癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「SL函館大沼号」運行開始

2013年07月14日 | 日常生活・つぶやき

 昨日から、「SL函館大沼号」の夏期運転を開始した。国産タンク蒸気機関車C11形がレトロな車両(4両)をけん引する。昔、よく目にしたD51などに比べると、こじんまりとした機関車だ。

 運転は15日までと、20~21日、27日から8月4日まで、函館-森間を1日1往復する。往路の函館発は午前9時。復路の森発は午後1時31分(砂原経由)、函館は同3時25分に到着する。

 家の近くの陸橋から復路の列車を待っていたら、機関車はバック体勢で引っ張ってきた。ちょっと間抜けた感じだが、考えてみたら、今は機関車の向きを変える“転車台”はないから仕方ないか?



 実は、高校時代から27歳まで12年間、函館駅や五稜郭駅まで汽車通をしていた。当時は蒸気機関車で、毎日汽笛を聞いて通ったものだった。夏は窓を開けるので、白いYシャツは襟や袖口がすぐに黒くなったのを思い出す。
  
 特に高校1年から大学3年までは当時の「仁山信号場」(現在の仁山駅)から通っていた。信号場から下りの列車は、登り勾配がきついので、スイッチバックの要領で「加速線」に一旦後退してから、勢いを付けて発車していた。寝過ごして降り損なって、スイッチバックして停まった列車から飛び降りたことが2度ある。友人は、冬に同じことをして、雪で隠れていた標識に急所をぶつけて、しばし気絶していたとか・・・。

 それ以降は七飯駅から通った。家が線路に近かったので、駅までの1kmほどを線路の上を歩いて通った。今なら考えられないことだが、朝、後ろから汽笛を鳴らされて走ったことはしょっちゅうだった。

 蒸気機関車を久しぶりに目にして、40年以上も前のことを懐かしく思い出した。

江差のかもめ島

2013年07月13日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 今日は函館(旧市内のみ)のお盆だ。もともとお盆は旧暦の7月13日だったのだが、函館は新暦になっても7月13日のままだ。いろいろな説はあるが、8月のお盆時期は函館八幡宮のお祭りと重なるので、お盆はそのまま旧暦のままになったという説が有力なようだ。

 お墓参りを終えて、妻の希望で、江差の鴎島へドライブに出掛けた。かつて、かもめ島がまだ弁天島と呼ばれていたころ、天然の良港を築くこの島はニシン漁や北前船交易の舞台で、江差の歴史を支えてきた島でもある。上空から見るとかもめが翼を広げている姿に似ていることから、かもめ島の名前に変わったようだ。

 今は、観光地、海水浴場、キャンプ場、釣り場として賑わっている。


 伝説の瓶子岩と海の上に架かるかもめの散歩道を進む


 南端の岩礁から左の階段を上って上へ


 千畳敷・・・釣り人が見える


 鴎島灯台・・・1889年(明治22年)9月15日に設置


 南端のクズレ鼻を眺める・・・この高台には江戸時代の砲台があった


かもめ島の説明は、下記が詳しい。
http://www.hokkaido-esashi.jp/kankou/kamomejima/top.htm


○今年初の早朝ジョグ
 涼しかったので熟睡して5時に目を覚ました。寒いと感じるくらい爽やかな朝だったので、思わず早朝ジョグに出た。

 しかし、自分にとっては早朝ジョグはどうも調子が上がらない。その理由は、走っているうちに、必ず生理現象で“大”を催すからだ。今日も10分ほどでコンビニへ、さらに折り返し地点の手前で函館魚市場へ・・・・2回もトイレに入ると、走る気持ちも切れてしまう・・・。あとは歩いたり、走ったりで不満足な状態となった。

 自分にとっては、暑さは残るが、夕食前に走って、シャワーを浴びてビール・・・のパターンが一番のようだ。しかし、函館ハーフは申し込んだが、まだ6月に2回、7月に入っても3日前に1度走ったきりだ。まだ10kmを1度もノンストップで走り切れていない。昨年は張り切って走っていて、こちらが煽られていた妻は、今年は体調がイマイチらしく、先日走ったら頭痛を起こしてしまい、それ以来走っていない。 

