1・15日の新聞記事の抜粋。
戦後70年 想う
伝統忘れた日本に「怒り」
日本文学研究者 ドナルド・キーンさん 92歳
米コロンビア大学名誉教授。2008年文化勲章受賞。
2012年に日本に帰化。
大戦中、日本兵の辞世の歌を翻訳し、「源氏物語」の原文を苦労して読みながら、
「日本文化は、いずれ世界を席巻する」と、密かに期する米国海軍将校がいた。
その人ドナルド・キーンさんは「想いは実現した。しかし・・・」。感慨と共に苦言も呈す。
能・茶・書 人類共通の喜びに
世界の勝者
異本の文化は現在、世界の勝者になった。
漫画や映画、和食は産業として成功し、日本の小説は数多く翻訳され、ベストセラーにもなる。
美術、建築、さらに生活のあらゆる場面で、日本的なセンスと造詣は、
世界的な美術的な美の基準になりつつある。
合理的で洗練され、自然と響きあうこの国の美的センスを、すでに多くの欧米人が共有する。
戦争に敗れたからこそ現在がある。作家の高見順は、1945年8月の日記で
無念さを述べつつ、戦中の言論統制に触れ、
「勝ったら日本も世界も闇だとしばしば思った」と吐露している。
今では海外の大学らしい大学ならば当然、日本語を教えている。
教育の問題はむしろ日本国内にある。
小学生から英語が推奨され、自国語の教育を圧迫している。
古文を読む力が国民から失われて久しいが、国文学研究も衰退の一途だ。
無理もない。「源氏物語」の悲哀を行間に味わう暇も与えず、
中学、高校では文学ではなく文法を教え込む。
もし書道の授業がなくなれば、日本画の消滅も時間の問題だろう。
海外でこれほど価値が認められつつある日本文化を、当の日本人は
粗末に扱いつづけてきた。そんな70年間でもあった。
日本人は、過去の歴史や慣習を簡単に手放し過ぎたのではないか。
芸道は未来を救う
書籍をはじめ、あらゆる文化の電子化、英語中心のグローバル化は止められそうにない。
国立民俗学博物館長だった梅棹忠夫氏との対談をよく覚えている。
氏は「地球時代が来た」と表現し、「日本文化は世界になにを貢献しうるか」、問うてきた。
私は、高齢化、機械化が進み、膨大な余暇を手にする人類の未来には
「日本の第二芸術が役立つ」と答えた。現在はより一層、それを確信する。
素人が参加できる第二芸術がこれほど豊かな国をしらない。
格式ある家元制度から地域の集いまで、多種多様な組織が共存し、
老若男女が研鑽を積み合う。それが日本の美意識を支えている。
謡曲や三味線、尺八、舞踊など芸事の裾野も広い。
披露し褒め合えば、孤独もまぎれる。
能、文楽、歌舞伎ファンは世界中で増え、茶道、華道、書道など、
日本人の向上心の源である「道」は、世界へ広がるだろう。
それぞれの土地で翻訳、アレンジされ、21世紀の人類共通の喜びとなる日が、
やがて来るのではないか。
その時、本家日本の文化はどれほどの水準を維持しているか。楽観せず、見守りたい。 以上
キーン氏: 私はもう日本人。内輪褒めはしない。クールジャパンという言葉も使いません。
氏の日本への「愛」が伝わってきました。
やはり、国語の授業の重要性を言っていますね。
日本語の文法って、「未然、連用~」の活用を思い出しました。
なんだか、英文法より難しいような気もする!? 文法より文学を学ぶ方た楽しい~
子供のころはみんな書道教室に通っていたような・・・
先日もこちらで拝見したように、日本史が選択科目になっているとか、国語より英語が大事そうになっているとか・・・
これから数年後が、もっと怖いです
そして、小学生の頃、書道を習っていました。子どもも多かったので、教室はとても賑わっていました。
お稽古事が日本人の美意識を知らぬ間に育てているのでしょうね。
教育は日本の将来を決めるので、もう少し真剣に考えてほしいですね
うちの息子たちも 当然知っているかと思うようなことわざや四字熟語を知りません。
英語もいいけど、まず自国の言葉ですよね。
頭の柔らかいうちに、たくさん教えてほしいです。
「茶道」をずいぶん長い間習っていました。
お茶を飲むのに1時間もかかる~と冷やかされましたが、あの儀式的なところが好きでした。
小学生の英語は、5段階評価をするのでしょうかね。英語に親しむ程度にする方が、英語嫌いを無くすと思うのですが。
アメリカ人のタレントさんが、英語を全員ができるようにならなくても、いいのではと言っていました。
Oh,アガサさんは茶道を嗜む淑やかな女性ですね~