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午前中に、先月の総会で6期12年にわたる会長職を降りた函館スキー指導員会の機関誌『シー・ハイル』の最終号の編集作業を終えて、原稿を印刷屋さんに渡した。27年間携わってきた仕事だが、ここ数年原稿の集まりも悪くなったことのほかに諸々の事情から、自分の退任とともに最終号とせざるを得なかった。
天気も良かったので、昼食後、MTBで十字街の通称「まちセン」(函館市地域交流まちづくりセンター)まで行って、そこから車の冬季通行止めに入った函館山の観光道路のトレイルランもどきに挑戦した。
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登りは歩くこともあったが、下りは快調に走れる。
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下りで、2合目と3合目の真ん中付近のガードレールの切れ目から下に踏み跡が続いているのを発見し、そこを下ってみた。
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昔からかなり歩きこまれている旧道の感じだ。
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下り口の「区域界」標石(左) 途中の分岐付近に多くみられた「陸軍省所轄地」標石(中) 下の方に多かった「国有保安林標」標石(右)
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下って行くと、人工的に平坦にされた感じの地形に出た。赤いペンキの記しは国有林境界のものらしい。ここからあちこちに旧道然とした道が続いていた。
ここのすぐ横に、弥生坂の一番上にある老人ホームがあり、そこへ続く道が一番広く、はっきりした道だった。
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分岐から上に向かう旧道・・・ここには「陸軍省所轄地」の標石が多かったが、その先はどこへ続いているのかよくわからなかった。次の機会にして、下へ下った。
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下には、人工的に造られた平坦地が段々になって続いていた。昔の宅地の跡だろうか?それとも陸軍の施設でもあったのか?
国有林境界と思われる広く刈払われた踏み跡を下って行ったら、船見町1番地の家の上に出た。そこからの道を下ったら公会堂の横に出た。
帰宅後に調べていて解ったことだが、この辺りには、も~さんが、古地図を頼りに見つけた薬師山の薬師堂への参拝道があったようだ。もちろん要塞になる前の話である。そのうちにも~さんから詳しい情報をもらって、GPS持参でもう一度歩いてみたいと思っている。