和紙ちぎり絵展

2013年07月11日 | イベント鑑賞・参加

 美原町のネッツトヨタギャラリーで、昨日から14日まで開催されている「津坂忠 和紙ちぎり絵 18周年記念作品展」を鑑賞してきた。

 津坂氏は、今年で米寿を迎える。若い頃からいろいろお世話になっている同職の先輩である。70歳から始めた和紙ちぎり絵だが、これまでに上野の森美術館で開催される全国展覧会で4回も入選している。

 最近は足も不自由になり、目もかすむことが多くなったので、制作中の来年の全国展へ出品予定のこれまでで一番大きな作品を最後に止めるつもりだという。今回はこれが最初で最後の作品展だという。昔担任した64歳になる教え子たちが搬入から展示まですべて協力してくれたという。

 絵心もまったくなく、こつこつとした地道な細かい作業は全く苦手な自分には、感心する作品ばかりだ。88歳まで続けられる趣味・・・自分も山以外の何かを見つけなくてはと思うのだが・・・?








 なお、今日でようやく今回の道北・道東の山旅の多くの写真と詳しい記録をホームページにアップし終えることができた。興味のある方は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/index.html

ビアパーティ

2013年07月10日 | 日常生活・つぶやき

 昨夜、ホテル法華クラブ函館で開催された「SUMMWR BEER PARTY2013」に、退職仲間11名で参加してきた。テーブルごとに職場や仲間で参加しているようで、300名を越えていた。中に顔見知りがいたり、久しぶりに会った人もいた。


 このパーティの呼び物は、豪華景品が当たるゲーム、ビンゴ、抽選会で、会場が終始盛り上がっている。

 どうも、見渡したところ一番平均年齢の高そうな我がテーブルは、人生の運を使い果たしたメンバーばかりで、なかなか豪華景品が廻ってこない。それでも、5名だけだったが、米、昆布製品の詰め合わせなどが当たった。自分は昨年に引き続き、残念賞の缶ビール2本だけ。

ようやく自分が映ったテレビを観る

2013年07月08日 | 日常生活・つぶやき

 昨日、560km近い一般道路を10時間掛けて阿寒湖から無事に帰宅。疲れて、自分の映ったHBCテレビの羊蹄山の番組を観ただけで、すぐに寝た。

 今朝、改めてゆっくり観たが、みなさんからの電話やメールやコメントなどの通り、あの短い時間の中で、とてもみごとに編集されていて感心した。ナレーションは、HYML(北海道の山メーリングリスト)メンバーで、何度か一緒に飲んだことがあり、今年の札幌白旗山競技場での「HBCうまいっしょ歩くスキー大会」でもお会いした山崎アナウンサーだったこともうれしかった。

 一緒に登り、撮影から取材、編集まで担当したNiさんからも改めてメールをいただいたが、「坂口さんの元気ぶりに、みなさん驚いていたようですよ。坂口さんのお話は、とても良かったと、みなさんおっしゃってました。番組を観ている方も、50代~60代の方が多いのでいい励みになったのではないでしょうか?」とのこと。

 ただし、自分のインタビューの答えが、内容はともかく、しどろもどろの上、函館弁で、口もはっきり開かないで、自分でも非常に聞きづらいと感じた。なんとか字幕(テロップ)に救われた感じだ。しかし、とても良い記念になった。大事な保存版として取っておこうと思う。

 「観たい」という人もいるので、DVDに録画したが、テレビでは再生できるが、自分のパソコンでは観ることができなかった。環境設定が分からないし、コピーの仕方も分からない。自分が出ている部分だけのテレビ画面をカメラの動画で撮影してみた。これはパソコンで観ることはできたが、116MBもあり、メール添付で送ることは不可能だ。なかなか思うようにいかないものだ。どなたか、良い方法があれば教えていただきたい。

