できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

人びとの「負の感情」を動員する「惨事便乗型」教育改革という発想(神戸の学校で起きていることを考えるために)

2019-10-12 18:01:07 | 受験・学校

いま、例の神戸市須磨区の学校で起きた教職員間「いじめ」の問題を、こんな感じで、約35年くらいの歴史のなかに位置付けて考えてみます。以下に書く内容は2日くらい前にフェイスブックに書いたことですが、文章の内容に手を加えて、こちらにも書きこみます。

まず、1980年代の臨教審以来約35年、主要な日本の教育改革の前には必ずといっていいほど、たとえばいじめ自死や青少年非行・重大犯罪などの「惨事」がマスメディアを通じて広く語られ、それに便乗するかのように改革が行われてきました。

それこそ…。

・1980年代の臨教審の頃=東京都中野区でのいじめ自死事件、アイドル歌手の自死、校内暴力等々。(たとえばいじめ対策として「徳育の強化」「教育相談体制の充実」「警察等の関係機関との連携」などが言われ始めたのも、この頃です)。

・1990年代半ば~後半の中教審「心の教育」答申の頃=中学生いじめ自死、援助交際、神戸市須磨区の連続児童殺傷事件等々。(少年の重大事件を契機に、少年法改正(厳罰化傾向)が強まったのもこの時期ですね。また、神戸は阪神淡路大震災の復興の途上だったこと。そのこともお忘れなく。そういえばスクールカウンセラー制度の導入もこの頃で、被災した子どものこころのケアなる言葉が流行したのもこの時期です。深刻な虐待ケースが報道され、児童虐待防止法制定に向けて動き出したのも、たしかこの時期ではないかと…)

・2000年代後半の教育再生会議+教育基本法改正の頃=小中学生のいじめ自死等々。(このときも、教育再生会議で、いじめ対応に問題があった教職員への懲戒処分に関する提案がありました。また、この頃からスクールソーシャルワーカーを各地で導入する動きもはじまりましたね)

・2012年の年末以後の教育再生実行会議の動き=大津中2いじめ自死事件、桜宮高校事件等々。(この頃から教育行政に関する首長の権限が強化されました。また、今度は学校に入る弁護士=スクールロイヤーについての議論もはじまりましたね)

ざっと、こんな感じです。

マスメディアの報道を通じて子どもや若者が亡くなるような悲しい出来事に人々が落ち込んだり、あるいは重大犯罪の発生に対して社会全体が「こんなこと許してなるものか!」という怒りの声に満ちて、人々が冷静な判断力を失っている間に、さまざまな諸改革をさっと導入して、通してしまう…。

私はこれを「惨事便乗型」教育改革と呼んできました。

もしかしたら、これは教育版のショック・ドクトリンと言っていいかもしれません。

どんな教育改革も、それを支持する人々の声がなければ、政府としても導入することはできません。

なので、子どもや若者が亡くなるような悲惨な出来事が起きたとき、マスメディアの報道などを通じて「こんなこと許してなるものか!」をいう世論が喚起される。そのときに、それを「追い風」のようにして、さまざまな教育改革をやってしまおう…という思惑を政府関係者が持ったとしても、私としては不思議ではありません。いわば、人々の「負の感情」を自らの施策への「支持」として「動員」する…ということ。政府サイドにそういうことを思いつく人々がいても、まあ、無理はないだろう…ということです。

また、実際に何か改善策を打とうとする姿勢を見せなければ、「こんなこと許してなるものか!」と煽られた世論は、今度は矢のようにつきささるかたちで、文部科学省などの政府関係者のところに向かいます。だからこそ、「何か手を打たなければ…」と、政府関係者が焦って動こうとすることも、私としては不思議ではありません。

ただ、問題は、人びとの「負の感情」を動員し、「惨事便乗型」教育改革として出されたさまざまな改革提案と、それにもとづいて行われた政策的・実践的な取り組みが、はたして本当に「効果的」なものだったのか、ということ。もしかしたら、この約35年間、「惨事便乗型」教育改革をやりたくなったら、その都度一度立ち止まって、自分の「負の感情」を見つめ直して、じっくりと何が必要なとりくみかを検証したほうがよかったのではないか、ということです。そして今も、そういう時期なのかもしれないのです。

