三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【本日より1週間の出張。ふ〜】

2017年09月10日 07時34分34秒 | Weblog
さてみなさん、お盆休暇も終わっていよいよことしも後半戦。
いつも思うのですが、お盆が前半後半の折り返しというわけではないのに、
心理的にはお盆が年の中間だという意識が日本人には強いのでは?
お盆が終わって暑さも一段落することで気持ちの整理がつく、ということか。
しかし、9月からと考えたら残りは4カ月しかない。
たぶん、4月スタートという「年度」の区切りがお盆なので、
暦とはまた違った区切り感が日本人には強いのでしょうね。

ということもあって、なにやらいろいろな要件が重なって、
本日から1週間の日程での出張が始まります。
とりあえずはお隣の青森県を3日間行脚して、その後福島県いわき市。
そこから大阪に移動して、神戸から帰還するという日程。
移動も複雑で、旅程と仕事の書類などの確認、用意はなかなか複雑。
60代半ばの認識可動域いっぱいの脳内状況(笑)。
まぁなんとかなるだろうという楽天主義でなければ乗り切れませんね。
自分自身の行動スケジュールを自分で企画し、管理実行する。
そういった自己責任範囲を守っていけることは、
ある意味、しあわせなことだと思っています。
こういうスケジュールをしっかりこなせるような、
体調の管理などは、もっとも重要なポイントでしょう。
いまのところ、そういった不安を感じないで済んでいるということはうれしい。
しかし、こういった期間ではどんなことがあるかも知れない。
人間、なんといってもカラダが資本ですね。
ということで、本日はあすからの行動に備えての移動の開始であります。
ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【TOTO・大建・YKK3社合同ショールーム&セミナー】

2017年09月09日 07時04分59秒 | Weblog


きのうは札幌で住宅団体・ソトダン21のオープン研修会。
評論家・南雄三氏の講演を聞きましたが、
まずははじめて行った会場、3社合同のショールームの件です。
メーカーさんとしては、LIXILがグループ化させたことで、
業界再編が加速して、もう一方のメーカーグループとして、
TOTO、大建、YKKの3社がグループ化の構えを見せてきています。
札幌ではこの3社による合同ショールームが市中心部、
サッポロファクトリー近くにこの度、オープンしました。
たしかこの場所は以前広大な駐車場だったはずですが、
その名残を留めるように、1階は広々とした駐車場スペースになっています。
ショールーム機能は2階に集約されていました。
で、わたしが面白いなと思ったのが、2階のトイレ洗面コーナー。
こういったショールームなので、とくに「使える」コーナーの設計デザインは
いちばん、考えた作りにするだろうと思って向かった次第。
設計コンセプトとしてアジア圏からの旅行客も狙っているとされていましたが、
写真のようなコーナーデザインに、そういった意図はあるのでしょうか?
鏡と照明の配置デザインは面白みが感じられましたが、
あとは手洗い後の乾燥機が連続性を意識して設置されていて、
なお、それらの配置が「個人ごと」ブース化の手段になっていました。
トイレの方では、背もたれが装置されているのが目に付いた。
さらに出がけにふと気付いたのが、姿見コーナー。
男性のドレッシングルームなのですが、こうしたコーナーが装置されていた。
洗面の鏡とは別にあるのですが、こういったコーナーであれこれと
身繕いをする、させるというような「設計意図」なのかと内心、小さな驚き。
わたし的には、ここで鏡をみて身だしなみを2方向から確認する行為には、
やや気恥ずかしさも感じる気分があるのですが、
やがて男性も化粧をするようになる時代の到来が予感された。



