今年の初めに、次男からメールがあった。内容は「魚の名前で差別的な意味のものは名前を変えるという記事をみました。メクラウナギなどは分かるとして、イザリウオのイザリはたしか「漁」の意味のはず。なぜ「差別的」のでしょう?」と言うものだった。
イザリウオは体長10センチほどのアンコウの仲間の海産魚で、胸鰭と腹鰭が足状になっていて海底を這うようにして移動する。広辞苑には「いざる【躄る。膝行る】 ①すわったままで進む。膝や尻を地につけたままで進む。膝行する。(以下略)」とあり、この魚はこのような移動の仕方をすることから命名された。「いざり」は「いざる」の名詞形である。
「川崎悟司イラスト集(http://kawa3104.at.infoseek.co.jp/izariuo.html)」より。
現在はカエルアンコウと改名されている。
息子が「漁る(イサル。古語はイザル)」が由来と思っていたのは、この魚が頭部にエスカと言う擬餌のついた突起を持っていて、これで小魚を誘引して食べる(漁る)ことから命名されたという説明を聞いたのかも知れない。
ところで「いざり」は、これも広辞苑によると「いざること。尻を地につけたまま進むこと。また、いざる人」とあり、この最後の「いざる人」の意味で、脚を失ったか不自由な人に対する呼称として使われ、そこにそのような人に対する蔑視感、差別感が含まれていることから今では使わないようになった。息子にイザリウオの名の本来の意味を教えたが、「いざり」は知らなかった。もう死語になりかけているのだろうか。
その後、インタネットで「魚類学会:差別的な魚の名を改めます。32種類」と言う記事があったので息子に送ってやった。この記事にはいくつかの例が挙げられていたが、その中になぜ差別的な名称なのか今もって私には判らないものがある。今回セダカカワハギと改名されたセッパリハギと言う魚である。これまで聞いたこともなく、写真でも見たことがないので調べてみたら、体長2センチほどの小さい魚でカワハギの仲間である。他にも「セッパリ」とつくものが何種類かあるが、すべて改名されている。
この図のように背が高く張り出していることからの命名だろうが、どうやら「せっぱり」が差別的な言葉と言うことのようだ。この「せっぱり」は広辞苑にも載っていない。インタネットでも調べてみたが、カラフトマスの成熟した雄の背中が著しく盛り上がっていることから「せっぱり(背張り)ます」と呼ばれること、この鱒で作った押し寿司「せっぱり寿司」が北海道の新千歳空港で空弁(こんな言葉は初めて聞いた。ソラベンかクウベンか)として売られていることくらいしか分らなかった。推察するに、この「せっぱり」は差別的な用語とされている「せむし」を意味すると考えられたのだろう。しかし、方言としても「せっぱり」がそのような身体障害のある人達に対する蔑称として使われていたのだろうか、いろいろ調べてみたが、今のところ私には判らない。あるいは少々深読みの嫌いがあるのではないかとも思っている。
イザリウオは体長10センチほどのアンコウの仲間の海産魚で、胸鰭と腹鰭が足状になっていて海底を這うようにして移動する。広辞苑には「いざる【躄る。膝行る】 ①すわったままで進む。膝や尻を地につけたままで進む。膝行する。(以下略)」とあり、この魚はこのような移動の仕方をすることから命名された。「いざり」は「いざる」の名詞形である。
「川崎悟司イラスト集(http://kawa3104.at.infoseek.co.jp/izariuo.html)」より。
現在はカエルアンコウと改名されている。
息子が「漁る(イサル。古語はイザル)」が由来と思っていたのは、この魚が頭部にエスカと言う擬餌のついた突起を持っていて、これで小魚を誘引して食べる(漁る)ことから命名されたという説明を聞いたのかも知れない。
ところで「いざり」は、これも広辞苑によると「いざること。尻を地につけたまま進むこと。また、いざる人」とあり、この最後の「いざる人」の意味で、脚を失ったか不自由な人に対する呼称として使われ、そこにそのような人に対する蔑視感、差別感が含まれていることから今では使わないようになった。息子にイザリウオの名の本来の意味を教えたが、「いざり」は知らなかった。もう死語になりかけているのだろうか。
その後、インタネットで「魚類学会:差別的な魚の名を改めます。32種類」と言う記事があったので息子に送ってやった。この記事にはいくつかの例が挙げられていたが、その中になぜ差別的な名称なのか今もって私には判らないものがある。今回セダカカワハギと改名されたセッパリハギと言う魚である。これまで聞いたこともなく、写真でも見たことがないので調べてみたら、体長2センチほどの小さい魚でカワハギの仲間である。他にも「セッパリ」とつくものが何種類かあるが、すべて改名されている。
この図のように背が高く張り出していることからの命名だろうが、どうやら「せっぱり」が差別的な言葉と言うことのようだ。この「せっぱり」は広辞苑にも載っていない。インタネットでも調べてみたが、カラフトマスの成熟した雄の背中が著しく盛り上がっていることから「せっぱり(背張り)ます」と呼ばれること、この鱒で作った押し寿司「せっぱり寿司」が北海道の新千歳空港で空弁(こんな言葉は初めて聞いた。ソラベンかクウベンか)として売られていることくらいしか分らなかった。推察するに、この「せっぱり」は差別的な用語とされている「せむし」を意味すると考えられたのだろう。しかし、方言としても「せっぱり」がそのような身体障害のある人達に対する蔑称として使われていたのだろうか、いろいろ調べてみたが、今のところ私には判らない。あるいは少々深読みの嫌いがあるのではないかとも思っている。