それこそ、「惨事便乗型」の教育改革や、教育版のショック・ドクトリンで、日本の公教育の何がよくなったのでしょうか? それでよくなっていたら、今ごろこんな状況ではないなぁって思ったりもします。むしろ、いじくればいじくるほど悪くなっていった約35年かもしれません。

なので、もうそろそろ、臨教審以来の約35年の「総括」をする時期だなあって、あらためて最近、思うようになりました。

また、ここから先、何か子どもや若者が亡くなるような悲惨な出来事があって、マスメディアの報道を通じて「こんなこと許してなるものか!」と世論が煽られたときほど、冷静な調査・検証をしてほしいと思っています。

当然ですが、これは今回の神戸での一件のように、教職員が被害を受けるような悲惨な出来事に対しても同様です。

ちなみに「教育版ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型」教育改革を大阪でやったら…。学テ順位で「なんだこのざまぁ」というあの知事や、桜宮高校事件でのあの市長(=知事と同一人物)のような動きになるのかと思います。

また、大津中2いじめ自死事件から「いじめ防止対策推進法」をつくってきたあの流れも、「教育版ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型」教育改革といってよいかもしれません。

そして、その「教育版ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型」教育改革を、今度は神戸で実験的にやろうとしているのかもしれませんね。

たとえば、政令市で教員給与費負担などが重くなってきたところでは、なんらかの理由で行政側が「信賞必罰」みたいなことを言って、ある教員を優遇し、ある教員の給与を下げたり、首切りをしたりする。そういうことをやりたいのではないかと。その「信賞必罰」システム導入にチャレンジテストの結果をもってくれば大阪で、いじめ対応をもってくれば神戸で…ということなのかもしれません。

もしもこれから、ある政治勢力が神戸で「首長主導の教育改革」なるものをやりたがる発言をし始めたら…。おそらく、今回は子どもではなく教職員が被害を受けたケースですが、この教職員間「いじめ」という「惨事」に便乗して、何か「信賞必罰」的な教員の処遇を導入するとか、そういうことを狙っているのではないか…と思ったほうがいいように、少なくとも私は感じました。

なお、この「教育版ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型」教育改革のような政治的策動に対して、たとえば「教育(学校)は病んでいる」的な議論(教育病理論)や「オルタナティブな教育(学校を)」的な議論は、その政治的策動を直接・間接的にアシストすることはあっても、この策動そのものを批判的に捉えて対抗することはむずかしいでしょうね。

むしろ「教育病理論」や「オルタナティブな教育(学校)を」的な議論を部分的にうまくとりこんで、自らの支持基盤のひとつに組み込むように、「教育版ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型」教育改革は動いてくると予想されます。なにしろ「学校はこのままではダメだ…」という感情を、この「教育病理論」も「オルタナティブな教育(学校)を」的な議論も、部分的には共有していますので。

そして、この「惨事便乗型」教育改革や「教育版ショック・ドクトリン」を批判的に捉えて対抗してためにまず必要なことは、「冷静になること」です。

どうしてもマスメディアの報道に触れると、怒りを中心とした「負の感情」に自分がまきこまれ、煽られてしまうことになります。

でも、人々の「負の感情の動員」こそが、この「惨事便乗型」教育改革や「教育版ショック・ドクトリン」のひとつの特徴です。

その動員された「負の感情」で何かがマヒしている間に、本来の問題とはまったく関係のない政策が導入されたり、やらなくてもいい余計な教育改革が行われる恐れが高いわけです。

だから、その自分のなかに芽生えた「負の感情」自体を適切にコントロールして、その落ち着きどころをどこに持って行くかを考えていくところから、「惨事便乗型」教育改革の動きにまきこまれない自分をつくり…。そのまきこまれない自分の目でもう一度、課題を整理し直すということが先決になります。

先ほど<「学校はこのままではダメだ…」という感情を、この「教育病理論」も「オルタナティブな教育(学校)を」的な議論も、部分的には共有しています>と書きましたが、こうした議論を続けてきた人々は、その部分的に共有している部分から、「負の感情」がとても浸透しやすい状態にある…とも考えられます。

以上で、ひとまずこの内容での記事、終わります。


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やっと10月6日(日)放送分のプリキュアを録画で見ました。

2019-10-12 17:23:42 | プリキュア話

台風接近のために今日の予定がすべてキャンセルとなりました。そのためにようやく10月6日(日)の分のプリキュアを、録画で見ることができました。さっそく、コメントをしておきます。

さて、今回のプリキュアは、このところ何年かに一度は登場する「生徒会選挙ネタ」の回でした。また、今年もまたプリキュアのなかから誰かが立候補するんですが、最終的には別の生徒を応援して選挙が終わる、というパターンでした(この最後は誰か別の生徒を応援して…というパターンは、「魔法つかいプリキュア」でもありました)。

具体的なストーリー展開ですが…。

まず、まどか(キュアセレーヌ)は中3、もうすぐ生徒会長引退。前会長が次の会長を指名するのが慣例でったので、まどかは「誰かあとを引き継ぐ人は?」と、今の役員に声をかけます。でも、誰も手があがりません。

一方、ひかる(キュアスター)はプリキュアたちとの話のなかで、他の星の中学生と交流したいといいはじめます。そこで、「その発想力を活かさないか」といって、まどかはひかるに「生徒会長にならないか?」と誘います。

そして、他のプリキュアに説得されて、ひかるは生徒会長選挙に立候補します。また、選挙ポスターはマンガ家の母に描いてもらいます。そんなひかるの選挙を、ララ(キュアミルキー)がまるで秘書のようにつきそって、応援します。

ひかるは「宇宙規模できらやば~な学校にしたい」と訴えるのですが、他の生徒から少しあきれられた目で見られます。そこで、まどかがどういう生徒会長だったかを他の生徒に聴き、「いつも一歩先を見ている」「最高の先輩」等々の声を聴いて、そのマネをしようとします。

そんなひかるの様子を見て、ひかるの祖母は「好きなことに夢中になっている?」「夢中になっているときの話は、聴いているこちらも楽しい」「がんばるばかりでは心配」と伝えます。また、妖精フワは「選挙ばかりであそんでくれないからつまらない!」と言います。そして、まどかはエレナ(キュアソレイユ)に対して、「もっと、ひかるらしくやってほしい」と伝えます。

他方で、まどかが「誰かあとを引き継ぐ人は?」というときには手をあげなかった現役員・姫ノ城桜子も立候補することに。桜子は風紀の徹底、お茶会の開催、桜子による桜子のための桜子の生徒会・・・と、一見「なに、これ?」というような主張をします。

ただ、ある男子生徒が「姫ノ城って面白い。毎日遅くまで学校に残っている。「姫ノ城さんって自分が目立ちたいだけ・・・」と思っていたひかるは、偶然、桜子の落としたメモを見付けます。そこには「お茶会で気軽な会話を。生徒が話せる中学校に」と。また、桜子が毎日遅くまで残って、学校の校舎の壊れそうなところなどを点検していたこともわかります。

一方、桜子自身はひかるに人気が集まる様子を見て、かなりつらい思いをしています。廊下に貼られていたひかるのポスターを見て、それを破こうとした桜子のところに、プリキュアたちの敵・カッパードが現れます。そこへ5人のプリキュアが集まり、変身してカッパードとたたかいます。

桜子のゆがんだイマジネーションは強いので、それを吸収してつくりだすカッパードの「黒い桜吹雪」での攻撃は、かなりプリキュアを追いつめます。そんなカッパードに対して、変身後のキュアスターは「いまは(桜子の気持ちが)少しだけわかる。もっと桜子のことを知りたい。私のことも知ってほしい。わかりあうために。きらやば~なものがそこから生まれる」と、カッパードにきっぱりと言い切ります。

するとそこから、大きなイマジネーション、すごいパワーが生まれます。そのパワーを使って、あらためて5人のプリキュアと妖精フワの合体技をくりだし、カッパードを撃退します「いまのいったい、なんだったのか?」と一言いいのこすカッパードと、キュアスターの大きなイマジネーションの力に驚く12星座のプリンセスの姿も挿入されます。どうやら、このプリキュアたちの成長から生まれる大きなエネルギーが、これからの物語の鍵になりそうです。

そして、生徒会長選挙の投票前の最終演説。ここでなんと、ひかるは「全力で、姫ノ城桜子さんを応援する。桜子さんは・・・」とほめていく。その姿を、まどかは「ひかるらしくてステキ」とほめます。そのあとひかるは「結局、自分はまどかのあとを追いかけていただけ」と言い、生徒会長になるために桜子が夢中になってがんばっていた姿を認めたわけですね。ラストの場面では、当選して泣く桜子をそっとだきしめるまどかの姿や、ひかるは桜子から「観星中(=プリキュアたちの通う中学校)の銀河に」と言われたりする姿が描かれます(桜子は自称「観星中の金星」だそうで…)。

あと、10月19日から劇場版映画公開のために、エンディングの動画が映画での歌とダンスに変わりました。映画の公開期間中はこちらの動画になるのでは? また、次回予告ではユニ(キュアコスモ)が再び怪盗ブルーキャットになる話のようですね。



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最近読んだ本を紹介(2965冊目~2983冊目)~もうすぐ3000冊到達~

2019-10-12 10:39:02 | 本と雑誌

「ブログ」というものを書き始めたのが、たしか2004年の8月のこと。娘が生まれる直前でしたね。

そこから自分が読んだ本の冊数を数えたり、著者名やタイトルだけでもと思って、読んだ本を紹介したり…。

そんなブログでの活動をはじめてきました。

あれから15年、うちの娘も中学3年生。そして、その間に読んだ本が、もうすぐ3000冊(つまり年200冊ペース)に到達します。

今回も自分が読んだ本、タイトルと著者名程度ですが、紹介します。主に9月中に読んだ本ですね。

2965冊目:藤原彰『中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場』岩波現代文庫、2019年

2966冊目:金田諦應『傾聴のコツ』三笠書房(知的生きかた文庫)、2019年

2967冊目:玉置妙憂『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア』光文社新書、2019年

2968冊目:大村英昭『日本人の心の習慣 鎮めの文化論』NHK出版(NHKライブラリー)、1997年

2969冊目:堀内進之介『善意という暴力』幻冬舎新書、2019年

2970冊目:マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン、斎藤幸平編『未来への大分岐』集英社新書、2019年

2971冊目:澤地久枝『昭和とわたし』文春新書、2019年

2972冊目:小川洋『地方大学再生 生き残る大学の条件』朝日新書、2019年

2973冊目:小針誠『アクティブラーニング 学校教育の理想と現実』講談社現代新書、2018年

2974冊目:藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018年

2975冊目:鎌田浩毅『やりなおし高校地学―地球と宇宙をまるごと理解する』ちくま新書、2019年

2976冊目:藤井非三四『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』集英社新書、2008年

2977冊目:溝口敦・鈴木智彦『教養としてのヤクザ』小学館新書、2019年

2978冊目:小田部羊一(聞き手・藤田健次)『マンガ映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』講談社、2019年

2979冊目:川崎昌平『無意味のススメ』春秋社、2019年

2980冊目:釈徹宗『死では終わらない物語について書こうと思う』文藝春秋、2015年

2981冊目:釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』朝日新聞出版、2017年

2982冊目:安井孝『地産地消と学校給食 有機農業と食育のまちづくり』コモンズ、2010年

2983冊目:宮口幸治『教室の困っている発達障害をもつ子どもの理解と認知的アプローチ 非行少年の支援から学ぶ学校支援』明石書店、2017年


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