3月11日は、ちょうど10年前に東日本大震災が発生した日です。
この震災の結果、約2万2千人の命が失われました。
テレビ・新聞は、あの未曾有の災害や復興の現状を伝え、
地震と津波への備えを忘れてはいけないと、報道しています。
午後からは、国が主催する追悼式が行われました。
岩手県や陸前高田市を始め、被災した各自治体でも行われました。
写真は、NHKのテレビで映し出された模様です。
あの震災時、私は茨城の職場に勤めていました。
たまたま職場の外にいましたが、初めて経験した物凄い揺れに驚き、
体が凍り付いたようになってしまいました。
職場に戻ってからは、全員が無事かどうか、
外出者や出張者はどこでどうしているか、明け方近くまで
安否確認に必死になりました。
電気が止まり、テレビも見られず、固定電話もつながらない中、
ラジオと携帯だけが頼りでした。
あの夜、ゴーっという地鳴りのような音とともに、余震が
繰り返し続いたことを、今でも覚えています。
都内では、被災者追悼のキャンドルが灯されました。
西武線の田無駅では、市民団体の方が市民に、キャンドルの
点灯を呼び掛けていました。
同じ西武線の清瀬駅でも、ボランティアセンターの方による
キャンドルの点灯が行われました。
改めて、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
私たちは一口に「自然とともに生きる」と言います。
しかし、その自然は、私たちを温かく包むだけでなく、
命をも脅かす過酷な側面ももっています。
自然をコントロールすることなどできません。
このことを忘れずに、自然の営みに畏敬の気持ちをもって、
生きていかなければならないように思うのです。
この震災の結果、約2万2千人の命が失われました。
テレビ・新聞は、あの未曾有の災害や復興の現状を伝え、
地震と津波への備えを忘れてはいけないと、報道しています。
午後からは、国が主催する追悼式が行われました。
岩手県や陸前高田市を始め、被災した各自治体でも行われました。
写真は、NHKのテレビで映し出された模様です。
あの震災時、私は茨城の職場に勤めていました。
たまたま職場の外にいましたが、初めて経験した物凄い揺れに驚き、
体が凍り付いたようになってしまいました。
職場に戻ってからは、全員が無事かどうか、
外出者や出張者はどこでどうしているか、明け方近くまで
安否確認に必死になりました。
電気が止まり、テレビも見られず、固定電話もつながらない中、
ラジオと携帯だけが頼りでした。
あの夜、ゴーっという地鳴りのような音とともに、余震が
繰り返し続いたことを、今でも覚えています。
都内では、被災者追悼のキャンドルが灯されました。
西武線の田無駅では、市民団体の方が市民に、キャンドルの
点灯を呼び掛けていました。
同じ西武線の清瀬駅でも、ボランティアセンターの方による
キャンドルの点灯が行われました。
改めて、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
私たちは一口に「自然とともに生きる」と言います。
しかし、その自然は、私たちを温かく包むだけでなく、
命をも脅かす過酷な側面ももっています。
自然をコントロールすることなどできません。
このことを忘れずに、自然の営みに畏敬の気持ちをもって、
生きていかなければならないように思うのです。
大阪でも3.11の時はかなり揺れました。よく覚えています。東北にいた友人もいて、九死に一生を得るような話を聞きました。
ブログにコメントをありがとうございます。
3.11のときは、新幹線も高速道も止まり、
実家になかなか戻れませんでした。
「田園」はいいですね。
チェロの宮田さんは、今人気の方ですね。
一度聞いてみたいです。