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「世界一受けたい授業」を見た。
今月から東京は岩波ホールで上映されている「ゲッベルスと私」。
HPの一部です。
ナチスドイツでヒトラーを支えたヨーゼフ・ゲッベルスに関する映画
「ゲッベルスと私」が公開された。
ゲッベルスはナチスドイツの宣伝大臣として活動、
悪質な政治宣伝でドイツ国民を洗脳し続けた。
映画ではゲッベルスの元秘書ブルンヒルデ・ポムゼルさんが
69年の沈黙を破り激白したもの。
当時のドイツはキリスト教徒が大半を占めており、ユダヤ教徒を迫害していた。
教えてくれるのは「ゲッベルスと私」の監督クリスティアン・クレーネス先生。
スタジオにクリスティアン・クレーネス先生が登場。
ヨーゼフ・ゲッベルスはヒトラーとの2ショット写真を机に飾るほど大ファン、
宣伝アイデアに”子どものために作れ”というこだわりを持っていた。
子どもが大好きな最新鋭の飛行機を使ってドイツ中で政治宣伝、
国民が徐々に注目していった。ゲッベルスはヒトラーの8歳年下、
当初は党のやり方を巡ってヒトラーと対立していたが、
討論を繰り返すうちに次第に共感するようになった。
ゲッベルスが最も精力的に行ったのが映画政策。
冒険・愛・犯罪・殺人といった観客の興味をそそるストーリー、
いずれもドイツ軍が英雄として作られていた。
新聞社をも監督下におき、ヒトラーに都合の良い記事で国民を騙していった。
当時、ドイツ国民はゲッベルスを慕い、演説を聞くために入場料を払ってまで見に行った。
当時、ゲッベルスはあるものを増やすことでドイツは幸せな国だと思い込ませた。
それが祝日、家族でいる時間を増やすことで国民に幸せだと思い込ませた。
祝日には祭典やパレードを演出し街を盛り上げた。
ドイツはアメリカの世界恐慌の影響で貧困に苦しんでおり、
逆手に取ったゲッベルスは
娯楽を織り交ぜて幸せだと思い込ませる政治宣伝を行った。
1943年ごろからソ連・アメリカ・イギリスの猛反撃により
劣勢に立たされたドイツ軍。
この頃からヒトラーは国民の前に姿を見せなくなった。
ゲッベルスは終戦ぎりぎりまで政治宣伝を行い、戦争への士気を高めようとした。
終戦を迎える1945年4月、ヒトラーはナチス崩壊と共にピストル自殺。
遺書ではゲッベルスを首相に任命したが、
ゲッベルスも自分の子ども6人を毒殺してから妻と心中した。
こうしてナチスドイツは崩壊、ドイツ国民はゲッベルスの洗脳とから解かれた。
ゲッベルスの秘書だったポムゼルさんは
「もし自分たちがあの時代にいたら、”もっと何かしていた”と今の人はよく言う。
でも、ナチス体制に逆らうのは不可能だった、
それでもやるなら死を覚悟するほかありませんでした」と話している。
ポムゼルさんは宣伝省の地下に隠れていたがソ連に見つかり拘束、
5年ほど収容所に入れられ、釈放後はドイツの放送局に勤務。
そして、2017年に106歳という高齢で亡くなった。
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ブルンヒルデ・ポムゼルさんが103歳の頃の映像だと思います。
見たこともないシワシワの顔の写真に驚いた。
記憶も最後まではっきりしていたのでしょう。
ヒトラーを支えたゲッベルスという人物のことは知りませんでした。
ヒトラーもゲッベルスも自殺で終わっている。