「オペラ座の怪人」話をもうすこし。
私が、トリノ五輪のアイスダンス・フリーでとても気にいったプログラムが、実はリトアニアのドロビアツコ&ヴァナガスの「オペラ座の怪人」なんですね。
他にも、チャイ&サフのボレロとか、英国のカー姉弟とか、カナダのウィング&ロウのタンゴとか…いろいろ「お気に入り」はありました(大体、ダンスで嫌いな組って存在しない)。が、ドロビアツコ組がこれ本当に「ベテランの味・上手さ」が存分に発揮されていて素敵でした。なんと言いますか、
「これこそが『オペラ座の怪人』の世界やっ!」みたいな。
二人の滑ってる頭上に絢爛豪華なシャンデリアが下がり、マルガリータ(ドロビアツコ)はクリスティーヌそのもの。いつもは存在感がイマイチな男性のヴァナガスがいわばファントム役だったんだけど、これがむーっちゃ男前に見えました(ははは。ごめんよ、ヴァナガス・笑)。「怪人」の恐ろしさは無いんだけど、どちらが主役ということはなく、全編を「切ない愛のドラマ」が覆っていた。
昨夜ちょっと気になって、ビデオ見返してみましたがやはり素晴しい。惹き込まれます。彼らの「オペラ座」の構成を大ざっぱに書くと
1 「The point of no return」ヴォーカル版(長い)
2 「All I ask of you」 〃 (ちょこっと)
3 「メインテーマ」 (長い)
…こんな感じ。
「1」でいきなり、ファントム+クリスティーヌのろうろうと歌い上げるデュエットなんで「あ、オペラ座だ~^▽^!」とその世界に入っていける。ここが結構時間も長いので印象が深い。
「2」が少しの時間の「静寂」なんだけど、「1」で盛大に激情の炎が燃えたあとのオアシス=泉の清らかな水、みたいな効果を上げている。
そして「3」でまたドラマチックな世界~エピローグ…なのですが。
普通、アイスダンスでこの演目だと「あ~また『オペラ座』かあ~平凡かも~」と思っちゃうんですが(私だけ?)、なぜかこの二人のダンスはシンプル極まる構成なのに、新鮮で豊かで輪郭が鮮やかでした。
きっと、「The point of no return」のイメージをメインテーマにしていて、「狂おしい感情(愛?)」が、スパーン!と伝わるんだと思います。「今、○○を演じている」とか「今は○○の場面」とか何も考えなくても、その世界に没入出来る。
ドロビアツコ組はもう大ベテランで、いったん引退してからトリノ五輪で復活してきた訳ですが、「技術を技術として見せない」ところが一番、若手とは違うな~と感心します。ダンスは「あ、今、○○のワザをやってる」とお客さんに思わせては駄目で、先に「イメージ」がパーンと来ないと。
私は「ダンス」全般が好きなんだけど。
それってなんだろ。音楽が持っている様々な感情…パワーとか美とか哀しみとか怒りとか…それを体で表現するのが「まさにダンス」だと思うんですよね。
音楽はCDやテープに入れて一見「モノ」のように扱ってますが、実際には目に見えないし、「モノ」としての存在は無い。存在していないものを「存在するもの」として眼前に見せてくれる。それが「ダンス」。
技術も見せ方の工夫も大事なんだけど、「ダンスの核=魂」みたいなものを感じさせてくれるダンサー(選手)は、やはりのめり込みます。
オペラ座の怪人は、映画しか見ていないんですが(きっと舞台の方がより良いんだと思う)、私の感じるメインのイメージは「醜い男・ファントムの孤独と、愛への渇望」。
愛されない人が愛を求める…「ノートルダムのせむし男」とか「美女と野獣」とか、この系統のドラマは沢山ありますが、ドロビアツコ達の演技は「絵空事」という感じがしなかった。
実際に今、生きて血がドクドク流れていて、心臓が脈打っているような。具体的なストーリーというよりは、「生きてうごめいているもの」を感じたんですね。「生きているダンス」とでもいうのか。
私はきっと、レベル判定やら新採点やらを超越した「ダンスの魂」をあの演技に感じたのだと思います。
そういうの…いいなあ。
でもジャンプの入るシングル競技だって、それは出来ると思うんですよね。
