このブログを見ている人は、たとえば神戸の教員間いじめ問題に関するブログ記事などを読んで、私が学校や教育行政のあり方に対して、なにかと厳しい態度で臨んでいると思われていることかと思います。また、このブログを読んで、たとえば神戸市教委の上層部、さらには市長などに対して、厳しい批判的な意見を述べていることに対して、「よく言ってくれた」と思っている読者もいるのではないかと思います。
ただ、私は一方で学校や教育行政に対して厳しい意見も言いますが・・・。同時に、学校や教育行政がなにか変わろうとしている「小さな兆し」も見過ごしてはいけないと思っています。それは、神戸の教育界についても同じです。
たとえば、次の記事です。この記事は毎日新聞のもので、神戸市垂水区の中学校でおきたいじめの重大事態再調査の「その後」に関する記事です。私の印象ではこの間、毎日新聞は他の新聞と比べて、神戸の教育界で起きた諸問題を冷静に伝えようとしている感じがしています。この記事でもそうですね。
神戸いじめ和解・遺族の思い 防止策実践、切に願う /兵庫 (2020年2月26日、毎日新聞神戸版)
https://mainichi.jp/articles/20200226/ddl/k28/040/246000c
中3いじめ自殺、和解へ 神戸市が解決金2000万円 (2020年2月26日、毎日新聞東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20200226/ddm/012/040/095000c
この2つの記事からわかること、いじめの重大事態対応を見守りつづけてきた私にとっては、きわめて重要です。と申しますのも、「現行のいじめ防止対策推進法のもとでも、調査―再調査というプロセスをきちんとふんで、遺族と行政との対話がすすめば、少なくとも行政を相手とした訴訟には至らない」ということ。「その先例がひとつ、あの神戸市でできた」ということなんですよね。
もちろん、再調査委員会の報告書に盛り込まれた数々の提言を、今後、どういうプロセスで神戸市及び神戸市教委が実施していくのか。そこは当然、問われることになります。
でも、これについても、加古川市教委が現在行っているようなプロセス(教育行政が再発防止のプランをつくって実施し、外部の評価委員会が点検・検証する)を使うということ。そのことも、私の耳には入ってきています。
この「再発防止策の実施」という点についても、少なくとも「調査(再調査)委員会の報告書が出たあと、それはどこか宙に浮いたものになってしまって、あとはなにもしない」というような他の自治体のケースとは、やはり「あの神戸市、一線を画している」ということになります。
ここで少し「いじめ防止対策推進法」の改正問題に関連して言えば・・・。私は前々から「法改正論議の前に、現行法の解釈と運用のあり方や、現行法にもとづいて学校現場や教委レベルで具体的に誰が、何をすべきなのか、具体的な事例を積み上げて議論をするべきではないか?」と思ってきました(もともとこの法律の制定自体にも疑問はありましたが、その点はいったん脇に置くとして)。
神戸市垂水区の中学校でのいじめの重大事態についても、確かに再調査を必要とするようなメモ隠蔽問題等々、事態発生後からの神戸市教委や当該の学校、そして最初の調査委員会の対応には、少なくとも遺族側から見て問題が多々ありました。
ですが、その後、再調査が行われ、報告書が去年の春に提出されました。そして今は再発防止策の実施に向けて着々と取り組みがすすむとともに、上記の新聞記事によりますと、遺族と学校関係者、他の子どもの保護者との間で、このような取組みもおこなわれていたようです。
「再調査委の報告後、当時の娘の担任や校長などと面談をし、話をする機会を与えてもらった。加害生徒とされた生徒の保護者の一部とも面談し、一部の方からは謝罪の言葉もいただいた。それぞれの立場で教訓を今後に生かしていただければと願う。」
いかがでしょうか? 「教員間いじめ」の起きた学校とは当然、ちがいますが、このような遺族と当時の教職員・管理職や、いじめていた生徒とその保護者との「対話」を促し、謝罪の機会をつくるところまでもっていったのも、神戸市内の公立学校の取り組みですよ。
一方に問題の多い学校もありますが、他方で「神戸の学校には、ここまでのことをやっていける可能性もある」ということです。
そして、「いじめ防止対策推進法」もいまの法律の枠組みのなかで、その解釈と運用次第では「ここまでのことができる」余地があるわけです。
いま、各地でいじめの重大事態をめぐって、遺族や被害にあった子ども・保護者と学校・教育行政が対立したり、場合によれば訴訟にまで発展する事態があって・・・。それゆえ「法改正」で「学校や教委の対応に枠をはめ、できなければ厳罰を」「加害におよんだ子どもにも厳罰を」という流れがあるようですが。でも、その前に、いまの法律の枠内で「対話」や「関係修復」を行うことを前提にして、もっとそのノウハウを積み重ねて、理論と実践を豊かにしていくような道筋もあるように思うのですが。
ちなみに、前にも書きましたが、私はこの神戸市垂水区のいじめの重大事態再調査について、再調査委員会運営のあり方についてのアドバイス(レクチャー)というかたちでかかわりました。このとき、私は「亡くなった子どもの記憶」を核にして「学校コミュニティを再生する」ことを目指した調査をしてほしい、という話をしました。また、そのときの話の趣旨に近いことを、最近出版した『「いじめ防止対策」と子どもの権利』(かもがわ出版、2020年)に書きました(いつも調査(再調査)委員会レクチャーで話をしていることなので、当然ですが)。
再調査委員会の報告書提出後も、たとえば2019年度の神戸市教委の指導主事対象のいじめ防止研修や、管理職(教頭職)対象の危機対応研修などにも「講師」のかたちでかかわりました。
なので、神戸市教委のなかにも、神戸の学校現場にも、少しずつ「このままではいけない。なにか変えたい」と思う人たちがいることを知っています。
また、学校現場の教職員のあいだからも、たとえば地元教組のみなさんを中心に、いま「なにか変えたい」と動きはじめている人が出始めていることも知っています。
そして、一部の保護者や地元の住民のあいだからも「なにか、できることはないか?」と動きはじめている人が出始めていることも知っています。
市議さんたちのなかにも、「なにか、いま、学校や教委を変えるために動きたい」と思っている人がいることも知っています。
こういう「いま、神戸の学校や教委を変えたい」と思う人々の動きは、たとえば新聞やテレビの報道内容、あるいはSNSの動きを追っているだけでは、なかなか目につきません。地元・神戸を歩き、いろんな人に出会ったり、逆にいろんな人たちに声をかけてもらったり、メールをいただいたり・・・ということがあって、はじめてわかることです。
私としては、神戸の教育界はもちろん、大阪・京都・阪神間ほかの兵庫県内、そして主に近畿圏を中心に、こういう「小さな変化の兆し」を見逃さず、その変化の兆しを大事に、大事に育てていく活動に取り組みたいなと思います。
そして、このような「小さな変化の兆し」を見逃さないためにも、実は「世間が大きく騒いでいること」や、その大騒ぎのなかで生じた「マイナスの感情の渦」から、適切に距離をとること。「あの人たちはけしからん!」とボルテージをあげている人々の流れに時には背を向けて、できるだけクールに、クールに状況を読み解くこと。そのことを今後も大事にしていきたいな、と思います。