統一地方選挙後半の選挙運動、舌戦も終わり、今日は打って変わった静かな朝を迎えた。ともあれ、投票所に向かう。まだ早いせいか、あまり人は多くないが、さて今回の投票率はどれくらいになるのだろうか。
4年前の記憶が薄れていることもあるのか、定員削減で激戦になったためなのか、選挙カーの連呼が毎日うるさかった。近頃はプロの「うぐいす嬢」を雇うとかで、そのせいかオクターブの高い声で、しかも大音量で名前を連呼されると、まことにうるさい。先日もある会議中に、あまりうるさいので窓を閉めた。駅前で演説している候補者もいるが、やはりスピーカーの音量が大きい。この場合はまだしも政策らしいことを言っているが、選挙カーの場合は、「人に優しい町つくりを目指す」とか「若さ溢れる」とかをつけて名前を叫ぶだけだから、うるさいなと思うだけで逆効果ではないかとも思う。
それにしても選挙運動中は、新顔はもちろん現職も低姿勢だ。かつて私がある市の教育委員会事務局にいた頃、仕事上市会議員のもとを訪れることがよくあったが、概して横柄な態度が多く、中には怒声を上げて「おまえは我が党をバカにするのか」などと脅迫まがいの物言いをする者もいた。私は父からも「おまえ」呼ばわりされたことがなかったので、きわめて不愉快だった。またある若手議員は、たまたま私が勤務していた高校の卒業生だったが、こちらは職務上ていねいな物言いをしているのに終始タメ口で、生意気な感じがした。その男が選挙期間中に街で出会った時、向こうから満面の笑みを浮かべて走り寄って来て「先生、よろしくお願いします」と握手を求めてきたのには、これが議員根性と言うものかと浅ましく思ったものだ。いわゆる長老議員の中には鼻持ちならないくらい傲慢で横柄な者もいた。そのような議員も選挙中は笑顔で腰が低いのだろうか。もちろん、現職中も選挙中も終始物腰低く、丁寧な物言いの議員もいたが、少数だった。
「選良」などと言う言葉は、もう死語に近いものになったのかとも思う。当選したら昨日まで下げていた頭(ず)が高くなり、ふんぞり返るようにはなってほしくないが、多くの場合は高望みと言うものだろうか。議員は特権階級ではない。「落選すればただの人」と言われるが、当選しても「ただの人」であってもらいたい。何のために、誰のために政治に関わっているのかを常に謙虚に考えて身を処していくためにも、「ただの人」であることを心掛けるべきだろう。
4年前の記憶が薄れていることもあるのか、定員削減で激戦になったためなのか、選挙カーの連呼が毎日うるさかった。近頃はプロの「うぐいす嬢」を雇うとかで、そのせいかオクターブの高い声で、しかも大音量で名前を連呼されると、まことにうるさい。先日もある会議中に、あまりうるさいので窓を閉めた。駅前で演説している候補者もいるが、やはりスピーカーの音量が大きい。この場合はまだしも政策らしいことを言っているが、選挙カーの場合は、「人に優しい町つくりを目指す」とか「若さ溢れる」とかをつけて名前を叫ぶだけだから、うるさいなと思うだけで逆効果ではないかとも思う。
それにしても選挙運動中は、新顔はもちろん現職も低姿勢だ。かつて私がある市の教育委員会事務局にいた頃、仕事上市会議員のもとを訪れることがよくあったが、概して横柄な態度が多く、中には怒声を上げて「おまえは我が党をバカにするのか」などと脅迫まがいの物言いをする者もいた。私は父からも「おまえ」呼ばわりされたことがなかったので、きわめて不愉快だった。またある若手議員は、たまたま私が勤務していた高校の卒業生だったが、こちらは職務上ていねいな物言いをしているのに終始タメ口で、生意気な感じがした。その男が選挙期間中に街で出会った時、向こうから満面の笑みを浮かべて走り寄って来て「先生、よろしくお願いします」と握手を求めてきたのには、これが議員根性と言うものかと浅ましく思ったものだ。いわゆる長老議員の中には鼻持ちならないくらい傲慢で横柄な者もいた。そのような議員も選挙中は笑顔で腰が低いのだろうか。もちろん、現職中も選挙中も終始物腰低く、丁寧な物言いの議員もいたが、少数だった。
「選良」などと言う言葉は、もう死語に近いものになったのかとも思う。当選したら昨日まで下げていた頭(ず)が高くなり、ふんぞり返るようにはなってほしくないが、多くの場合は高望みと言うものだろうか。議員は特権階級ではない。「落選すればただの人」と言われるが、当選しても「ただの人」であってもらいたい。何のために、誰のために政治に関わっているのかを常に謙虚に考えて身を処していくためにも、「ただの人」であることを心掛けるべきだろう。