その他、評論家・南雄三さんの講演にて感じたこと。
日本人は、欧米の建築デザインの系譜を「ありがたがって」きたけれど、
そういった「知識偏重」的なデザイン研究がいま、必要なのだろうか。
わたしとしては、ちょうど鎌田紀彦先生と住宅デザイン論を推進展開してきていて、
その論議内容との距離を感じさせられていた。
具体的なモジュールとか寸法、空間感覚などを論議することの方が
より実践的なのではないかと思わされました。
戦後すぐの住宅建築でまさに庶民のためにどう住宅を作るべきか考えた
「立体最小限住宅」というような視点から、暮らしようと人間工学、建築の寸法、
空間性をどのように「調和」させるのかが、デザイン論の本質ではと思います。
その営為の上に立って、はじめて美しさへの肉薄が始まるのではないか。
いってみれば、デザインとは機能性を昇華させ、それを空間としてまとめ上げる、
そういった営為の全体を指しているのではないか。
いわゆる「様式」はそういった営為の「結果」の世界なのではと思いました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【鎌田紀彦+新住協北海道 Q1.0住宅プロトタイプへ】

2017年09月08日 06時09分11秒 | Weblog



きのう、札幌市内で鎌田紀彦氏と新住協北海道のメンバーとの
ゼミ形式での「コンパクトハウス」プラン検討会が開催。
すでに数次検討会の積み重ねの上に立って、
プランの骨格が固まってきました。
この検討会は、全国の新住協会員にとってもユーザーに提示する
「基本プラン」として機能させる狙いを持って推進されてきているもの。
新住協会員工務店が日々向き合っているユーザー動向を踏まえて
いわば、最大公約数としての「日本人のすまい」を探究する野心的プロジェクト。
鎌田先生には当誌Replan誌上で「Q1.0デザイン論」を執筆いただいていますが、
その労作を通しての研究が現実にフィードバックしている側面があります。
その成果が、コンパクトな「細長い総2階建て」プラン。
日本全体、北海道全域での「敷地」の研究を経て
ニッポンの土地の間口と奥行きの基本ターゲットを絞り込んできている。
もちろん「最大公約数」であり、すべての条件を満たすものではないけれど、
想定しうる基本ではあるだろうと思われます。
少なくとも国交省などが基本政策のために「モデル」としている想定プランよりも
はるかに現実を見通していると言えると思います。
絞り込まれた敷地条件は、5間間口で奥行き10間という50坪。
そのなかに、基本的には自家用車を2台駐車できるプラン。
建物としては2.5間×6間、床面積ではマックス30坪のタイプ。

先日来、池辺陽氏の「立体最小限住宅」のことを書きましたが、
鎌田先生に依頼している「Q1.0デザイン論」について
著者と編集側という関係からさまざまに討論する過程で
日本のプロトタイプ住宅への探究の起源をも話し合い、
池辺陽氏のような志向性が浮かび上がってきていたのです。
そういう意味ではこのいまの動きは、戦後の住宅が大きなテーマとしてきた
「普遍性」についての大きな挑戦になっていく可能性がある。
鎌田先生としては、こういった野心的なプロジェクトについて
長年の同志ともいえる北海道の作り手と協同するかたちで
基本を構築しようと考えられているのだと思います。



きのうのゼミで基本的な方向性は固まってきて、
これからはより具体的な構造や設計プランとしての煮つめ、
さらには、標準的な「見積もり」の作成〜検討へと進んでいきます。
その役割分担も大枠が決まってきて、若い設計者の参画も決まりました。
鎌田先生からは次号Replan誌での連載記事執筆も
このプロトタイプ住宅についての内容を書きたいということでした。
いよいよその相貌が垣間見えてきつつある、といったところではないかと思います。
ニッポンの住宅シーンに新たな1ページが記されるかも知れません。
大いに注目していきたいと思います。

<写真中の図表は、これとは別のプランのものです。>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【人の判断力をフリーズさせる信号機案内文】

2017年09月07日 07時07分40秒 | Weblog
わたしも一応、出版関係の仕事をしている人間なので、
文章というもの、日本語というものにはそれなりの配慮をしています。
なによりもわかりやすく、文意が「伝わる」ことを心がけたいと思っている。
必ずしもいつもうまくいっているとは言えないけれど、
間違いがないように言葉はなるべく明晰にと考えている人間です。
またおよそ日本語ならばその内容を読み下せないということは、おおむねない。

