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北海道立函館美術館で、2/9~4/7の間、函館出身の有名画家「生誕110年岩船修三展」と同時開催で「水辺のものがたり」が開催されている。
一般は510円だが、65歳以上は無料であるのがうれしい。
岩船修三の略歴は、美術館のサイトから抜粋すると、次のようになっている。
1908(明治31)年、函館随一の繁盛をほこった岩船呉服店の三男として生まれる。国指定の名勝である香雪園(見晴公園・旧岩船氏庭園)は、岩船家の別荘として築造されたもの。
岩船は、函館商業学校(現・北海道函館商業高校)に入学後、美術部「極光画会」で油彩画に取り組む。卒業後は上京し、東京美術学校を受験するも失敗。
同郷の画家・佐野忠吉の紹介により洋画家の青山熊治に師事し、絵の道に進むことを反対していた父からも認められる。1930(昭和5)年には帝展に初入選。
1936年から、フランスに留学し、ピカソやマティス、藤田嗣治らの知遇を得る。しかし、戦争激化のため1939年にやむなく帰国。その後、光風会展を舞台に活動した。
旭川で終戦を迎えた岩船は、全道展の創立に加わり、1946年に函館に戻ってからは、赤光社の再建に尽力するなど、北海道画壇をけん引する存在となった。
1060年代に入ると、独特の色彩感覚を生かした詩情あふれる画風を確立した。1960年代後半から取り組んだアイヌの人々や神話をモティーフにした作品は、多くの人に愛されている。また、1974年には取材でアラスカを訪れてからは、アラスカの雄大な自然をテーマにした作品をたびたび発表している。
本展では、岩船修三の生誕110年を記念し、北海道立函館美術館のコレクションを中心にその画業を回顧している。ヨーロッパで新しい美術思潮に触れたのち、アイヌ・ユーカラの世界へ心を寄せた岩船修三の歩みをが堪能できた。
写真撮影はできないので、北海道立函館美術館のサイトのパンフレットから取り込んだ画像
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岩船修三《森の中の神々》1973(昭和48)年 函館美術館蔵
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同時開催の「水辺のものがたり」は道南を舞台にした流水・湖沼・海・などをテーマにした道南ゆかりの画家や書家の作品が展示されている。
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◎ロビーに展示されている「つるし雛」
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ハコビ・マジカルワークショップ「つるし雛に挑戦!」の講師・山上照子先生の作品
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このつるし雛は、最近北海道でも目に触れる機会が多くなったが、つるし雛が始まったのは、江戸時代といわれている。
その頃、特別裕福ではない一般のお家では、雛人形はとても高価なもので、なかなか手に入らないものだった。しかし、生まれてきた子供の幸せを願う気持ちはみんな一緒。だから、お母さんやおばあちゃん、叔母さんから近所の人たちまで、みんなで少しずつ小さな人形をつくり、持ち寄って「つるし雛」が作られ始めたそうだ。赤ちゃんの大事なお守りとして、とても大切にされたとのこと。
つるし雛は、全体として「衣食住に困らないように」との願いを込めて飾られる。だから、から、細工物として作られる対象はさまざまで、それぞれに異なる意味や云われがある。動物やお花、衣服、遊び道具や野菜など、本当にいろいろなものがある。