今日は、明日の羅臼岳登山に備えて、根室市から野付半島に寄って、知床峠を越えて、知床の道の駅まで移動した。
野付半島は、標津町および別海町にある細長い半島である。延長28kmにわたる砂嘴であり、規模としては日本最大である。野付半島・野付湾は、湿地の保全に関するラムサール条約に登録されている。
一面に咲き誇るエゾカンゾウの絨毯
ナラワラ
この旅で初めて見えた国後島
野付半島ネイチヤーセンター
遊歩道を進む。
これまで目にして来た花ばかり。
木道が延びる先の、左は尾岱沼からの観光船の発着場。右はトドワラ。
根元だけが残るトドワラ。以前はもう少し、幹の部分が残っていたような気がする。どんどん朽ちて行くのだろう。
まだ、枯れた幹が残っているところもある。これもいずれは根だけになるのだろう。
観光船の発着場。
発着場の先端から、延びる半島を眺める。
丹頂鶴のつがい
別海町奥行歴史の里
国指定史跡の旧奥行臼駅逓所~明治43年10月にこの地区の世話役であった山崎藤次郎氏を駅逓取扱人として開設された。
廃止となる昭和5年6月まで別海(現在の本別海)・西別(現在の別海市街)・別当賀方面への分岐点にある駅逓所として旅人に利用され、鉄道など未発達なころ、開拓に欠かせない拠点の一つとして、活躍した。
駅逓所とは、交通不便の地に駅舎と人馬等を備えて、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の逓送等に便宜を図るために設置されたもの。全国的には江戸時代の宿駅制度は明治5年に廃止されたが、北海道では独自の駅逓制度として存続し、さまざまな制度改正を経ながら、北海道の開拓と連動して発展を遂げた。
厚床パスで歩いた旧標津線の奥行臼駅~別海町南部に位置する奥行臼(現、奥行)地区は古くから別海市街、別海海岸部、根室市とを結ぶ交通の要所にあたり、奥行地区は奥行臼駅以外に奥行臼駅逓所、別海村営軌道など現在も多くの交通産業史跡が残る地区である。
根室原野の開拓と産業の振興を図るため敷設された標津線:厚床-中標津間は昭和8年12月1日に厚床~西別(別海)間が開通と同時に奥行臼駅は運営が開始され、平成元年に廃線となり、56年の歴史を終えている。ている。この駅舎は開業当時のものである。
別海村営軌道風蓮線奥行臼駅停留所と当時の車輌など~旧標津線への乗換停留所だった。
知床峠を越えて知床道の駅まで
羅臼側は晴れて、羅臼岳がなんとか見えていたが、峠からはガスで覆われて根元しか見えなかった。
それにしても、このような青空は、今回の旅で初めてだった。明日に期待!
これまでに何度もお世話になっている道の駅シリエトク。このあと、登山口まで走って下見をし、ウトロ温泉街の日帰り温泉・夕日台の湯に入ったあとにここで車中泊予定。
ウトロ漁港のそばのオロンコ岩~上まで階段があり、展望台になっている。
この陰の方が急で海面に向かって下りるので、高度感があって怖かった。
ウトロ漁港とウトロ温泉街を眺める。本来であれば、後ろに羅臼岳が見えるはずだが、ガスで見えなかった。