きのうわたしは、所用で札幌駅周辺を訪れていた。
で、所用を済ませて駅北口側の交差点に立ち至った。
運悪く、寸前で信号が赤に変わったので、信号待ちした。
そのときこの写真のように「手押し信号ボタン」が目に入った。
繁華な札幌駅構内から出てすぐですが、交差点としてはL字型変形交差点。
クルマの通りもたくさんあるワケではない。
「ああ、ここでは手押し信号を押すのだろうか」と思われた。
で、その横に書かれている言葉、数秒読んでみたけれど、
どうすればよいのか、通りすがりの身には直感的に理解できなかった。
これは韓国語でもないし、スワヒリ語でもないし、サンスクリット語でもない。
「午前6時から午前0時以外は、
ボタンにふれてください」
このように書かれていて信号待ち数秒間で、いったいどう行動すべきか、
わたしとしては明瞭な理解に至ることができなかったのです。
疑問に感じられることはたくさんあったけれどポイントは2点。
1 「午前6時から午前0時」という書き方で時間限定はすぐわかるか?
2 続けて「以外は」と書いているが、この書き方は混乱をまねくのでは。

まず、1の表記の異常さについて。「午前6時から午前0時」という書き方で
すぐに時間スパンを想像できる人間はどれくらいいるだろうか?
歩行中の人間に指示を的確に与える公共的使命をもったメッセージで、
わたしにはその時間を瞬間的に明瞭には思い浮かべられなかった。
「・・・、そうか朝6時から真夜中24時ということか」という理解までは数秒必要。
で、続けて「以外は」という、意外な(笑)表記が記載されている。
ようやく思い浮かんだ「朝6時から真夜中24時」をここで除外されるのだ。
それ以外って、要するに「真夜中0時から6時まで」の6時間を指している。
というように理解するまでに、たぶん一般的には1分近くアタマを使わされる。
だったら、こういう「以外」という否定形の表記ではなく、
「0時から6時までは、ボタンを押してください」という書き方が
大多数の人間にとって直感的で間違いを起こさない表記アナウンスではないか。
行動心理的に、否定形表記は誤解を与えるのが常識だと思う。
「以外」というコトバは、受け手が概念を整理整頓する必要があるので、
複雑な概念限定の場合は別にして、このような行動指示用語としては避けるべきだ。
さらにいえば、写真を撮影して気付いたのですが、
2行目「にふれ」という箇所にはシール貼り補修痕跡が認められた。
で、それ以前の表記がどうであったかも気になった。
たぶん「を押し」だっただろうと思われるのですが、この信号機管理部署で
どのような表記をめぐる経緯があったか、想像をたくましくさせられました(笑)。

わたしもこの一連のことが逆に面白くなってしまって写真を撮ったワケですが(笑)、
ことは多数の人間、それも札幌に初めて来るようなひとも多く通る場所なので、
その第一印象にもかかわる。道民・札幌市民のひとりとして、
基本的「おもてなし」ホスピタリティについて、考えさせられた次第であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【久しぶり全員集合 家族でジンギスカン鍋】

2017年09月06日 05時47分37秒 | Weblog


わが家の坊主が遅い夏休み帰省で帰ってきています。
1週間の予定なので、家族が全員集合するというのも機会が得がたい。
久しぶりにわが家で全員集合の食卓を囲むことにしました。
で、そうなると北海道らしい鍋料理で、ジンギスカン鍋が定番でしょう。
最近はラム肉のブロックをそのままカットした肉が多いようですが、
わたし年代では、ジンギスカンのお肉と言えば、このスタイル。
リング上にお肉を寄せてある羊肉であります。
便利なバラ凍結。ニュージランド産 ラムショルダーというヤツであります。
バラ凍結というくらいですから、要するにバラ肉を凍結させてリング上に形成したもの。
外食なんかで食べるお店では、羊肉のバラ肉を生のまま調理するようなのもある。
けれど家庭料理である北海道のジンギスカン鍋は、このスタイルの肉が一般的。
スーパーではこのタイプのお肉が一般に販売されている。
ジンギスカンという料理はちょっと前までは北海道の地方料理。
東京や他の地域で食べるというのは考えられなかった。
こういうバラ凍結のお肉で気軽に楽しむのが北海道スタイルでしょうか。

