ジュゴン掲示板

ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)は日本では沖縄にのみ生息しているジュゴンを守るために活動をしています。

つむぎ平和カフェで知り、語り合い平和の輪を広げよう!

2024年12月14日 | 活動報告
12月8日、西宮のつむぎの家で行われた
”つむぎ平和カフェで知り、語り合い平和の輪を広げよう!
 ・・沖縄うるま市・辺野古・高江を訪れて・・”
というイベントに参加してきました。
つむぎの家は、暮らしを守り、平和の輪を広げようと、
西宮を中心に活動されています。


この日は、11/15-17のじゅごんの里ツアーに参加した3人から、
うるま市勝連辺野古高江について報告させてもらいました。
参加のみなさんは、とても熱心に聴いてくださり、
活発な意見交流もできました

お話の後で、いただいた豚汁、お赤飯、コーヒーもとてもおいしくて、ほっこりしました
つむぎの家は、居心地の良いとても落ち着く場所でした。
また伺いたいです。
ありがとうございました

ZAN

第15回じゅごんの里ツアー3日目 名護東海岸散策

2024年12月04日 | 活動報告
ツアー3日目は、浦島悦子さんの案内で、名護市東海岸の二見、久志、汀間の各区を案内していただきました。

 最初は二見の「二見情話」の歌碑の前で、この歌が作られた歴史を伺いました。
 沖縄中南部の激戦で生き残り、米軍に拘束された住民たちは、北部にトラックや上陸用舟艇で運ばれました。
「二見情話」を作られた、首里出身の照屋朝敏さんらは、辺野古崎に上陸し、険しい坂道を上り下りして二見にたどり着いたとのこと。
 収容所での衛生状態は悪く、食べ物もなく多くの方が栄養失調やマラリアで亡くなったそうです。
「収容所は戦場よりひどかった」という証言もあるそうです。
 二見の人々は、照屋さんたちを温かく向かい入れ、食べ物を分け与えたりして、救いの手を差し伸べました。
半年の収容生活ののち、故郷にかえれることになり、収容されていた方々の要請で、当時の二見村長の照屋さんが作ったのが
、この「二見情話」です。照屋さんは「この歌は平和への願いと二見の人々の命からなる感謝を込めたメッセージ」」と述べておられたそうです。


           二見情話の歌碑の前でお話しする浦島悦子さん

 続いて久志区にある、伊江村民収容所跡記念碑を訪れました。久志の水道浄水場の近くにあり、案内がないと行けない感じでした。
1945年4月16日、米軍は伊江島に上陸。21日には伊江島を占領しました。日本軍は住民を巻き込んで戦闘し、
住民約1500人が死亡したと推定されています。米軍は渡嘉敷島、慶良間島と大浦崎収容地区に住民を送りました。
大浦崎収容所には3200人が送られ、1947年3月まで収容所での暮らしを余儀なくされました。
伊江村民はその後、大浦崎から久志に移動させられました。 食料も乏しく、マラリアで亡くなる方も多かったそうです。
 この碑は1997年に建立されましたが、2017年、収容された村民が暮らした跡地に移転されたそうです。
うっそうとした木々から、収容された村民の声が聞こえてくるようでした


            伊江島村民収容所記念碑の前で

 その後、汀間に移動し、御嶽の由来や、地域の行事などについてお話を聞き、散策を終えました。
沖縄戦、そしてその後を生き抜いた人々の思いが、地域のなかにしっかりと刻まれているのを改めて感じました。  

                                               ☆じゅごん

第15回じゅごんの里ツアー1日目② 勝連分屯地、ホワイトビーチ

2024年11月27日 | 活動報告
『月桃』歌碑を後に、向かったのは勝連城跡あまわりパーク。
勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最期まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利が
住んでいた城として有名だそうです。あまわりパークのあまわりは、阿麻和利のことだったんですね。

ここでは「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局次長の
宮城和之さんにご案内していただきました。
まず、勝連城の歴史や、このあとの予定などを説明していただきました。
今回は、勝連城跡の見学は出来ませんでしたが、いつか訪れてみたくなりました。

