「新報道2001」は、
「65歳で“残債地獄” 追跡・・・老後破綻の実態 消え去った夢と退職金」
とても深刻な内容でした。(長めのブログ)
’88年から97年くらいのバブルの頃に住まいを購入した人々の中には
ゆとりローンの重圧などで、月々のローンが払いきれなくなった人々が多くいる。
20年前にマンションを購入したAさんは、現在60歳代になり、収入が追いつかない。
売却することにしたけれど、価格は下がり売ったとしても、まだ、ローンが残ってしまうという悲劇がある。
また、Bさん71歳は、結婚した奥さん(再婚で男の子がいた)の子を養子にして育てた。
郊外に家を買い、子どもが結婚しても住めるように二世帯住宅を建てた。
しかし、子どもは独立して結婚した。そして、養子縁組を解消してしまった。
老後の親の面倒を見るのが嫌だったのでしょう。
親子でローン返済を考えていたけれど、それが出来なくなり、今は地獄のような心境だと話していた。
そして、ロープと警察宛の封書を袋から出した。これを用意してあると。
首吊り自殺をしようと、場所を探し回った・・・。
(Aさん、bさんも顔はぼかして、仮名でTVに出演してくれていた)
※ 不況が深刻だった90年代、公共投資だけでは景気を浮揚できなかった政府が、
旧住宅金融公庫に導入させた「ゆとり返済」の制度だ。
これは、当時主力だった25年ローンに、
最初の5年間だけ利払いを減らした返済額を設定し、
「生活にゆとりができる」という触れ込みで利用者を増やした。
ところが、借り手の賃金収入が年齢とともに上昇することを前提にして、
6年目からは返済額が増える設定だったため、その後の不況によって計画が狂い、
ローンを払えずお手上げとなった人が続出。競売件数が増えた。
これが社会的な批判を浴びて、2000年以降の公庫廃止論や融資縮小の背景にもなった。
AERA 2013年2月11日号
AさんもBさんも、普通に真面目に働いていた人たちでした。
「ゆとりローン」は、2000年に廃止になったと言っていた。
住宅を買って6年後、11年後と金利を上げるのは、年取ってから
多く支払わなければならないので、無理のあるシステムだったのですね。
目先はローン支払いが安いので、取っつきやすいシステムですが・・・
「易きに流れる」のは人の常ですが、国をリードする人々が、
国民を不幸に陥れるようなシステムを作ってしまった。
普通に働いていれば、給料が徐々に上がると信じていたが、そうならなかった。
そして、住宅は値下がってしまった。← 人口が減り、その結果
それがAさん、Bさんたちのようなことになってしまった。
ゆとりローンは聞いていたけれど、多くの人々が、この様な結果になってしまった。
ところで、誰もたった10年、20年先のことが、想像できなかったのでしょうか。
一般人は無理かもしれないけれど、学者たちはどうだったのでしょうね。
経済学者や社会学者など、大勢いるけれど・・・
今後の課題をゲストたちが話した。答えは簡単ではないけれど・・・
小野寺五典氏:政治家が話していた。
地方に多くの人々に来てもらいたいけれど、働く場所が少ない。
地方で高齢者を受け入れる施設を作る。地方と言っても山奥とかではない、
便利な商店街などに作る。大都会にその場所を作る余裕がない。
地方都市には空き店舗が多くある。1Fお店、2Fを施設にするとか。
そこで働く多く人々が必要になる。今は地方では老人が多いが、先になれば老人もいなくなってしまう。
このような話でした。
家族のあり方も話題に。
下重暁子さんが、家族というと血のつながりを言うけれど、これからは
心のつながりも家族と同じようになるといい、という話でした。
そして、小野寺氏も、仕事柄、いろいろな所に行き、いろいろな家族を見てきたが、
しっかりしている家族は3世代、4世代が一緒に暮らしている家族だったと言っていた。
両親が働いていると祖父母が子どもの面倒を見てくれる。
一緒に住める環境があればいいですが、簡単ではないですね。