上砂理佳のうぐいす日記

3月31日(月)から4月6日(日)まで銀座中央ギャラリーの「10×10版画展」に銅版画小品を出品します★

ソウル・フラワー★

2011-07-06 | うぐいすとお仕事

6月の近鉄百貨店の個展で、案内状に使っていた水彩画は、
「ソウル・フラワー」というタイトルです。
「どんな意味?」と聞かれますが、その名の通り「魂の花」。
いつも、タイトルはフィーリングでつけたり、深い意味を込めたり。
色々なんですが、ストライク!が入った時は嬉しくなります。
「この絵には、このタイトルしか無い!」みたいな。

4月に、北海道のお友達からラベンダーの絵ハガキをもらって、
さわやかな風を大阪に運んでもらいました。
今回の個展も、子供たちが花々と自由にたわむれる絵が多かったのですが、
311への鎮魂の気持ちが無意識に出てきたもので、
自分の中で否定しないでおこうと思いました。

言葉では言い尽くせないものを、絵にあらわすというのが、
絵描きの使命つうか、一番面白いところじゃないのかなあ。
心の中の「モヤモヤ感」を、形にするのが表現の仕事。
「これはチュリーップの絵」とか、
「これは可愛い絵」とか、
「これは売れる絵」とか。
レッテル貼りはなんだかおかしい気がする。。。いつも思うこと。
だって「ピカソの絵」で通じますよね。
「岡本太郎の絵」って言うだけで、説得力充分ですよね。
私の絵も「上砂理佳の絵」。それだけ。

私はやはりずーっと、あの津波の泥の中に埋もれてしまった、
小さな子供達が可哀想でならないのだと思います。
私の兄がとても若くして亡くなったので、
「無念」の思いが、重なるのかもしれません。

幼くしてああいう形で亡くなるということは、
「まだ生きたかったよ。もっと遊びたかったし、大人にもなりたかったよ」
という想いをいっぱい残して天に行ってしまったということで、
魂がまだこの世を浮遊してるような気がするんです。
私はその魂を、「解き放ちたい」欲求が強い。
恐ろしい泥水ではなく、花や光の中で、自由に遊んで欲しいのです。
きっとそう思っているから、そういう絵が自分から出てくるのだと思うんです。

でも、またいつかその魂は、別のものに姿を変えて、
再び地上に生まれてくる。だから、悲しむことは無い。
悲しむことは無いのだ。そうも思います。

原発事故による虚無感と、再びの希望と。
よどんだものと輝くものが、
ないまぜになって心を占める日々。
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2 コメント

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Unknown (あずみ)
2011-07-06 15:13:08
「あずみ画房」オーナーです(笑)

仰る事、全部同感です。
絵を描く者にとってその作品は想いのひとかけら。
表現方法はもちろん、
描かれたものが実在するものだとか、
想像のものだとか一切関係ありません。
心は決まった形なんて無いし、
何にも囚われることなく自由であるべきもの。
だからそこから生み出されるものも
「こうあるべき」なんてものはないはず。

でも絵を描かない人にはなかなか分かってもらえない感覚かもしれません。
いろいろな人に作品を見てもらう中で、
幾度となくそれを感じてきました。

ただプロの絵描きさんの場合はいろいろな現実問題があるのもまた事実なので、
それも致し方ないことなんでしょうね。


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そうですね~ (うぐいす)
2011-07-09 01:18:13
あ、あずみ画房さんですね!^^

「心は決まった形なんて無い」
そうそう!そうですよね。
なにものにもとらわれなくていいんだけど、
な~んか世の中では、
妙に決め付けたがる傾向があるので。。。

描く動機も、手段も、結果も、
「これが正解」なんて無くって、
その人のあるがまま…が、滲み出ているのが、
いいなーと思います。
それでも何らかの制約があると、
それを乗り越えようと一所懸命に頑張るので、
グータラな私にとっては(笑)、
現実と戦うことも良いのかもしれません。。。
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