その後向かったのは、陸自勝連分屯地

分屯地は県道8号線から、まわりが木に覆われたわき道を進んだ先にあります。


周辺道路からは見え辛い山中にありますが、ここに今年3月第7地対艦ミサイル連隊が設置されました。
ミサイル部隊は宮古島、石垣島、奄美大島そして沖縄島に配備されて、次に与那国にも
配備されようとしています。軍拡はとどまるところを知りません

次は、近くにある平敷屋(へしきや)タキノーへ

タキノーは標高約70mの小さな丘です。
王府時代の和文学者、平敷屋朝敏(へしきや ちょうびん)が、平敷屋の脇地頭(領主)を
務めたときに、水不足に苦しむ農民のためにため池を掘り、その際に掘り出された
土を盛って築かれた丘だということです。平敷屋朝敏は当時王府の実権を握っていた
蔡温を批判し、捕らえられ磔刑に処せられたとのことです。


丘の上にあがると、ホワイトビーチ(海上自衛隊も共同使用している米軍基地)が
見下ろせます。木々に隠れてわかりにくいですが、左側の桟橋が米海軍、右側が米陸軍の桟橋です。
国連軍施設にも指定されているので、カナダ軍、オーストラリア軍なども使用しているそうです


うるま市では、今年石川のゴルフ場跡地への陸上自衛隊訓練場の整備計画を
断念させるという快挙がありました。まず地域住民が反対の声を上げ、
その声がどんどん広がっていった成果です。
10月の衆院選で、沖縄3区(名護市、沖縄市、うるま市など)で、
オール沖縄の屋良ともひろさんが、島尻あい子さん(自民党)に僅差で敗れましたが
(屋良さんは比例で復活当選)、うるま市では24票差で屋良さんの得票が多かったのです。
宮城和之さんが「今まで闘ってきたうるま市民の力だ!」とおっしゃっていました。


そんな闘いの中心にいらした「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局長の
宮城英和さんが、今年9月にご病気で亡くなられました。
宮城和之さんは、英和さんについて
「弁舌爽やか、歌も上手くて、闘いの場を盛り上げるとても素晴らしい人でした。
うるまの闘いだけでなく、島ぐるみの闘い、沖縄にとって貴重な人材を失い
本当に残念無念です」とおっしゃっていました。
英和さんのCDを持参され、歌を聴かせていただいたのですが、
とてもすてきな歌声にしみじみと、しばし聴き入りました。
英和さんを共に追悼することが出来、良い時間を持てました。


粘り強い活動を続けてこられ、これからも続けていかれるうるまの会のみなさんと、
これからも、つながっていきたいと思います。
ありがとうございました

ZAN

第15回じゅごんの里ツアー1日目① 「月桃」歌碑訪問

2024年11月25日 | 活動報告
ジュゴン保護キャンペーンセンターは、2006年以降毎年、辺野古を訪問する
スタディツアー「じゅごんの里ツアー」を実施してきました。
コロナ禍で2020年からツアー開催を見合わせていましたが、
今年5年ぶりに11/15~17の日程で開催することが出来ました
以前参加したことのある方、初参加の方、みんなでツアーを楽しみ、
しっかり学んできました。
ぼちぼち報告を上げていきますので、どうぞご覧ください。

11月15日(金)1日目

那覇空港に集合した後、西原運動公園にある『月桃』歌碑へ。
『月桃』は、6月23日の慰霊の日に沖縄中で歌われる県民歌といえる歌です。
歌碑は本土復帰50周年西原町記念事業として2022年に建立されました。




『月桃』を作詞・作曲したSDCC共同代表の海勢頭豊さんから
沖縄では昔からジュゴン信仰があり、ジュゴンから争わないこと、
絶対平和主義を学んできたことなどのお話しを伺いました。

途中から雨が降り出し、お話の続きはあずま屋の中で。

ジュゴンを守る事は平和を守る事。
辺野古に軍事基地をつくらせず、ジュゴンの海を守ろうという思いを強くしました。

雨は降っていましたが、みんなで元気に『月桃』を歌いました
海勢頭豊さんと『月桃』を歌う@歌碑『月桃』にて2024.11.15@西原町運動公園



平和の祈りが込められたこの歌を歌い継いでいくために、カラオケも設置されています。
ぜひ、みなさんも訪れて歌ってくださいね。

ZAN

7/21 第8回ジュゴンオンラインセミナー報告『辺野古のサンゴ移植は失敗:絶滅危惧種のオキナワハマサンゴは守れなかった』

2024年08月14日 | 活動報告

7月21日に、第8回ジュゴンオンラインセミナー『辺野古のサンゴ移植は失敗:絶滅危惧種のオキナワハマサンゴは守れなかった』を開催しました。
講師は大久保奈弥さん(東京経済大学教授、サンゴを中心とした海洋生物学研究者)です。



