俳句仲間がなっちゃん先生の俳句の本を貸してくれました。
その中から~。
病気や死をも俯瞰してみる
たとえ病気のようなネガティブなことでも、俳句に詠むことで自分を客観視できる。
正岡子規に、絶筆三句とよばれる有名な句があります。
をととひの糸瓜の水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間にあわず
子規の病がかなり進行して、家人が痰を出すための薬となるヘチマの水を
一昨日も取らなかった、そして痰が大量に出てヘチマの水薬も間に合わなかった。
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
仏となった子規自身が真ん中にいて、庭先の糸瓜棚には
ヘチマの花が咲いている。自分はそれをどこか上の方から見ている、
つまり、俯瞰しているという句になっています。
死後の自分の姿やヘチマ棚の様子を、独特の客観視できるんだと思います。
私は自分の「死」をそのように想像できたら、ちょっとラクになる。
子規の大らかな精神に学びたいです。
確かに、俳句を続けていると、性格も変わっていくことがあります。
短気で怒りぽかった方が、周囲の人や物を冷静に観察すりょうに心掛けていくうちに、
性格が穏やかになったり、寛容になったりというケースがたくさんんあります。
たくさんの人たちが俳句に救われているなと感じます。
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この本を読んで、なっちゃん先生の俳句にかける情熱を知ることができました。
子規の大らかさというのに、私も惹かれます。
俳句を作り性格も向上できたら言うことないです~。
まさかの俳人生活です。← 嘘です。これもブログのお蔭です。
ブログ友さんが、去年の秋ごろ急に俳句を作ると宣言しました
それに続いて、もうひとりのブログ友さんも作り始めました。
私は無理と思っていたのですが、やはり、つられて挑戦してみました。
それがキッカケで俳句も習い始めました。
教室は年に6回くらいなので、月に1回くらいの方が良いとも思うのですが・・・