今回の文化財調査の対象になっている大又(ウフマタ)遺跡について、
名護博さんのホームページ 沖縄の神歌と考古学で明かす日本古代史の真実
に詳しい記述があります。
以下、一部転載
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辺野古のV字滑走路予定地の真下にある大又遺跡は、原初ヤマト国家成立の謎を解
くのに重要な遺跡であると思われる。科学的な調査、発掘・保存に向けた運動が必要であろう。
おざなりの調査でお茶を濁し、そこに強化された軍事施設を造るということは、2000年以上にわたる日本列島の平和思想の伝統をドブに捨てるに等しい。
原初ヤマト国家成立の地、奈良県に最も多く存在する遺物(鍬形石など)は、沖縄の海岸に棲む巻き貝由来のものであることは考古学上の定説である。
日本の皇室の起源のそのまた起源は、辺野古を含む沖縄の海岸とリーフを含む海にあることは次第に明らかになってきている。赤椀を携えて沖縄に来た弥生中期の本土人、その大半が渡来系の人々であったことは、九州・山口にある遺跡が示唆しており、倭国、すなわち後の日本という国は、大陸・朝鮮半島から流れてきた人々と在来の縄文人たちとの共生をめざした平和思想から生まれたものであったことを示唆する。その母体は沖縄であった、ということが出来る。そのことを証明し、裏付ける最も良好な考古学的遺物は、沖縄島の海岸に由来するゴホウラなどの巻き貝とそれに由来する遺物(または直弧文などのデザイン)である。辺野古の大又遺跡は、その全体を証明する最も良好な史跡の一つであろう。
辺野古の海岸と海は、原初ヤマトの成立を説明するための聖地にこそふさわしい場所というべきである。
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転載おわり
☆じゅごん
名護博さんのホームページ 沖縄の神歌と考古学で明かす日本古代史の真実
に詳しい記述があります。
以下、一部転載
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辺野古のV字滑走路予定地の真下にある大又遺跡は、原初ヤマト国家成立の謎を解
くのに重要な遺跡であると思われる。科学的な調査、発掘・保存に向けた運動が必要であろう。
おざなりの調査でお茶を濁し、そこに強化された軍事施設を造るということは、2000年以上にわたる日本列島の平和思想の伝統をドブに捨てるに等しい。
原初ヤマト国家成立の地、奈良県に最も多く存在する遺物(鍬形石など)は、沖縄の海岸に棲む巻き貝由来のものであることは考古学上の定説である。
日本の皇室の起源のそのまた起源は、辺野古を含む沖縄の海岸とリーフを含む海にあることは次第に明らかになってきている。赤椀を携えて沖縄に来た弥生中期の本土人、その大半が渡来系の人々であったことは、九州・山口にある遺跡が示唆しており、倭国、すなわち後の日本という国は、大陸・朝鮮半島から流れてきた人々と在来の縄文人たちとの共生をめざした平和思想から生まれたものであったことを示唆する。その母体は沖縄であった、ということが出来る。そのことを証明し、裏付ける最も良好な考古学的遺物は、沖縄島の海岸に由来するゴホウラなどの巻き貝とそれに由来する遺物(または直弧文などのデザイン)である。辺野古の大又遺跡は、その全体を証明する最も良好な史跡の一つであろう。
辺野古の海岸と海は、原初ヤマトの成立を説明するための聖地にこそふさわしい場所というべきである。
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転載おわり
☆じゅごん