”サンゴ移植でサンゴを増やす”というのは、何か良い話のように思われますが、
実際には、サンゴ移植でサンゴは増えず、サンゴ礁生態系は復活しません。
サンゴ礁生態系を移植サンゴで救えることはまずないそうです。
壊されそうなものを防ぐのは難しいのです。


恩納村などでのサンゴ移植後の調査結果です。
1割しか生き残らず、弱い種類は全滅しています。
辺野古でも防衛省が移植したオキナワハマサンゴは強い種類だが全滅しました。
もともと棲んでいた好きな場所、生きやすいところから合わないところに移植されて
しまったのですから。


環境保全措置(環境を守るための防衛省側の約束)での
サンゴの移植を巡る国と県の解釈の違いです。
この文章で、”工事前に必要なのは指導・助言まで”というのは、あまりにも無理があります。
防衛省は移植を盾に工事を進めたいが、移植できる許可が沖縄県から出ないから、
移植しないで工事が出来るようにこのように解釈したということです。
無理やり工事をするときに、お墨付きを与えるのが環境監視等委員会です。




専門家が大丈夫だと言えば、一般の人はそうだと思ってしまいます。
専門家が別の専門家の間違っていることを批判しないと国がおかしくなってくると、
大久保さんはご自身のブログでも、きちんと批判されています。


移植申請を許可しない玉城デニー知事に農林水産相が出した是正指示は違法だとして、
知事が指示の取り消しを求めた裁判で5人の裁判官のうち2人が知事の対応を是認しました。
辺野古サンゴ訴訟、沖縄県の敗訴確定 2人が反対意見
大久保さんも沖縄県の資料を読み込み、裁判に意見書を出されました。
こういった問題で国側につくことがほとんどなのに、ふたりが沖縄県側についたことは大きいとおっしゃいました。

”辺野古側は埋め立てられてしまったけれど、ここまでのプロセスを検証し、
次につなげていく事が大事。あきらめずに大浦湾側の埋め立て阻止につなげていこう。
自分の主張を強くするためにも、浦添のサンゴなどにも目を向けてほしい。
成果を記録し蓄えて、今後に備えていく、あきらめずに共にがんばろう。
あまり悲観的にならず、今ある自然を大切にし、子や孫の世代に残していこう”
との大久保さんの言葉に、希望と元気をいただきました。


大久保さんの、専門的知識に基づいた批判やご意見に励まされ、
サンゴについても興味深く、お話を伺いました。
サンゴについてもっと知りたい方は、大久保さんの著書「サンゴは語る」がおススメです。

このオンラインセミナーは、8/21までアーカイブ視聴の申し込みが出来ます。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/sdcc/e/e4a1746e549ed0138ec9bb015c73282e

8月4日報告会の報告~与那国、石垣、沖縄島へ行ってきました

2024年08月08日 | 活動報告
暑い暑い中、ご参加くださった皆さまありがとうございました
8月4日ドーンセンターで「与那国、石垣、沖縄島へ行ってきました訪問報告会」を開きました

6月20日~25日に5人で行ってきました沖縄旅

石垣島のオヤケアカハチ(1500年代)の銅像前で
“薩摩支配の時代、琉球王府は圧制を施いた。圧政のあるところ必ず抵抗がある
オヤケアカハチの乱は石垣の歴史の中で特筆すべき人民の抵抗であった”(わびあいの里「花は土に咲く」第26号より)
いつの時代も権力に抗う人たちはいたのだと勇気づけられます

