⭕佐屋街道とは
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東海道の宮宿から桑名宿までの「七里の渡し」を陸路で繋ぐ街道である。道は昔からあり、のちに東海道を整備した家康も大阪夏の陣のときに通っている。その後も、海が荒れた時や船酔いに弱い人たちには重要なルートだった。そんな理由から、幕府が直轄し、東海道脇往還として整備されたのは、3代将軍家光のころだという。
途中には、岩塚、万場、神守、佐屋の4つの宿場も整備された。ただし、当初は、佐屋から佐屋川と木曽川を利用した「三里の渡し」もあり、トータルで9里(36km)だったそうだ。
現在は、その部分も橋や陸路となり、36.8kmの行程とのこと。
⭕佐屋街道への挑戦
現在は、宮宿から桑名宿までの間をバスで繋いだり、国道1号を歩いたりする方法もあるが、せっかくなので、東海道を途切れなく歩いて繋げるために、ネット上の記録をもとに、この佐屋街道を自分も歩いてみることにした。
今日と明日は、雨絡みの予報だった。今日のうちに歩けるだけ歩いて、雨の降り方で、今日のゴールと宿を考えることにした。
しかし、朝の7時頃から雨になった。最後の2時間以外は小雨だったので、結局最後まで歩き、1日で完歩してしまった。
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ホテルを出て、地下鉄で伝馬町まで移動し、6:10、東海道と佐屋街道の分岐をスタート。分岐の石柱には「北さや、津しま」と彫られている。
熱田神宮を右に見て、国道19号を北上。金山交差点にも、「左さや、津しま」と彫られた石柱が立っていた。そこを左折して県道を歩く。
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歩道に「佐屋街道 一里塚」と描かれた絵があった。そばに一里塚の石碑もあった。
この辺りで雨が降ってきたが、合羽を着るほどではないので、傘を差して歩いた。
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最初の宿場である岩塚宿には、数軒古い家があった。昔は、ここから庄内川対岸の万場宿までの渡しがあった。
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上を高速道路が通る庄内川の橋を渡る。
この橋へ繋がる道を探すために、GPSを見たら、佐屋街道にも茶色の点線て色付けされていた。東海道脇往還としての扱いなのだろう。お陰で、道探しのエネルギーが必要なくなり?自信をもって効率良く歩くことができた。
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橋を渡って少し回り道をして南へ進むと、秋葉神社があり、その下に万場の渡し跡があった。
岩塚宿の万場宿は近距離なので、1つの宿場と見なされ、半月ずつ人馬の役務をしたという。
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特に宿場の面影はなく、立派な家はこれくらいのものだった。
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やがて、十字路に「七宝焼発祥之地」碑が立っていた。七宝とは、ここの地名で、現在も七宝町だった。
これを見るまでは、七宝とは、七色に光る宝のような焼き物が由来と思っていた。恥ずかしい。
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やがて、神守宿へと入っていく。ここは、万場宿と佐屋宿との距離が離れているので、のちに新しく宿場となったらしい。
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佐屋街道の宿場の中で、もっとも往時を偲ばせる立派な商家や町屋の家並みが続いていた。
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11:00に、津島市街地の入口の大きな和風レストランで、昼食に味噌煮込みうどんを食べた。
佐屋街道の現在一番賑やかな町は津島市だった。昔から津島神社の門前町として栄えたところだ。
その繁華街に差し掛かる手前で、旧街道へと入る。
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すぐに、対になった立派な常夜灯と石の門柱のようなものが立っていた。そこは、昔の津島神宮との分岐だった。しかし、右にはそれらしい道はなかった。
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県道へ合流するところに「佐屋街道址」と彫られた石碑があった。昭和54年に、ここに佐屋街道があって賑わったことを忘れないように建てたとのこと。
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やがて、佐屋宿へと入っていく。佐屋街道でもっとも大きな宿場だったが、本陣などの碑すら見当たらなかった。
この辺りから、雨足が強くなったので、合羽を着た。
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「右さや舟つき場」と彫られた標柱。この辺りが船着き通りと呼ばれたらしい。
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その先に「佐屋三里之渡址」と彫られた石碑もあった。しかし、それらしい川は見当たらなかった。
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このあとも、細い農道のような旧街道が続く。実は佐屋川は、川が浅くなって水路として使われた期間は短く、木曽川までは陸路を行ったようだ。
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このお寺の門が、佐屋宿にあった本陣のものを移設したらしい。
このあと弥富町役場の前から、本降りの雨の中、往復3kmほど無駄足を踏んでしまう。GPSの点線の通り進んだら、方向が違っている。持参した地図を見たら、反対側に進んでいる。慌ててもどったら、なぜか、弥富町役場前のT字路で点線道路が2つに別れていた。間違って進んだ先はどこへ通じてあるのだろう?帰宅後調べてみよう。
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国道1号に出て、まずは、昔は船で越えた木曽川の長い橋を渡る。
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ようやく桑名の地名が出てくる。強い雨の中、ペースを上げる。今度は長良川のもっと長い橋を渡る。この川も昔は船で渡り、桑名の「七里の渡し」に着いた。
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橋を渡り終え、長良川の堤防の上を進む。
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16:10、ちょうど10時間で、雨の「桑名の七里の渡し」に到着。これで、今回の歩き旅のゴールである。
そこから桑名駅までの15分ほどの足取りは軽かった。ずぶ濡れの合羽をリュックに詰めて、JRで名古屋まで移動し、地下鉄に乗り換えて、今朝スタートしたカプセルホテルに18:00にゴール。
風呂に入り、腹ごしらえをして、ブログアップ完了が、21:30だった。目がしょぼしょぼ。その後、ホテルのレストランで完歩祝いな乾杯を上げる。