 明日提出日の「ほっかいどう山楽紀行」の原稿書きに今日の大半を費やした。次回は「富良野岳・上ホロカメットク山」の予定。今晩から明日に掛けては、山旅中の記録のホームページへのアップ作業に取り組むつもり。


TV画面を妻がスマホで撮影した動画

午前雌阿寒岳、午後「集い」

2013年07月06日 | 登山・旅行
あかん湖リゾートスパ鶴雅ウィングスが会場の「第26回北海道スキー指導者協会の集い釧路大会」の役員打合せが11:30からだったので、朝5:00にスタートして、雌阿寒岳に残っていた湖畔コースから登った。

朝の内は頭上には青空が覗いていたが、周りはガスで覆われて、頂上からの展望はなかった。しかし、下山中に徐々に取れて来て、剣ヶ峰(画像左の岩峰)に登った辺りから少し展望が広がった。

4合目から活火山の様相が現れ、他の2コースに比べてワイルドな感じだった。すっきりした天候のときに再訪したいコースとなった。
頂上はガスで展望はなかったが、上空はときどきガスの切れ間から太陽が顔を出して暖かかった。

花は、メアカンキンバイ、メアカンブスマ、ヒメイヌタデ、イソツツジ、マルバシモツケが多かった。コマクサ(画像)もわずかながら見られた。



○「集い」の講演会
演題「阿寒湖のマリモからマリモの阿寒湖へ」講師 マリモ研究家・若菜勇氏


大懇親会



アトラクションの素人バンドのベンチャーズ演奏
酒はこのホテルで造らせている酒。社長からのご祝儀


紋別~滝上~鴻之舞丸瀬布~薬師山~留辺蘂~北見~津別

2013年07月05日 | 登山・旅行
オホーツク海岸だけは晴れたようで、朝から夏の太陽が照り付けていた。ゆっくり朝を過ごし、まずは、今がサクラバラが見頃という滝上町のハーブガーデンへ(上掲画像)。

山の予定はなかったが、ふと遠軽町の薬師山(376m)を思い出す。この山は、国道沿いに登山口があり、登山道に四国八十八ヶ所巡りの石仏が設置されている霊場の山である。本場の四国遍路経験者としては気になる山ではあった。しかし、1時間ほどで周回できそうな山なので、何かのついでに登ろうと思っていた山である。

その山への近道で滝上から直接丸瀬布へ抜ける丸立峠が不通だった。紋別方向へ戻って、鴻之舞経由の金八峠から丸瀬布へ向かった。そのお陰で、かつて東洋一を誇った鴻之舞金山の産業遺産に触れることができた。

薬師山を下山後、瀬戸瀬山(901m)の林道偵察へ。ちょっと強引に進んで標高700mまで上がることができた。その上に植林地が広がっていたので、登る気はなかったのに、ついその作業道に取り付いてみた。しかし、まもなく濃い笹薮にぶつかる。一等三角点の山なので、微かな踏み跡でもあるのではないかと期待したが、見つからなかった。直線距離で700mほどだが、一人での往復2時間ほどの薮漕ぎは辛い。あっさり断念。いずれその気になったら再トライ?

山中の未舗装の道々を走って生田原へ抜けて留辺蘂へ。最近人気急上昇の「山の水族館」を見て、『Ho』の無料パスポートが利用できる温根湯ホテルへ。

その後、北見へ出て、遅い昼食、買い物、散髪、洗濯などをして、明日の阿寒湖の20km手前の津別の道の駅まで走った。

〈あとは画像で説明〉
初めて目にしたサクラバラ


かつて1万6千人も住んでいた東洋一の規模を誇った金山・鴻之舞金山だが、今残っている建物は唯一大正15年建築の「上藻別駅逓所」のみ。その中は、栄華を極めた鴻之舞金山博物館である。産業遺産としての遺構はあちこちに残っている。