最初にもやしやタマネギ、ピーマンやニンジン、ナスなどの野菜を
たっぷりと蒸し焼きしたところに、羊肉を入れていく。
ジンギスカンはタレがまた独特で北海道産のメーカー品が好まれる。
広島お好み焼きの「オタフクソース」みたいなものですね。
お好みで大根のすり下ろしとか、刻みネギなどが薬味で供される。
父であるわたしが、自宅ではお酒は飲まない主義なので、
ジンギスカンではご飯がたっぷりと食べられます。
肉汁と野菜の旨みがたっぷり染み込んだヤツをご飯の上に載っけて食べる。
やっぱり、肉の旨みはもちろんですが、
その旨みを吸い込んだ野菜類が甘くておいしいと思います。
よく、羊肉独特の匂いを気にするのですが、
わが家では別段気にせず、新築当時から月に2〜3度くらいは食べてきた。
ということで楽しく、鍋を囲んでの家族団欒でありました。
シメはデザートとしてスイカであります。
富良野のヤツを買って来て食べていました。
北海道のなかでの産地評価では、わが家的には富良野が高評価。
「夕張メロン」は、全国的にも有名ですが、
味では、富良野などの他産地のものもまったく遜色がない。
それなのに、値段は倍以上違ったりする。
なので、地元民はこだわりなく、他産地のものを多く食べる。
ただ、そういった「名産品」市場でもよく「地元評価ではこっち」みたいな
そういう評価が価値を逆転させるようにもなるのですが、
そのためには、市場規模の拡大が必要とも思われますね。
まぁ、地元民は安くておいしいものをすばやく判断するようになる。
っていうような話題で、家族で盛り上がっていました(笑)。
根っから、マーケティングメディア的な家族であるのかも知れません(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【気になる建築家・池辺陽「立体最小限住宅」の志向】

2017年09月05日 06時26分00秒 | Weblog
池辺陽という建築家がいた、ということを
難波和彦さんや鎌田紀彦さんと対話して知るようになって来ています。
戦後の東大工学部を領導してきた建築家として
内田祥哉先生と多くの「論争」を戦わせてきたのだという。
そのなかでも、戦後の建築の再建をめぐっての「モジュール論争」が白眉とされる。
鎌田先生は内田祥哉先生の弟子であり、一方の難波さんは池辺陽先生の弟子スジ。
難波さんからは、その対話や氏の書かれた書籍からその軌跡を知り、
また鎌田先生からは、こんなことは初めて話すという感じで開示していただいた。
内田祥哉ー池辺陽の関係は相当の対立関係としてあったとされる。
今日の住宅研究者間では論争といえるような「対立」というものは、
あまり想定しにくいけれど、そういう熱い論争の時代もあったのだと。

そんなことから池辺陽氏のことが気になり始めています。
先日の鹿児島探訪でも、安藤忠雄さんのコンクリート卵とならんで、
池辺陽の残した建築とされる宇宙関連施設があったのですが、
残念ながら、超ゆっくり台風にその道を阻まれてしまった。
以下、氏の概要を示すWikipediaより。
〜池辺 陽(いけべ きよし、1920年4月8日-1979年2月10日)は日本の建築家。
長く東京大学教授として、工業化という方向から建築をとらえた作品を残した。
戦後すぐの日本における住宅問題に対し
「立体最小限住宅(1950年)」と呼ばれる住宅を発表し、同じ50年代に発表された
増沢洵の「最小限住宅」清家清「森邸(1951年)」広瀬鎌二「SHシリーズ」と共に
機能主義による都市住宅のプロトタイプを提案した。工学博士。東京都出身。〜

