立春の頃って一番寒いですよね。
3日にBS朝日で放送された「昭和偉人伝」:杉原千畝 を見ました。
生前の奥様が「徹子の部屋」で、ご主人の思い出を話されている姿が映されていました。
リトアニア領事館前に大勢のユダヤ人たちが来たのを見て、
奥様と2人でビザを発給することを2日間悩んだそうです。
そしてナチスに知られれば、もしかして奥様にも危険が迫るかもしれないので、
自分一人でやると言われたそうです。
お孫さんや、姪御さん、貿易会社@モスクワで働いていた時の部下だった方など
皆が思い出話をしていました。
元部下の方は、杉原千畝さんは昔のことを、一切話さないので、
千畝さんがイスラエル政府から表彰された時は、「本当ですか?」と聞いたら、
微笑まれて「そうだ」と答えたそうです。
本当にビックリしたと。さすが謙虚な人柄です。
日本政府は戦後、千畝さんの存在を消した。ユダヤ人たちにビザ発行を認めなかった反人道的な態度が
明らかになってしまうし、都合が悪いので、千畝さんを外務省から追い出してしまった。
日本の官僚のスケールの小ささが、ここでも明らかになってしまった。← いつかばれる!
そして姑息な態度が、より鮮明になってしまうのにね。
私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。
しかし、私は頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった
大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。 杉原千畝
何故、いままで知らなかったのかと思いました。
外務省から追い出された千畝さんは、どれほど残念な思いをされたことでしょうね。
解雇されなければ、もっといいお仕事をされたのではないかと思います。
究極の選択だったのですね。
当時、外務省で評価されなかったのが、知名度の低さの原因なのでしょうか。
結局は、日本のために大いに役立ち、外交官としてもちゃんと仕事をしたことになったのに。
外務省にはろくな人間がいなかったのですね。
やはり学校で教えてほしいですね。
外務省を追い出された時は、どんな思いをされたでしょうね。海外で苦労の連続だったし・・・
外務省は大人材を失ったことにも気がつかなかったのでしょうか!?
奥様に謝った時は、もう千畝さんはこの世にはいなかったのですから・・・
当時の外務省は自分たちのミス(反人道)を隠したかったのでしょうか。
外務省って海外の情報を一番先に知るのではって思うのですが、彼が顕彰されたら、その時に行動すべきが、それでもまだ、行動ができていなかった。
2000年になって、やっと非を認めた。情けない・・・