私が、トリノ五輪のアイスダンス・フリーでとても気にいったプログラムが、実はリトアニアのドロビアツコ&ヴァナガスの「オペラ座の怪人」なんですね。
他にも、チャイ&サフのボレロとか、英国のカー姉弟とか、カナダのウィング&ロウのタンゴとか…いろいろ「お気に入り」はありました(大体、ダンスで嫌いな組って存在しない)。が、ドロビアツコ組がこれ本当に「ベテランの味・上手さ」が存分に発揮されていて素敵でした。なんと言いますか、
「これこそが『オペラ座の怪人』の世界やっ!」みたいな。
二人の滑ってる頭上に絢爛豪華なシャンデリアが下がり、マルガリータ(ドロビアツコ)はクリスティーヌそのもの。いつもは存在感がイマイチな男性のヴァナガスがいわばファントム役だったんだけど、これがむーっちゃ男前に見えました(ははは。ごめんよ、ヴァナガス・笑)。「怪人」の恐ろしさは無いんだけど、どちらが主役ということはなく、全編を「切ない愛のドラマ」が覆っていた。
昨夜ちょっと気になって、ビデオ見返してみましたがやはり素晴しい。惹き込まれます。彼らの「オペラ座」の構成を大ざっぱに書くと
1 「The point of no return」ヴォーカル版(長い)
2 「All I ask of you」 〃 (ちょこっと)
3 「メインテーマ」 (長い)
…こんな感じ。
「1」でいきなり、ファントム+クリスティーヌのろうろうと歌い上げるデュエットなんで「あ、オペラ座だ~^▽^!」とその世界に入っていける。ここが結構時間も長いので印象が深い。
「2」が少しの時間の「静寂」なんだけど、「1」で盛大に激情の炎が燃えたあとのオアシス=泉の清らかな水、みたいな効果を上げている。
そして「3」でまたドラマチックな世界~エピローグ…なのですが。
普通、アイスダンスでこの演目だと「あ~また『オペラ座』かあ~平凡かも~」と思っちゃうんですが(私だけ?)、なぜかこの二人のダンスはシンプル極まる構成なのに、新鮮で豊かで輪郭が鮮やかでした。
きっと、「The point of no return」のイメージをメインテーマにしていて、「狂おしい感情(愛?)」が、スパーン!と伝わるんだと思います。「今、○○を演じている」とか「今は○○の場面」とか何も考えなくても、その世界に没入出来る。
ドロビアツコ組はもう大ベテランで、いったん引退してからトリノ五輪で復活してきた訳ですが、「技術を技術として見せない」ところが一番、若手とは違うな~と感心します。ダンスは「あ、今、○○のワザをやってる」とお客さんに思わせては駄目で、先に「イメージ」がパーンと来ないと。
私は「ダンス」全般が好きなんだけど。
それってなんだろ。音楽が持っている様々な感情…パワーとか美とか哀しみとか怒りとか…それを体で表現するのが「まさにダンス」だと思うんですよね。
音楽はCDやテープに入れて一見「モノ」のように扱ってますが、実際には目に見えないし、「モノ」としての存在は無い。存在していないものを「存在するもの」として眼前に見せてくれる。それが「ダンス」。
技術も見せ方の工夫も大事なんだけど、「ダンスの核=魂」みたいなものを感じさせてくれるダンサー(選手)は、やはりのめり込みます。
オペラ座の怪人は、映画しか見ていないんですが(きっと舞台の方がより良いんだと思う)、私の感じるメインのイメージは「醜い男・ファントムの孤独と、愛への渇望」。
愛されない人が愛を求める…「ノートルダムのせむし男」とか「美女と野獣」とか、この系統のドラマは沢山ありますが、ドロビアツコ達の演技は「絵空事」という感じがしなかった。
実際に今、生きて血がドクドク流れていて、心臓が脈打っているような。具体的なストーリーというよりは、「生きてうごめいているもの」を感じたんですね。「生きているダンス」とでもいうのか。
私はきっと、レベル判定やら新採点やらを超越した「ダンスの魂」をあの演技に感じたのだと思います。
そういうの…いいなあ。
でもジャンプの入るシングル競技だって、それは出来ると思うんですよね。