鎌田先生は断熱気密の日本住宅の工法革新という功績が大きいのですが、
基本的な志向性はプロトタイプとしての工業化にスタンスがあるように思います。
よく「日本で住宅を100万戸建てたい」という理念を語られる。
それはいま、新住協という全国組織を組織していることで、
実現に向かっているというようにも言えるのだと思うのです。
こうした志向性の原点として、同じように工業化の方向で高品質・大量という志向性を
早くから着手して構想を立ち上げていた存在として池辺陽氏があるとされた。
いま、住宅は大きな転換点にもあると思っています。
戦後追究してきた、アメリカ型の郊外一戸建てを基本とした住宅政策が、
はたして日本社会で合理的で長期的な価値感に合致しているのか、
そういった疑問もあるのではと思っています。
最近の住宅への若い世代の志向の中に、この「立体最小限」という志向性が
どうも再発見的に見えているのではないかと、静かに感じている次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ニッポンに切迫する安全保障上の脅威】

2017年09月04日 07時09分08秒 | Weblog
現代世界は北朝鮮という暴走国家によって、差し迫った脅威にさらされてしまった。
北朝鮮による「レッドライン」超えという事態、水爆実験。
このことはきのう日曜日に発生したので、きょう月曜日、株式市場はどう反応するか。
場合によっては経済混乱の引き金にもなりかねない。
全世界をチキンレースに巻き込もうという狂人が状況を支配してしまうのか。
この具体的安全保障の脅威に対して、日本はどういう選択肢があり得るのか。
平穏な日常活動を心がけつつも、危機意識は深く持っていなければならない。
いま、わたしたち自身の生命財産が具体的に危険にさらされている。
冷静な安全保障論議を国会などでただちに開始して欲しいと思います。
それができない議員たちならば、民主主義選挙の意味はないとも思う。
政治の正統性の源泉は、なによりも国民の安全保障確保でなくてなんなのか?

先週、Jアラートが北海道、東北で鳴り渡ったばかりでしたが、
どうも東京周辺では鳴らなかったようで、相変わらずの状況もあったようです。
ああなっても「東京新聞」の記者は菅官房長官に、まるで北朝鮮側に
情報開示しろと言わんばかりの「質問」攻めにしていたという。
戦後はじめて体感をともなった具体的な安保の脅威が迫ってきたけれど、
いわく「首相が官邸に泊まったら、ミサイルが来るという合図か?その根拠を示せ」
といった趣旨の質問発言をなんども繰り返していた。
敵対的行為を繰り返す国家に対し、対応しなければならない日本国家側の
「情報手段」を明かせ、という日本の安保上考えられない要求をする。
差し迫りつつある国民全体への脅威よりも安倍政権へのストーカー的行為を
最優先して繰り返すあのようなマスコミ人の惨状に、
「差し迫った具体的危機」を感じたのは、わたしだけでしょうか?
ああいった主張のどこに国民の安全を考える思考があるだろうと憂慮する。
あれから数日。しかし、事態はもっと深刻な段階にまで深まってきた。
北朝鮮による水爆実験実施が伝えられてしまった。
日本列島全域を完全な射程圏内におさめたミサイルを配備し、
なお、その弾頭に核を搭載できる敵対的国家が、一衣帯水の隣国としてある。
安保法制にすら反対してきたひとたちは、この段階に至って無反応とみえる。
憲法九条で日本が守られると言う方たちは、具体的にいまなにができるか示して欲しい。
「日本に外国が攻めてきたら、酒を持って行って話し合いをしてくる」とまで酔狂に
公言していた人たちは、いまこそ、それをできるなら実行して欲しい。
現代戦争は、別に敵国上陸軍が来てから始まるのではない。
打ち込まれればただちに日本が破綻してしまうのが現代兵器の常識でしょう。
どう対応すべきか、冷静に民主主義の場である国会は対処して欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【地縁・血縁から「職縁・学縁」社会への移行】