まずは与那国島の報告をKさんから

日本最西端の与那国島へ。台湾から110キロ、近い
台湾の花蓮市と姉妹都市で昔から交流が盛んで、今も小中学生の学習交流が行われています
Kさんは、フィリピンと与那国島の織物が似ているのに気づきます
近隣のアジアの国々と交流していたのだなぁとわかります
唄や民話がたくさん残っていて芸能が豊かで
馬が自然の中で自由に自立して暮らしているとても魅力的な島です
人々も自立心旺盛で、住民参加で作り上げた「2005与那国・自立へのビジョン」がすばらしい
そんな島に自衛隊配備が強行され、陸自駐屯地ができ、レーダー施設ができ、空港拡張や軍港建設が計画されています
島の暮らしはどうなっていくのか、、、
軍事化の行く先は、、、
沖縄戦の教訓「軍隊が住民を守らない」「基地のあるところが攻撃される」なのでiす

8月4日、報告会の日をはさんで、7月28日~8月7日まで
陸上自衛隊と米海兵隊の実動訓練が与那国島で実施されました
米兵がレンタカーで島内を走っていたそうです
案内してくださった山田さんたち市民有志は、抗議のスタンディングを続けられました
このような状況が報道されない、知らないうちに日米両軍の一体化が進んでいます、、、

次に石垣島の報告をYさんから

与那国島から飛行機で30分ほど
石垣島でも自衛隊配備の強行、軍事化が続いています
「石垣島の平和と自然を守る市民連絡会」や「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」のみなさんは
粘り強く、行動を続けられています
石垣島では日本軍によってマラリア有病地へ強制移住させられ、多くの人が命を奪われました
八重山マラリア戦犠牲者の慰霊の集いに参加して一緒に慰霊をすることができました
オバーの会の山里節子さんは、展望台から見えるかつてのマラリア有病地と陸自駐屯地をさして
過去の戦争と未来の戦争が見えると話されました
未来の戦争を止めたいです、、、

続いて、勝連半島の報告をNさんから

学校や民家、住宅密集地の近くに陸自勝連分屯地があり強化されています
新しく陸自の訓練場が造られようとしていました
小さな半島に、米軍基地が4つもあります
そのうちのホワイトビーチ軍港は、原子力潜水艦の寄港地として使用されています
返還前は1300発の核ミサイルが配備されていました
返還後、原潜の寄港は増えているそうです
Nさんは、初めて実際に米軍基地の状況を見て、目の前に銃を持った米兵をみて、恐怖を感じたと
読谷村にあるチビチリガマを訪れ、その場に立つと胸が詰まり、言葉にならなかった
おばあたちの戦争は終わっていないという言葉が胸にしみて苦しいと話してくれました


伊江島を初めて訪れたSさん
伊江島は沖縄戦の縮図と言われる
1945年4月米軍が上陸し、住民を巻き込んで戦場となり、多くの命が奪われました
戦後、焦土と化した島で生活がはじまりますが、米軍による銃剣とブルドーザーによる土地接収に抗い
生き延びるために米軍と闘いました
沖縄のガンジーと言われた阿波根昌鴻さんたちは「非暴力平和運動」を貫きました
今も、伊江島の約35%が米軍基地のままです
反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」は、平和運動を考える時、何度も行きたくなる場所です
Sさんは、伊江島は車の通行量も少なく、海は美しく、のどかです。この小さな美しい島に米軍基地があるのは違和感
在日米軍基地の7割が沖縄にあるという現実を突きつけられた思いですと話してくれました

最後に辺野古の報告を

玉城デニー知事が、埋め立ての設計変更を不承認にしても、県民の7割が反対していても
新基地建設の工事は進められています
大浦湾側のサンゴ移植の調査を防衛省がしていました
サンゴの専門家は移植の成功率は極めて低いと話されています
8万4千群体ものサンゴを死滅させてしまうのでしょうか、、、
貴重な自然を壊して、基地を造るなんてほんとに愚かなことです

米軍基地があるということ
自衛隊配備が強化され、軍事化が進められているということ
日米両軍の一体化がどんどん進んでいるということ
今、向き合わなければなりません
また日本が戦争をする国になってしまわないように

5人の報告のあと、参加者のみなさんと感想・意見交流の場を持ちました


「沖縄での急激な軍事化、、、気が重くなるけれど、しなやかにあきらめずに工夫して取り組んでいきましょうね」
「知らないことを知れました。無関心は本当に恐いことね」
「戦争準備は準備のうちに止めなければ」
などの感想がありました

情報発信を続け、できることを続けて行きたいと思っています
またこのような集いも開きたいなと思っています

みなさまありがとうございました

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こちらのブログアップしている報告もどうぞご覧ください
2024・6/20~25 沖縄旅の報告 ①与那国島へ

