明ですが、のようなことが
多くのひとに共感を持って伝わる必要があるのでしょうね。
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