差別語と言われるものは、本来その言葉そのものに差別的な意味がない場合でも、その言葉を使うことによって、対象者を蔑視し忌避して、その人権を無視し差別することに問題がある。ひところ差別用語に対する批判が強くなり、使うこと自体が差別意識を持っているとして指弾の対象になったこともあった。最近では落ち着いてきているようだが、マスコミでは今なお自己規制が強いと聞く。時代劇のアニメなどで、時々一瞬言葉が消えることがあるが、おそらく差別語と判断して消したのだろう。
既に紹介した日本魚類学界が魚の名称を改めたことについては、一部では過剰反応、過剰自己規制と言う声もあるようだし、インタネットなどを見ると、いささか揶揄的な意見もある。魚類に限らず他の動植物についても、これからは同様の動きになっていくのが趨勢なのかも知れない。インタネットでも挙げられていたが、コビトカバやバカガイ、アホウドリなども対称になるのかも知れない。探せば幾らでも出てくるだろう。
私は「バカ」が差別語なのかどうかについては疑問を持つ。この言葉を知的障害がある人に対して使うことは論外で、それこそ差別感丸出しと言えるが、それ以外については、使い方によってさまざまなニュアンスがあるので一概に差別語とは言えない。単に「愚かしい」ことを意味することもあり、例えば親や教師がつまらないことをしでかした子どもに「本当にバカだなあ」と言った時には、子どもに対するある種の共感も含んでいると考えられないこともない。しかし「バカヤロウ」となると相手を軽蔑し、見下した強圧的な感情の表れだろう。中国に行った時、退屈しのぎにテレビを点けてみるが、今でも抗日戦争をテーマにしたドラマをやっていて、そこに出てくる日本軍人とりわけ将校が「バカヤロウ」と中国人を罵る場面をよく見る。かつての中国人がまず覚えた日本語は「バカヤロウ」だったと聞いたことがある。とは言っても「バカヤロウ」が差別語と言えるのか。いっときはバカを使うことには非難もあったが、「バカの壁」という本がベストセラーになってからは、あまり抵抗なく使われるようになっているのではないか。
関西人がよく使う「アホ」あるいは「アホウ」も同じで差別語ではないだろう。「アホかいな」は軽いからかいの言い方、話の合いの手のようなものだし、「アホやなあ」と言われても腹を立ててむきになることはあまりないだろう。しかし、「アホか」とか「どアホ」とか言うのは軽蔑や罵りで、これは言われた方は感情を害する。よく言われるように、関東は「バカ」で、関西は「アホ」だから、東京人は「アホ」と言われると腹が立ち、大阪人は「バカ」と言われると腹が立つのだそうだ。
既に紹介した日本魚類学界が魚の名称を改めたことについては、一部では過剰反応、過剰自己規制と言う声もあるようだし、インタネットなどを見ると、いささか揶揄的な意見もある。魚類に限らず他の動植物についても、これからは同様の動きになっていくのが趨勢なのかも知れない。インタネットでも挙げられていたが、コビトカバやバカガイ、アホウドリなども対称になるのかも知れない。探せば幾らでも出てくるだろう。
私は「バカ」が差別語なのかどうかについては疑問を持つ。この言葉を知的障害がある人に対して使うことは論外で、それこそ差別感丸出しと言えるが、それ以外については、使い方によってさまざまなニュアンスがあるので一概に差別語とは言えない。単に「愚かしい」ことを意味することもあり、例えば親や教師がつまらないことをしでかした子どもに「本当にバカだなあ」と言った時には、子どもに対するある種の共感も含んでいると考えられないこともない。しかし「バカヤロウ」となると相手を軽蔑し、見下した強圧的な感情の表れだろう。中国に行った時、退屈しのぎにテレビを点けてみるが、今でも抗日戦争をテーマにしたドラマをやっていて、そこに出てくる日本軍人とりわけ将校が「バカヤロウ」と中国人を罵る場面をよく見る。かつての中国人がまず覚えた日本語は「バカヤロウ」だったと聞いたことがある。とは言っても「バカヤロウ」が差別語と言えるのか。いっときはバカを使うことには非難もあったが、「バカの壁」という本がベストセラーになってからは、あまり抵抗なく使われるようになっているのではないか。
関西人がよく使う「アホ」あるいは「アホウ」も同じで差別語ではないだろう。「アホかいな」は軽いからかいの言い方、話の合いの手のようなものだし、「アホやなあ」と言われても腹を立ててむきになることはあまりないだろう。しかし、「アホか」とか「どアホ」とか言うのは軽蔑や罵りで、これは言われた方は感情を害する。よく言われるように、関東は「バカ」で、関西は「アホ」だから、東京人は「アホ」と言われると腹が立ち、大阪人は「バカ」と言われると腹が立つのだそうだ。