以下の内容は、今日、フェイスブックに書いたことに加筆修正をして転載したものです。以下のことは、日曜日に告示された西宮市長選挙・市議補欠選挙について、私が思うことです。と同時に、今の日本の政治(国政および地方政界)の諸問題や、政治関連のマスコミ報道の抱えている諸問題、そして、その問題だらけの構造を支えてしまう有権者の政治意識のあり方について、私が今、感じていることでもあります。
<以下、ブログに書いた内容の転載=加筆修正済み>
どこの新聞とも雑誌とも、あるいはテレビとも言わないけど…。
ある陣営の選挙対策のような感じで、地元・西宮の首長選挙をまるで「国盗り合戦ゲーム」のような感覚で報道されるのは、ほんとうに嫌やなあ。
そういう報道見ると、「ここに細々と暮らしている住民、おるんやで」「国盗り合戦とちがうねん。アホな首長が来たら、自分らの暮らしがダメにされるねん」と言いたくなる。
それと、西宮に限らないけど、大阪や神戸といった大都市近郊のベッドタウンって、「朝から通勤通学で大都市圏に出かけていって、夜は寝に帰るだけ」なので、「地元の自治体行政がなにしているのか、よくわかっていない」有権者住民って、かなり多そうな気がします。
なにしろ市役所に行くのは「なにか証明書とりにいく程度」とか、「市議さんの学習会にいくなんて、めったにない」「地元の知り合いがほとんどいない」とか。そういう住民も多そうです。PTA活動とか町内会に入ったりすると、少しその状態はマシになると思うんですけど、それも「めんどくさい」と思う方多いですしね、最近。
こういう方々にとっては、地元の政治・経済の動きを知る情報源は、新聞や雑誌、テレビなどのマスコミとか、ネット界の情報かと。そこで「国盗り合戦ゲーム」のような話ばかり聴かされると、自治体行政にとって、あんまりいい結果でないような気がしますね。
それにくらべたら…。たとえば、校区を毎日通学かばんもって歩いている子どもとか、近所の商店街やスーパーで買い物している女性や高齢者。あるいは、地域のケア施設などに杖ついて通っている高齢者や、車いすで通っている障害のある人たち。「よちよち歩く乳幼児といっしょに歩いている保護者さんたち」とか、「歩くのが大変な人につきそっているご家族」とか、「ベビーカーの子どもや車いすに乗った人といっしょに歩いている方」等々が、いちばん「この街のこと」をよく見てそうです。あと、ゴミ収集車が通ったあとのちらかったゴミを掃除しているような、地元の人たちとかも、よ~くこの街のことを見ているように思います。
こういう人たち=私は「歩く速度で街で暮らしている人々」のほうが、西宮を含む自治体行政の課題について、「よくわかっている」ような気がするんですよね。
だから、いま行われている西宮市議補選ついても、市長選挙についても、この「歩く速度で街で暮らしている人々」の感覚がわかりそうな政治家とか、その人々の目線で物事を考えられそうな政治家。こういう人を推したいと思います。
それ以外の人々。たとえば「国盗り合戦ゲーム」感覚で選挙やっている人々とか、「自治体をまるでどこかの営利企業と同じように考えていて、そのリストラしか考えてない」ような人々については、「お呼びでない」し、たとえ当選してもぼろくそに言い続けるつもりです。
また、「お呼びでない」という点では、「マッチョなおっさん政治家」も、ベッドタウンの首長や市議にはふさわしくないなあって思います。「歩く速度で街で暮らしている人々」の目線や感覚に全く立てそうな感覚ない感じがするので…。
<以上で転載終了=加筆修正済み>