2024・6/20~25 沖縄旅の報告 ②石垣島へ

2024・6/20~25 沖縄旅の報告 ③勝連半島へ

2024・6/20~25 沖縄旅の報告 ④辺野古・大浦湾へ

2024・6/20~25 沖縄旅の報告 ④終わりに




7/15Don't Kill Concert参加報告

2024年07月17日 | 活動報告
7/15大阪天満橋のドーンセンターで開催されたDon't Kill Concertに参加してきました。


メインはプロのサックス奏者Swing MASAさんとオーケストラのコラボ
Don't Kill Swing MASA Jazz Orchestraの演奏です
弱い者いじめの政治に対する怒りと、抗い続ける決意の強さに、
MASAさんのやさしさやユーモアがまじり合ったトークが心地よかった
そしてMASAさんのサックスの音色はもちろんとびきり
ピアノやオーケストラの皆さんの演奏も素晴らしかったです


着物のリメイクファッションショーもありました
MASAさんや辛淑玉さんもモデルに!


辛淑玉さんの講演は、輪島と珠洲の訪問記。
在日コリアンの方々は、ここでもつらい思いをされているとのこと。
胸が痛みます。


夜明けのさっちゃんズ
1995年につくられたという歌は、環境問題、社会問題が織り込まれていて、
その中の”科学の力で解決できないなら、愛の力を使ってみないか”という意味の歌詞が
とても腑に落ちました。


ロビーは色んなブースでにぎわいました。
ジュゴン保護キャンペーンセンターは署名集めとジュゴングッズ販売のブースを出しました。
自ら署名してくださる人が多かったし、グッズもたくさん売れました
後ろのパネルの新聞は6.23琉球新報の号外です。

MASAさん、スタッフの皆さん、ありがとうございました

ZAN

7/7つむぎピースフェスタに参加してきました

2024年07月10日 | 活動報告
7月7日西宮のくすのき老人いこいの家で開かれたピースフェスタに参加しました。




ジュゴン保護キャンペーンセンターからは、
まず”辺野古の海はHopeSpot希望の海”という7分ほどの動画を観てもらい、
ジュゴンってどんな生き物なのかということと、辺野古の現状について
パワーポイントでお話ししました。
そして、先月沖縄に行ったメンバー5人で「満月まつりで」を歌いました。

辺野古の海はHopeSpot希望の海


満月まつりで/ウークイズ Ver. (辺野古・大浦湾一帯ホープスポット応援ソング)



AKAYジャパン(フィリピンの貧困地域の子どもたちの援助をされている団体)から、
ABAKADAという幼稚園を支援することになった経過や、現状などについてのお話しがありました。
ABAKADAは”どの子も私の子”と、争いのない平和な世界のために取り組んでいます。
ジュゴン保護キャンペーンセンターも2020年に、アバカダを訪問し
ジュゴンや環境、平和を守ろうとつながっています。
上記「辺野古の海はHopeSpot希望の海」のビデオは、ABAKADAで平和教材として
使ってくださっています。

ほかにも、先日平和ツアーで沖縄に行かれた方の報告、
夙川の桜や夾竹桃を切らないでという訴え、
与那国島におばあさんが住んでいるという女性から与那国についてのお話しなど、
色んな方からのお話しがありました。

写真を撮り損ねたのですが、与那国島のきれいな写真、フィリピンABAKADAの写真、
辺野古の海の写真なども展示されていました。
物販も色々あって、私が購入したまちかどパン屋さんのパンもとてもおいしかったです。

地域で色んなつながりが生まれるステキなフェスタでした。

ZAN

アフガニスタンから女性が来日しました 「アフガニスタンのいま」

2024年06月18日 | 活動報告
RAWA(アフガニスタン女性革命協会)の方が来日され、
RAWAと連帯する会結成20周年記念のスピーキングツアー
”ターリバーンの再支配から早3年 
アフガニスタンのいま 
女性と子どもたち、そして私たち”が
全国で開催されています。
6月15日(土)に大阪PLP会館で開催された講演会に参加してきました。