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東海道の宮宿から桑名宿までの「七里の渡し」を陸路で繋ぐ街道である。道は昔からあり、のちに東海道を整備した家康も大阪夏の陣のときに通っている。その後も、海が荒れた時や船酔いに弱い人たちには重要なルートだった。そんな理由から、幕府が直轄し、東海道脇往還として整備されたのは、3代将軍家光のころだという。
途中には、岩塚、万場、神守、佐屋の4つの宿場も整備された。ただし、当初は、佐屋から佐屋川と木曽川を利用した「三里の渡し」もあり、トータルで9里(36km)だったそうだ。
現在は、その部分も橋や陸路となり、36.8kmの行程とのこと。
⭕佐屋街道への挑戦
現在は、宮宿から桑名宿までの間をバスで繋いだり、国道1号を歩いたりする方法もあるが、せっかくなので、東海道を途切れなく歩いて繋げるために、ネット上の記録をもとに、この佐屋街道を自分も歩いてみることにした。
今日と明日は、雨絡みの予報だった。今日のうちに歩けるだけ歩いて、雨の降り方で、今日のゴールと宿を考えることにした。
しかし、朝の7時頃から雨になった。最後の2時間以外は小雨だったので、結局最後まで歩き、1日で完歩してしまった。
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ホテルを出て、地下鉄で伝馬町まで移動し、6:10、東海道と佐屋街道の分岐をスタート。分岐の石柱には「北さや、津しま」と彫られている。
熱田神宮を右に見て、国道19号を北上。金山交差点にも、「左さや、津しま」と彫られた石柱が立っていた。そこを左折して県道を歩く。
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歩道に「佐屋街道 一里塚」と描かれた絵があった。そばに一里塚の石碑もあった。
この辺りで雨が降ってきたが、合羽を着るほどではないので、傘を差して歩いた。
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最初の宿場である岩塚宿には、数軒古い家があった。昔は、ここから庄内川対岸の万場宿までの渡しがあった。
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上を高速道路が通る庄内川の橋を渡る。
この橋へ繋がる道を探すために、GPSを見たら、佐屋街道にも茶色の点線て色付けされていた。東海道脇往還としての扱いなのだろう。お陰で、道探しのエネルギーが必要なくなり?自信をもって効率良く歩くことができた。
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橋を渡って少し回り道をして南へ進むと、秋葉神社があり、その下に万場の渡し跡があった。
岩塚宿の万場宿は近距離なので、1つの宿場と見なされ、半月ずつ人馬の役務をしたという。
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特に宿場の面影はなく、立派な家はこれくらいのものだった。
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やがて、十字路に「七宝焼発祥之地」碑が立っていた。七宝とは、ここの地名で、現在も七宝町だった。
これを見るまでは、七宝とは、七色に光る宝のような焼き物が由来と思っていた。恥ずかしい。
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やがて、神守宿へと入っていく。ここは、万場宿と佐屋宿との距離が離れているので、のちに新しく宿場となったらしい。
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佐屋街道の宿場の中で、もっとも往時を偲ばせる立派な商家や町屋の家並みが続いていた。
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11:00に、津島市街地の入口の大きな和風レストランで、昼食に味噌煮込みうどんを食べた。
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佐屋街道の現在一番賑やかな町は津島市だった。昔から津島神社の門前町として栄えたところだ。
その繁華街に差し掛かる手前で、旧街道へと入る。
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すぐに、対になった立派な常夜灯と石の門柱のようなものが立っていた。そこは、昔の津島神宮との分岐だった。しかし、右にはそれらしい道はなかった。
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県道へ合流するところに「佐屋街道址」と彫られた石碑があった。昭和54年に、ここに佐屋街道があって賑わったことを忘れないように建てたとのこと。
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やがて、佐屋宿へと入っていく。佐屋街道でもっとも大きな宿場だったが、本陣などの碑すら見当たらなかった。
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「右さや舟つき場」と彫られた標柱。この辺りが船着き通りと呼ばれたらしい。
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その先に「佐屋三里之渡址」と彫られた石碑もあった。しかし、それらしい川は見当たらなかった。
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このあとも、細い農道のような旧街道が続く。実は佐屋川は、川が浅くなって水路として使われた期間は短く、木曽川までは陸路を行ったようだ。
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このあと弥富町役場の前から、本降りの雨の中、往復3kmほど無駄足を踏んでしまう。GPSの点線の通り進んだら、方向が違っている。持参した地図を見たら、反対側に進んでいる。慌ててもどったら、なぜか、弥富町役場前のT字路で点線道路が2つに別れていた。間違って進んだ先はどこへ通じてあるのだろう?帰宅後調べてみよう。
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ようやく桑名の地名が出てくる。強い雨の中、ペースを上げる。今度は長良川のもっと長い橋を渡る。この川も昔は船で渡り、桑名の「七里の渡し」に着いた。
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橋を渡り終え、長良川の堤防の上を進む。
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16:10、ちょうど10時間で、雨の「桑名の七里の渡し」に到着。これで、今回の歩き旅のゴールである。
そこから桑名駅までの15分ほどの足取りは軽かった。ずぶ濡れの合羽をリュックに詰めて、JRで名古屋まで移動し、地下鉄に乗り換えて、今朝スタートしたカプセルホテルに18:00にゴール。
風呂に入り、腹ごしらえをして、ブログアップ完了が、21:30だった。目がしょぼしょぼ。その後、ホテルのレストランで完歩祝いな乾杯を上げる。
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