「らい(癩)病」あるいは「らい」は今では差別語として使われなくなり、病原菌の発見者の名をとって「ハンセン病」と言う。「らい」と言う言葉自体は本来差別語ではなく、今でも病原菌を「らい菌」と言う。しかし、周知のようにハンセン病の患者の歴史は悲惨なもので、単なる緩やかな感染力の伝染病で、治療可能で完治可能な疾病であるのに、強制的に生涯完全隔離され、時には遺伝疾患であるかのように、あるいは本人の業(ごう)であるかのような非人間的な扱いを患者達は受けた。そのような歴史がようやく幕を閉じたのは、1931(昭和6年)に制定された「癩予防法」が廃止された1996(平成8)年のことである。その暗い歴史にまとわりついてきた「らい病」と言う語が死語とされたのは当然のことだろう。
しかし一度だけ、このことに関して違和感を持ったことがあった。私はエリス・ピーターズと言う英国の女流作家の「修道士カドフェル」と言う歴史推理小説が好きだった。中世英国のシュルーズベリの僧院の修道士カドフェルが難事件を解決していく連作で興味深かった。その中の1つに、土地のある貴族が十字軍の戦いに出て囚われの身となり、脱出して帰国するが、重い病に罹って姿かたちが変わってしまい、人目を避けて故郷に帰ってくるという話があった。その貴族の病を訳文では「ハンセン病」としていて、それが地の文だけでなく会話の中にも出てくるので興ざめした。おそらく「らい病」または「レプラ」と言う語を避けたのだろうが、中世英国の話の中に、それも会話の中に現代的な病名を使うのは、やはり行き過ぎだ。せめて「重い皮膚病」くらいにできなかったのかと思った。過ぎたるは及ばざるが如しではないだろうか。
しかし一度だけ、このことに関して違和感を持ったことがあった。私はエリス・ピーターズと言う英国の女流作家の「修道士カドフェル」と言う歴史推理小説が好きだった。中世英国のシュルーズベリの僧院の修道士カドフェルが難事件を解決していく連作で興味深かった。その中の1つに、土地のある貴族が十字軍の戦いに出て囚われの身となり、脱出して帰国するが、重い病に罹って姿かたちが変わってしまい、人目を避けて故郷に帰ってくるという話があった。その貴族の病を訳文では「ハンセン病」としていて、それが地の文だけでなく会話の中にも出てくるので興ざめした。おそらく「らい病」または「レプラ」と言う語を避けたのだろうが、中世英国の話の中に、それも会話の中に現代的な病名を使うのは、やはり行き過ぎだ。せめて「重い皮膚病」くらいにできなかったのかと思った。過ぎたるは及ばざるが如しではないだろうか。