RAWA(アフガニスタン女性革命協会)とは、
アフガニスタンの首都カーブルで1977年にカーブル大学の学生だったミーナーにより設立された独立系フェミニスト団体。
女性への抑圧の強い社会の中で、結成当初から政教分離・民主主義・平和・女性の人権等を目的とした活動を行ってきた。
ソ連侵攻・内戦・第一次ターリバーン支配・米英軍の空襲とカルザイ大統領からガニー大統領に至る前政権の時代、そして2021年の第2時ターリバーン支配のもとでも一貫してその活動を続けてきた(当日資料より)


そして2004年から、RAWAの活動に連帯し、支援を続けてきたのが
RAWAと連帯する会(RAWA連)です。
最初に共同代表の桐生さんから、ご挨拶がありました。
アフガニスタンでは、RAWAの活動は弾圧されているので、顔写真の撮影はNGです。
アフガニスタンから日本への渡航はかなりの困難をきわめたそうです。
本当に、よく日本に来てくださったと、感謝の気持ちでいっぱいです。


RAWA連共同代表で憲法学者の清末愛砂さんは、
日本国憲法前文をひいて、国際連帯を訴えられました。
「日本国民は、恒久の平和を念願し・・・われらは、全世界の国民が
ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

清末さんの著書「平和に生きる権利は国境を超える
ぜひお読みください。


会場はイスが足りなくなり立ち見の人が出るほどいっぱいになりました。
シャミームさんから、
旧ソ連、米国の軍事介入により国が疲弊したこと、
カルザイ政権にも多くの問題があったが、2021年以降のタリバーンが
より大胆に女性への制限を強めてきたことなどを伺いました。
少女は7年生以上の教育を受けられず、
女性はほとんどの職業に付けず、家の中に囲い込まれ、
強制婚など、個人の自由に対する制限が課せられ、自己決定権を奪われ、
より良い生活に対する希望や夢を奪われています。

その状況下でRAWAは、ひるむことなく、子どもたちの教育、
秘密の学校(女性たちが学ぶ場)、食料配布、地震被害の救援などの活動を続けています。
平和は闘うことで勝ち取ることが出来る、
自由、社会正義、民主主義を求めて闘い続けるというシャミームさんの
言葉はとても力強かったです。

こういう状況に対して、私たちに出来ることは?という会場からの問いに
シャミールさんは、
1.こういう集会に参加し、現状を知ること
2.RAWAのHPの記事を日本語に訳して広げること
3.メデイアが報道するように働きかけること
の3つを上げられました。


終了後、シャミームさんに、ジュゴングッズをプレゼントし感謝の気持ちを伝えました。
平和な世界を築くために連帯しましょう


思いがあふれてハグ

2001年の米国のアフガニスタン侵攻は、人権や女性の権利のためという美名のもとに
行われたが、実際は米国の利益のための言い訳だったとシャミームさん。
米国を支援した日本政府も無関係ではありません。
アフガンの状況には日本の私たちにも原因があります。
日本政府に対して声を上げ、アフガニスタンの人々と連帯していきましょう。

RAWA連がRAWAメンバーを招聘してくださることで、
貴重なお話しを聴くことが出来ました。
ありがとうございました。

スピーキングツアーは継続中です。
6/21名古屋、6/22室蘭、6/23東京、そして6/24は参議院会館で院内集会があります。
詳しくはRAWA連のHPをご覧ください。

ZAN

5/12ピースフェスタinおおさか2024参加報告

2024年05月17日 | 活動報告
5月12日、大阪生野区のいくのパーク(御幸森小学校跡)で開催された
ピースフェスタinおおさか2024に参加しました。




元校庭だったところにステージと観覧席、まわりにブースが並びました。
食べ物・飲み物販売もあり、みなさんくつろぎながらステージ音楽を鑑賞。
ご近所の家族連れもたくさん来られて、子ども向けの遊びが出来るブースでは、
子どもたちも楽しんでいました。




ステージ盛り上がりました


各団体からのアピールもありました。

廊下には、辺野古の民宿「クッション」から取り寄せた写真が展示されていました。

辺野古・大浦湾のサンゴや生き物たち


ミサイル基地が配備された宮古島

石垣島


ジュゴングッズも、ブースシェアしたAKAY(フィリピンの子供たちを支援するプロジェクト)
のグッズも大人気
署名もたくさん集まりました
ジュゴンが大好きになって、何度もブースに来てくれる人もいてHappyでした。

ZAN