上海のホテルのロビーで、尋ねてきた友人の唐怡荷と話をしていると、私の横にドスンと乱暴に腰を下ろした者がいた。見ると日本人の若い男で、体をソファーに沈みこませ、開いた脚を長く投げ出してタバコを吸っている。その向こうには仲間らしい2人の若者がいた。何やら声高に喋っていたが、やがて立ち上がってエレベーターの方に歩いて行った。皆最近の若い男によくあるひょろりとした痩せ型で、シャツとジーパン姿、髪はぼさぼさ、無精ひげで、手には火のついたタバコを持って、だらしなく歩いてエレベーターの中に姿を消した。上海に遊びに来ていたのだろう。このホテルでは他にも同じような様子の若者を何人か見かけた。3月の初めだから、春休み中の学生だったのか。
着ているものが垢じみてボロボロということではない。ぼさぼさ髪もそれなりの彼らのファッションなのかも知れない。不精ひげは私自身が最近はひげ面だからとやかく言えないだろう。しかし清潔感が感じられず、何かしら薄汚いのだ。歩き方も腰を落とし、少し背を丸めてシャキッとしていない。その姿で火のついたタバコを持ったりくわえたりしながら廊下を歩くのは、だらしがないとしか言いようがなかった。
おそらく、彼らは日本にいる時とまったく同じ服装、スタイル、しぐさなのだろう。それがなぜ悪い、外国だからと言って何もよそ行きの格好をすることはなかろうと言われればそれまでだし、考えようによっては外国だからと言って物怖じせず、普段と同じように振舞えるようになったのは、昔に比べて「進歩」したのかも知れない。しかし汚くはないが、なぜ若者らしい清潔感が感じられないのだろう。気取る必要はないがもう少し何とかならないものかと思う。だが、そもそも「若者らしい清潔感」を求めるということ自体がもはや錯誤なのか。前に読んだことがあるが、オーストラリアを訪れる各国の若者達の中で、日本の若い男が一番だらしない印象を与えていると言うことだった。
私が見かけた若者達は例外だと思いたいが、無作為抽出のようなものだから、たまたまこのような若者に出会ったというよりも、やはり同類は多いのではないかと思う。美輪明宏氏は「世なおしトークあれこれ」(PARCO出版)で次のように言っている。
・・・今や若者はどこへ行くにもTシャツとジーンズ。平気でお尻を出したり、オッパイを放り出した物欲しげなきわどい服装で街を歩く女性もいます。TPOをわきまえない、だらしなく汚れた、前世はゴミの精だとしか思えないへアスタイルと「ぞうきんファッション」。これらすべての元凶は、アメリカにあるのです。
日本人が失いつつある「つつしみ」「節度」「折り目正しさ」を取り戻すためには、戦後、アメリカから輸入して正当化されてしまったアメリカのスラム文化を、一度、全部洗い流してゼロにして再出発する必要があるのです。(以下略)
確かに、識者にこのように言わせるような現象はあると思う。年長者としては、日本の若者が世界のどこに行っても認められ、すがすがしさを感じさせるようになってほしいと願う。
着ているものが垢じみてボロボロということではない。ぼさぼさ髪もそれなりの彼らのファッションなのかも知れない。不精ひげは私自身が最近はひげ面だからとやかく言えないだろう。しかし清潔感が感じられず、何かしら薄汚いのだ。歩き方も腰を落とし、少し背を丸めてシャキッとしていない。その姿で火のついたタバコを持ったりくわえたりしながら廊下を歩くのは、だらしがないとしか言いようがなかった。
おそらく、彼らは日本にいる時とまったく同じ服装、スタイル、しぐさなのだろう。それがなぜ悪い、外国だからと言って何もよそ行きの格好をすることはなかろうと言われればそれまでだし、考えようによっては外国だからと言って物怖じせず、普段と同じように振舞えるようになったのは、昔に比べて「進歩」したのかも知れない。しかし汚くはないが、なぜ若者らしい清潔感が感じられないのだろう。気取る必要はないがもう少し何とかならないものかと思う。だが、そもそも「若者らしい清潔感」を求めるということ自体がもはや錯誤なのか。前に読んだことがあるが、オーストラリアを訪れる各国の若者達の中で、日本の若い男が一番だらしない印象を与えていると言うことだった。
私が見かけた若者達は例外だと思いたいが、無作為抽出のようなものだから、たまたまこのような若者に出会ったというよりも、やはり同類は多いのではないかと思う。美輪明宏氏は「世なおしトークあれこれ」(PARCO出版)で次のように言っている。
・・・今や若者はどこへ行くにもTシャツとジーンズ。平気でお尻を出したり、オッパイを放り出した物欲しげなきわどい服装で街を歩く女性もいます。TPOをわきまえない、だらしなく汚れた、前世はゴミの精だとしか思えないへアスタイルと「ぞうきんファッション」。これらすべての元凶は、アメリカにあるのです。
日本人が失いつつある「つつしみ」「節度」「折り目正しさ」を取り戻すためには、戦後、アメリカから輸入して正当化されてしまったアメリカのスラム文化を、一度、全部洗い流してゼロにして再出発する必要があるのです。(以下略)
確かに、識者にこのように言わせるような現象はあると思う。年長者としては、日本の若者が世界のどこに行っても認められ、すがすがしさを感じさせるようになってほしいと願う。