四国八十八ヶ所巡りのできる遠軽の薬師山。1時間で周回できたが、急な登山道(参詣道)で頂上前後は岩場で、遠軽や丸瀬布の市街地が見えた。(詳しい記録は帰宅後ホームページへアップ予定。)



「山の水族館」
国内、道内、世界の淡水魚が楽しく見られる。一番工夫を凝らしている人工の急流の遡上の様子は速すぎてカメラに収められなかった。



温泉はしごドライブ

2013年07月04日 | 登山・旅行
〈枝幸町の千畳岩〉

雨の稚内道の駅で、8時間爆睡。朝の内はのんびり読書。雨は10時には上がった。今日はオホーツク海沿岸を南下。その道中に、道内の旅の月刊誌『Ho』の無料パスポートが料金できる温泉が3ヶ所(枝幸温泉ホテルニュー幸林、歌登温泉・ホテルグリンパーク、雄武温泉・ホテル日の出岬)もあったので、それをはしごしながら、紋別の道の駅まで観光ドライブを楽しんだ。午後からはすっかり晴れ上がって良い天気となった。
枝幸町の神威岬~アイヌの人たちの聖なる場所として崇められた場所らしい。

雄武町のオムサロ原生花園

原生花園のエゾスカシユリ

枝幸町三笠山展望台から市街地を見下ろす

紋別のオホーツク庭園~紋別港建設時の石切場の跡を日本庭園にしたとのこと。お見事!

流水展望台から紋別市街地を見下ろす

紋別カリヨン公園のオブジェ

紋別の夕焼け~明日のこの辺りは晴れ予報

礼文島33kmトレッキング

2013年07月03日 | 登山・旅行
<スタート地点の最北端のスコトン岬>

3回目の礼文島は、念願の最北端スコトン岬から香深フェリーターミナルまでの8時間コース+礼文林道の33kmトレッキングに挑戦。

温泉付き民宿宮島荘の前から6:40のバスに乗るつもりだったが、バスが少し早めに来たようで玄関にいたら通過してしまった。民宿の車でバスを追いかけてくれた。バスは全員トレッカーで結構混んでいた。4時間コースの岬巡りの方が多かった。予定通り、スコトン岬を7:35にスタート。

レブンシオガマ、チシマフウロ、エゾカンゾウ、ハクサンボウフウなどに彩られた斜面を登り下りして、山や丘を越えて岬や海岸を巡った。1kmほど道のない海岸を歩くところもあった。一部生活道路も歩くが、昔から人気のコースで山中の道も整備が行き届いている。出会う人も結構多かった。レブンソウも目にすることができた。

前半とばして8時間コース終点に5時間50分で到着したので、その先の礼文林道へ進んだ。ここでは、15年ぶりのレブンウスユキソウやネムロシオガマとも再会できた。

薄曇りで風が強かったので、それほど汗も掻かなかったが、さすがに下肢の疲れが大きい。こんなに歩いたのは四国遍路以来だ。温泉に入る時間もあり、余裕で17:15の稚内行きのフェリーに乗り込むことができた。

詳しい記録は、帰宅後ホームページにアップするので、ここでは写真だけ。
8時間コース





礼文林道ほか



私が主演のテレビ・・・

2013年07月03日 | 登山・旅行
6/26に羊蹄山で収録したHBCのテレビ番組が昨日放映された。自分はタイミング的にちょうど悪い状態で、観ることができていないのがくやしい。家では録画はしておいたが・・・。

多くの方々から電話やメールやこのブログへのコメントをいただいた。また、取材で同行し撮影から編集まで担当してくださったディレクターからも電話をいただいた。結構評判が良かったらしい。

数多くのコメントへの返事は、携帯からだと大変なので、申し訳ないが、失礼させていただきたい〓。

私同様見られなかった方のために、妻から送られてきたテレビ画面の画像を掲載しておくので、雰囲気だけでもどうぞ!
まず5枚





残り2枚



利尻山8合目まで&テレビ見れず

2013年07月02日 | 登山・旅行
稚内発6:40のフェリーに乗り、利尻山を目指した。低い雲に覆われて山の姿も見えず。風も強い。もしかしたら期待で、強風と濃いガスの中を登る。無理することないので、8合目上の避難小屋まで行って断念し、戻った。

