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ここは横須賀です。
以前も横須賀に縁のある小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)の
記事を読み、ブログに書いたことがありましたが、
今回も、新聞の湘南版に記事がありました。
小栗上野介 群馬から光
今年で創設150周年を迎える横須賀製鉄所、後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠(こうしょう)に、
遠く群馬県から熱い思いを寄せる住職がいる。高崎市の山あいにある寺(東善寺)を訪ねると、
そこはまるで横須賀の博物館のようだった。
ちょうど5・24日に寺で開く「小栗まつり」の準備が始まっていた。
小栗上野介は横須賀市民にとってはヴェルニー公園の胸像でおなじみだ。
小栗家は徳川家に仕えた旗本で、上野介はで江戸末期に勘定奉行として
横須賀製鉄所の建設を進めたことで知られる。
上野介は幕府が倒れた後、「逆賊」扱いされ、新政府に斬首された。
東善寺は上野介の菩提寺として、毎年の小栗まつり(顕彰会主催)で供養している。
本堂には横須賀造船所の写真から、明治初期の「横須賀明細一覧図」、
横須賀製鉄所のレンガの実物まで飾ってあった。
さらに、上野介らの一行が渡米時に大統領と会見し、米国の歓待を受ける新聞の挿絵などを
大きなパネルにして、部屋中が埋め尽くされている。
住職は「横須賀には小栗がつくった箱物がある。横須賀を評価することは、
小栗の評価にもつながる」と熱っぽく語った。
横須賀製鉄所への思いを村上住職に聞いた。
ー 昨年は横須賀製鉄所を紹介する小冊子もつくる力の入れようです。
日本近代化の礎を築いた小栗の業績が評価されてほしいからです。
製鉄所建設に反対論が出た時、小栗は
「幕府の運命には限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と言って抑えました。
私が一番好きな言葉です。
しかし、新政府軍が無実の罪で処刑し、小栗は教科書にも載っていません。
明治新政府の歴史観でゆがめられ、今も逆賊扱い。
150周年を機に、見直しの機運が高まってほしい。
横須賀製鉄所は蒸気機関を原動力に、
ネジから軍艦まで、あらゆる工業製品をつくる総合工場。
その後、海軍専用となり、軍港のイメージが強まるが、政府が軍港にしたのであって
当初は単なる軍艦製造の軍港だけということではなく、
日本中に近代技術の種子を飛ばす「産業革命の地」だった。
横須賀の誇れる歴史だと思います。
もし、横須賀に住んでいなかったら、小栗上野介のことを知らなかったかもしれません。
以前、NHKで彼のことを、お正月にドラマで放送され、それを見て、知ったのか、
ヴェルニー公園の胸像で知ったのかは、覚えていませんが・・・
彼がいなければ、製鉄所建設も、後回しになって、日本の近代化が遅れていたでしょう。
彼のことは教科書にも載っていないって、なぜなのでしょう。
教科書を作る歴史家の先生方も、未だに何も言わないのでしょうか。
江戸城無血開城といわれていますが、その影には、
彼のように死刑になった人物も多かったのでしょうか。
無血革命なんてないでしょうね。