中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

吉野

2007-04-06 09:02:24 | 身辺雑記
 奈良県吉野町に桜を観に行った。
 
 吉野町の一部は吉野熊野国立公園に属していて、吉野と言うとずいぶん奥深い所にあるように思っていたが、バスで行くと道路が良く渋滞もなかったので意外に早く着いたから、5時間ほどゆっくり散策することができた。山の斜面に群生する桜は「千本桜」として知られていて、下から下千本、中千本、上千本、奥千本と開花する時期が順次ずれていき、かなり長い間楽しむことができるようだ。あいにく開花時期にはまだ少し間があるようで、下千本、中千本でまあまあと言う開花状態だった。上千本から上は時間の都合で行かなかったし、おそらくまだ咲いていなかっただろう。

下千本にある駐車場で


下千本の桜




 吉野は日本歴史の中でも古くから知られていて、吉野町の公式サイトには次のような記述がある。

  「吉野」は、古くは古事記、日本書紀、万葉集にも記述があり、歴史の大きな舞台にも幾たびか姿を現してきました。後に天武天皇となった大海人皇子が壬申の乱の前に吉野に身を潜め、平家を討った源義経が兄頼朝に追われて吉野に逃げ込み、北条幕府を倒して建武の中興を遂げた後醍醐天皇が南朝の拠点として選んだのも吉野です。

 都からそれほど遥か遠く離れていると言うほどではないが山深い地なので、吉野は身を潜めるのに都合が良かったのだろう。いつの頃から吉野と言えば桜と言うことになったのかは知らないが、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目に「義経千本桜」と言うのがあるから、かなり古くから知られてはいたのだろう。

 金峰山寺蔵王堂(きんぷせんじざおうどう)。国宝。古来の山岳信仰に基づく仏教の一派である修験道の根本道場。木造古建築としては奈良東大寺大仏殿に次ぐ規模と言われる。




境内にある神社。久富大明神と言う。


 この近くに義経が静御前と過ごしたと言う吉水神社もあるが行かなかった。

 中千本あたりで昼食にした。桜はまだあまり咲いてはいなかったが、満開になれば見事だろうと想像した。




 吉野の桜と言うと、その名からソメイヨシノを思うが、ソメイヨシノ(染井吉野)は、明治期に東京染井の植木屋から売り出されたエドヒガンとオオシマザクラの雑種で吉野とは関係がない。今では全国に広がっているが歴史は新しく、樹齢も短い。時代劇の花見の場面などの桜は皆ソメイヨシノだが、実際にはエドヒガンザクラか何かだったのではないか。吉野にもソメイヨシノがあるのかは知らないが、多くはヤマザクラである。ヤマザクラは花の前に葉が出る。




シダレザクラ(枝垂桜)もあちこちで見られた。
  

 いつの時代からこのような[千本桜](実際には数万本と言うことだが)と言われるようになったのか、同行した卒業生が説明板で見たところによると、参詣者が桜の苗を買い求めて、それを寄進のために植えたものが増えていったのだそうだ。ヤマザクラが多いから、明治以前のことなのだろう。