2017年09月03日 08時38分44秒 | Weblog
きのうは、毎年はお盆時期に開催していた高校同期の同窓会。
ことしでなんと38回目という人生での重要な年中行事になっています。
わたしたち昭和中期生まれ、戦争後に生まれ生きてきた年代、
それも都市生活者にとっては、自分たちのアイデンティティというものが、
それまでの時代とは隔絶しているのだと思います。
戦前までの日本における人間のありようというのを考えてみると、
地縁というものが、非常に大きかったのだろうと思います。
それは農業や漁業といった生産手段と直結した人間集団が基本組織であって、
個人はそうした集団、いわゆる「ムラ社会」に従属して存在していた。
それに対していわゆる都市生活者というのは少数派だった。
その少数派の都市生活者も大部分は長屋という地域に組織されていた。
「大屋と言えば親も同然」というような人間を包む「まゆ」が存在していた。
個人というのは、そうした集団に従属していた存在だった。

それが戦争に負けることで、アメリカ的個人主義の価値感が
基本的な上位概念として社会に流入してきて、徐々に個人主義に置き換わっていった。
そういうなかでも、日本人は基本的にはムラ社会を希求していたのではないか。
多数派が都市生活者に変換するなかで、
「擬制的」ムラ社会として、教育の過程での出会いがひとつの重要な
人と人を結びつける役割を担いはじめているのではないか。
いまの現代ニッポンでは、ひとの絆の大きな部分が、
学縁というようなことに基盤を起き始めていると思うのです。
血縁の小型化、核家族化。地縁の希薄化の進展に対して、
こういう学縁が、ある役割を果たしてきている。
たぶん、旧社会に似たようなカタチを求めるとすれば、
「若衆宿」というような組織形態が、類縁的ではと思っています。
大胆に言えば、戦前までの社会が地縁・血縁を基盤とした社会であったのに対して
わたしたち年代が生きてきた社会は、職縁と学縁が基盤化した社会。
ちょうど、70年安保闘争などの年代だったこともあって
奇跡のように仲間意識が強くなっていた高校同期という側面もあるのですが、
こういった側面も大いにあるのではと思っています。

みんな60代も半ばを過ぎてきて、
それなりにセーブしては来ていますが、まだまだ体力もあり、
社会の中で、それなりに役割を果たしていけると確認し合った気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【隅田川屋形船にたわむれる】

2017年09月02日 08時13分34秒 | Weblog



旧聞ですが、先日の東京でのPHIJP発足のときの取材時、
遠来のアメリカのおふたりをもてなすということで、隅田川屋形船を楽しみました。
食べきれないくらいのてんぷら料理を中心にしたディナー食事。
お酒は飲み放題のようで、時間はおおむね3時間でしょうか。
「晴海屋」さんという屋形船で、貸し切り24人ほどでした。
コースは、門前仲町にほど近い波止場から、東京スカイツリーを見て、
折り返してお台場まで行って帰ってくるというコース。
何回か、浅草からお台場周辺までのコースでの船には乗っていましたが、
こういう貸し切りでの屋形船というのははじめての体験。

写真のように、東京のビル群の照明が水面を輝かせて
なんともワンダーランドな光景が広がります。
それぞれのスポットではかなり長時間、船を止めて船上からの眺めを楽しめる。
で、さすがインターナショナルシティ・東京であります。
なんと、船を運転していた船頭さんが挨拶をし始めた。
それもなんとも、流ちょうでカッコいい英語での啖呵っぽい(笑)。
客に外人さんが5−6人いたということで、こんな船頭さんが来てくれたのか。
そのうちに、座を盛り上げようと英語での「My Way」を熱唱しはじめた。
ちょうどいい広さの屋形船での臨場感満点のライブであります(笑)。
聞いたら船頭さんはハーフっぽい方のようで、
表情なども外人っぽく、歌はまったくの本職ハダシ。
こういう江戸情緒と国際化、さすがに現代観光ニッポン最前線ですね。
外人のみなさんも面白がっていただけましたが、
それ以上にこういう、なんでもありぶりは、ニッポン人のほうに大受けする。
北海道サッポロでも、こういった作戦はありでしょうね。
でもなぁ、豊平川の筏くだりは一時競技会みたいなのがあったけれど、
この隅田川みたいに年中やれるわけはない。
ヘタをすればお客さん全員に風邪をひかせる可能性も高い(笑)。
う〜〜む、温暖地はいいなぁ・・・。


