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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

神戸市の小学校で起きた教職員間「いじめ」の問題について

2019-10-06 23:26:46 | 受験・学校

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201910/0012761354.shtml

例の教職員間「いじめ」の神戸の小学校の件(神戸新聞の上記ネット配信記事等々を参照してください)。

マスコミ報道を受けてのツイッターやフェイスブック等のネット上での発言を見る限り、「この小学校のその後の教育活動をどうやって再建するか?」にあまり関心を寄せる人がいないことが、私にとって最も気がかり。

私の身近な人びとですらその状態であれば、世間一般ではなおさら、そうなのでしょう。

でも、いま、私はこの「学校の(教育活動の)再建」ということに関して、何か具体的なこと出てこないかな~とか。自分に手伝えることはないかな~とか。そういうことばかりを考えています。

なにしろ、これから先もその小学校に子どもが通い、保護者や地域住民がかかわり、そして人事異動や処分があるにせよ、その学校に今後も勤務する教職員が居るわけですから。

この人たちの暮らし、仕事、これからどうするんですかね?

こんな感じで、大きな事件発生後の学校の再建、それをどうするかについてきっちり議論をして、再建プランをつくって、実施していく。また、その前提で、何が解決しなければいけない課題かを検証し、明らかにしていく。

そういう学校の再建に向けての作業こそ、今はいちばん、大事なのでは?

と同時に、その学校の再建に向けての作業をすすめながら、並行的に加害教員の更生にかかわる話、被害にあった教員のサポートにかかわる話をしていく必要もあるでしょう。

少なくとも私は、そういう「現実的」な対応の話が知りたいし、あるいは、学校の再建作業につながるような話を聴きたいし、知りたいし、考えたいですね。

逆にいうと、それ以外のネット上の発言及びその前提となっているマスコミ報道等々については、少なくとも私から見たら「どうでもいい話」でしかありません。

子どものあいだでの「いじめ」の問題でも、他の学校関連の問題でもそうなのですが、何かとマスコミ報道をうけて「あいつを懲らしめろ」みたいな雰囲気がSNS上で盛り上がり、その盛り上がった雰囲気の沈静化に学校や教育行政が追われるその結果、本来なすべき教育(学)的な諸課題の解決がおろそかになることを、私は最も危惧します。


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