かなり良いペースで、2時間ちょうどで避難小屋到着。中には下りて来た人たちが休んでいた。ほとんどが本州からの百名山巡りの人たちで無理して登ってきたようだ。

着替えをしているときは隣にいた三百名山巡りをしている岐阜の男性と話している内に、「北海道の方で、富士山で三百名山完登をした方のホームページはいつも見ているのですが・・・」と言う。ホームページの名刺を渡したら、「そうそう、これです。感激です」

その方たちに先駆けて下山開始。悪いす!本と和歌山の百名山巡りの方々と一緒に下山。

〓自分が映ったテレビ見れず

利尻から礼文に向かうフェリーに一番先に乗り込んで15:45にテレビのスイッチを入れたら電波が届いてなくて見れず。携帯のワンセグも受信できず。妻から送ってもらったテレビ画面の写真で少しは雰囲気が分かった。

テレビが始まった時刻に、知らせていなかった娘から「何気なくみたら、とらテレビに出ててびっくりした」とメールが入った。

礼文の民宿に入ったら、一緒に羊蹄山に登って撮影してくれたディレクターのNiさんから電話が入った。結構評判が良いらしい。
《坂口一弘》V(^-^)V


利尻山8合目まで&テレビ見れず

2013年07月02日 | 登山・旅行
稚内発6:40のフェリーに乗り、利尻山を目指した。低い雲に覆われて山の姿も見えず。風も強い。もしかしたら期待で、強風と濃いガスの中を登る。無理することないので、8合目上の避難小屋まで行って断念し、戻った。

かなり良いペースで、2時間ちょうどで避難小屋到着。中には下りて来た人たちが休んでいた。ほとんどが本州からの百名山巡りの人たちで無理して登ってきたようだ。

着替えをしているときは隣にいた三百名山巡りをしている岐阜の男性と話している内に、「北海道の方で、富士山で三百名山完登をした方のホームページはいつも見ているのですが・・・」と言う。ホームページの名刺を渡したら、「そうそう、これです。感激です」

その方たちに先駆けて下山開始。悪いす!本と和歌山の百名山巡りの方々と一緒に下山。

〓自分が映ったテレビ見れず

利尻から礼文に向かうフェリーに一番先に乗り込んで15:45にテレビのスイッチを入れたら電波が届いてなくて見れず。携帯のワンセグも受信できず。妻から送ってもらったテレビ画面の写真で少しは雰囲気が分かった。

テレビが始まった時刻に、知らせていなかった娘から「何気なくみたら、とらテレビに出ててびっくりした」とメールが入った。

礼文の民宿に入ったら、一緒に羊蹄山に登って撮影してくれたディレクターのNiさんから電話が入った。結構評判が良いらしい。

稚内付近ウロウロ

2013年07月01日 | 登山・旅行
今日は始発のフェリーで利尻島に渡り、利尻山の予定だった。しかし、夜中から車を揺らす程の風が吹いている。利尻山の山岳天気予報では風速16mとのこと。天気もあまり良くないので、明日に延期し、稚内のんびり過ごすことにした。午前中を中心に、車であちこち見て歩いた
北防波堤ドーム。かつ栄えた樺太への連絡船時代からの遺構

稚内公園の氷雪の門。

九人の乙女の碑。昭和20年8月、旧ソ連軍の侵攻により自ら命を絶った真岡郵便局の女性電話交換手の慰霊碑

ノシャップ岬灯台

宗谷岬の最北端の地の碑と間宮林蔵立像

宗谷丘陵。氷河期に地表の凍結・融解の繰り返しによって形成された周氷河地形

宗谷岬の上に残る明治時代の旧海軍の監視所跡

メグマ沼湿原