instagram mikikeigo
アカウントで、動画も公開しました。スマホでお楽しみください(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【原広司「梅田スカイビル」 画像編集での耽美】

2017年09月01日 06時37分51秒 | Weblog
きのうの記事でもキャッチ写真としてトップに掲載しましたが、
今回出張の主要訪問先のダイシンビルド・清水社長オススメの「大阪スポット」。
わたしは不勉強でこの大阪の代表的建築についてよく知らなかった。
2日目、アポイント先に向かう前に、クルマを走らせてみた。
以下は、Wikipediaの紹介文であります。

〜梅田スカイビルは、1993年3月に完成した、大阪府大阪市北区大淀中の
新梅田シティ内にある超高層ビル。
地上40階・地下2階、高さ約173メートル、設計は原広司。その独特の形状から
大阪のランドマークとなっている。イギリスの出版社ドーリング・キンダースリーが選ぶ
「TOP 20 BUILDINGS AROUND THE WORLD」の一つに、アテネのパルテノン神殿、
ローマのコロッセオといった歴史的建造物と共に選出されるなど
世界的に有名な建築物で訪れる者の3割を外国人が占めるとされる。
タワーイースト(東棟)、タワーウエスト(西棟)の2棟で構成され、
その頂部を連結するように円形の空中庭園展望台を設置した構造が特徴。
地震、風、振動への耐性が強化される。空中庭園は地上で組み立ててから
ワイヤーロープでつり上げる「リフトアップ工法」で施工された。
また、イースト・ウエスト両棟を行き来するため22階に連絡通路が設けられている。
ビル最上部の空中庭園展望台からは梅田を中心とした大阪都心と遠景を一望。
超高層ビルの展望台としては珍しく屋上に設置され、
360度の視界と全天を風を感じながら眺められる展望台は観光スポットとして人気。
空中庭園展望台には「空中庭園大明神」を祀る社があり、御利益は恋愛成就。〜

原広司さんというと、北海道では札幌ドームがあります。
それと、わたしが好きな建物としては京都駅もあります。
案外、好きな大きな建物を挙げてといわれて名前の挙がる建物は
けっこう、原広司設計というのが多いなと感じています。
この建物は、施主が積水ハウスということ。
積水さんには東大の学閥があるようで、そういった関係なのでしょうか。
時間はまったくなくて、クルマでの通りすがりで写真だけを撮った、
そういう次第なのですが、なんといってもそのプロポーションが惹き付けられる。
見れば見るほどにいいなと。
きっといろいろな黄金比率のようなものがそこに意図されていると感じます。
左右の2棟のタワーのボリューム感とそのあいだの距離感。
そのバランス感などが、人類共通的な造形感覚になっているように思われる。
この外観写真は、自分で撮影した見上げ写真をもとに、
それを写真編集ソフトでタテ、ヨコなど水平垂直を再構成した写真です。
逆に言うと、そう編集してみたくなるほどに建物に惹かれた。
こうやって編集してみると、その配置感とかも伝わっても来る。
さらには、どういった経緯でかはわからないけれど、イギリスの出版社が世界の建築に
ベスト20というようなランク付けをして、それが支持・情報利用されているというのも
関係者として、リスペクトを感じさせられます(笑)。
新住協の勉強会とか会合でも、この建物はよく利用するとか。
今後、大阪へ来る機会が増えてきたら、一度はじっくりと体感したいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする