http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809110029.html (朝日新聞関西版、9月11日配信記事。「猛反発は「教員の代弁者」 橋下知事が教委事務局を酷評」)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809100091.html (朝日新聞関西版、9月11日配信記事。「橋下知事発「学力調査の結果、公表せよ」 揺れる教委」)
http://www.asahi.com/politics/update/0909/OSK200809090027.html (朝日新聞関西版、9月9日配信記事。「橋下知事の重なる過激発言、与党からも「行きすぎだ」」)
http://www.asahi.com/politics/update/0908/OSK200809080049.html (朝日新聞関西版、9月8日配信記事。「橋下知事「自主的に公表しないと予算つけぬ」 学力調査」)
昨日、我が家に届いた電子メールのなかに、今日の夕方6時から寝屋川市で開かれるあるイベントの案内がありました。これは、大阪教組委員長で府労連委員長という方が、「橋下財政改革・教育改革に異議あり!」というテーマで講演をするというもの。
この案内と、この数日の全国学力調査の結果をめぐって、「公表しないと予算つけぬ」という脅しをかけてまで、橋下大阪府知事がかなり強い口調で府教委や市町村教委に対して、調査結果の「公表」をせまってる流れとを、あえてつなげて考えてみます。参考までに、一連の新聞報道を、朝日新聞のネット配信記事から出しておきます。
そうすると、どういうことが見えてくるのか。うがった見方かもしれませんが、「これって要するに、『子どもの学力をどう向上させるか?』という議論のようにみえて、実は、府知事が府教委・市町村教委に『知事にしたがうのか否か』という『踏み絵』をふませている」ということであり、「その先には、府知事の改革に対する『抵抗勢力』である、教職員組合への攻撃が意図されている」という姿が浮かび上がってきます。
あるいは、「安上がりで、効率よい学力向上策」を、さまざまなプレッシャーをかけて府教委や市町村教委に作らせることや、「これを機会に、教育委員会や学校への財源カットをはかりたい」ということを意図しているのではないか、という見方もできます。一連の文化施設や青少年施設の統廃合という流れから見ても、「まずは社会教育・生涯学習部門から入って、目指すは教育委員会の縮小、解体かな?」ということを思う人がいても、おかしくありません。
そして、「そもそも、なんのために学力調査の結果を公表しなければならないと考えるのか?」という、より本質的な議論がスポッと抜け落ちていて、「いますぐ公表するか、しないか」という二者択一の話になっているのは、なぜなんでしょうかね?
また、もっというと、「なんのための全国学力調査なのか? 1960年代には全国的な廃止運動によっていったん取りやめたものなのに」とか、「ただ単に今のカリキュラムに対する子どもたちの理解度を調べ、今後のカリキュラム改革に役立てるのであれば、一部の学校を抜き出して、サンプル調査をするだけでは、どうしてダメなのか?」とか、そういう本質的な議論もできるんですけど・・・・。(そこをやりだすと、「そもそも、国の全国学力調査自体、予算と人員、時間のムダかもしれない」という話までいきつくかもしれませんが)
要するに、この学力調査の結果公表をめぐる大阪府下の問題というのは、「改革派知事VS抵抗勢力」という図式を、府知事のタレント性というのか、パフォーマンスというのか、マスメディアを通じた過激な発言などを通じて描き出して、自らに対する府民や世論の支持を調達しようという動きなのかな、という風にしか、私には思えないんですよね。もちろん、うがった見方かもしれないのですが。
しかし、「収入が他の世帯と比べて少ないとか、何らかの事情で生活困難な課題をかかえている家庭の子どもほど、学校での学習活動についていくのがしんどくなる傾向が見られる」というのが、これまで教育学や社会学などの研究で得られた知見です。
とするならば、財政難等いろんな事情があるにせよ、今後大阪府や府下各市町村が教育予算や子ども家庭福祉に関する予算をカットすればするほど、生活困難な課題をかかえている家庭の子どもたちの学業不振傾向は強まるのではないでしょうか。逆に、ほんとうに学力向上を求めるのであれば、教育予算や子ども家庭福祉にかかる予算は、大阪府や府下各市町村は、他の部門の予算をカットしてでも、優先的にまわしてこなければいけません。
また、有名な教育実践者・教育研究者を府の教育委員に登用して「学力向上」といっても、その人たちの立てたプランを実施することのできる予算と人員配置、それこそ現場教職員の「ゆとり」「柔軟性」が確保されていなければ、「計画倒れ」に終わるかもしれません。
また、今、府知事が教育委員に呼びたいという人だとか、教育分野で特別顧問に招いた人が、これまでどんな取組みをしてきた人なのか。あるいは、その人たちの学校改革や授業改革の構想というのは、すでに大阪府下の各市町村教委や学校レベルで行われてきた取組みとどこで共通し、どこでちがっているのか。その検討作業も行わなければ、「本当にこの人たちのプランで、大阪の学校は変わるの?」という疑問に答えきれないように思うのですが。
こんな風に、府知事がマスコミ等に対して過激な言葉をつかって、あるいは、有名人を教育委員に招くとかいって、教育や学校の問題について積極的に語っているからといって、それが本当に大阪府の教育や子ども施策の向上につながるのかどうかは、もう少し冷静に検討しなければいけないことのように思います。
少なくともこれからは、一連の府知事のマスコミ等での過激発言について、それを面白がって喜んで見るのではなく、「これって、何かのためのパフォーマンスじゃないか?」と思って、「一歩、引いたところで検討してみる」ということが必要ではないかな、と思います。
と同時に、府知事の発言やパフォーマンスを連日、ニュースや新聞などで流すことは大事なのですが、それをただ単に「こうでした」と流すのではなく、もう少し多面的に考察できるように工夫した報道を求めたいですね。新聞記事などを見ている限り、このところはわりと、その傾向が出てきているようには思いますが。
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