
明日の母校(北海道教育大学函館校)の創立100周年記念式典に参加のために、岩手県遠野市から91歳になる大学時代の地理研究室の担当教授だった瀬川秀良先生が一人で来函した。
その宿である湯の川温泉の旅館を会場に、21名の教え子が集まった。全員60歳以上だが・・・。先生とお会いするのは5年ぶりだが、まったく歳をとってなく、91歳とは思えない矍鑠としたお姿に感動した。むしろ我々教え子の方が負けそうな感じだった。そういえば、海岸段丘の権威だった先生に率いられての全道あちこちの段丘調査の地理実習に出かけたが、当時から先生に体力面で敵う学生は1人もいなかった。

退官後、遠野市へ戻り、実家のお寺のご住職をされているのだが、元気の秘訣は、毎日朝と夕に2回、大きな声で2種類のお経を唱えていること、裏山を毎日ウォーキングしていること、家の階段で腕立て伏せをしていること、頭のボケ防止に、お説教の内容を常に新しいネタで考えていること、2種類の新聞を読み、毎日気になったニュースや記事の写し書きをしていること、最近は近松門左衛門の「曽根崎心中」を暗記して諳んじていること・・・見事にそれを披露してくれた。まだほかにもあったような気がするが、覚えきれなかった。
一番びっくりしたのは、「はごろも会(85・6盛会)」というスキークラブを作って、1シーズン10回程度は、あちこちの有名スキー場へスキーツアーにでかけているという・・・三浦雄一郎氏も負けそうな勢いだ。ちなみに、「85・6盛」は85歳・86歳が盛りという意味だとのこと。自分も80歳ぐらいまでは現役でスキーを滑っていたいと思ったが、さらに10年以上はがんばらなくては・・・と思った。
私の本格的な最初の登山は、2年生のときに羊蹄山へ連れられて登ったことである。これが現在私のめり込んでいる登山の一番先のきっかけだった。

最後に、先生が作詞した雪山賛歌の替え歌「はごろも会(85・6盛会)賛歌」を全員で歌った。中でも、5番の歌詞が奮っている。
年はとっても 気持ちは若く
夢と希望を いつ何時までも
共に 八十五六盛(はごろも)めざそうじゃないか
共に 卆寿を めざそうじゃないか
共に 白寿を めざそうじゃないか
2年後の北海道新幹線が開通したら、みんなで遠野市を訪ねることを合言葉に会を閉じたが、玄関先で、帰るみんなと強い力で握手して、見送ってくれたのにも感激した。