「人々が特定の人種グループや公務員への反感を基盤にアイデンティティを形成し、それらのグループこそ不平不満の主な原因だと定義するよう勧められた場合、政治はこれらをターゲットとして焦点を絞り、ほかの問題をないがしろにするだろう。」
コリン・クラウチ(山口二郎監修・近藤隆文訳)『ポスト・デモクラシー 格差拡大の政策を生む政治構造』(青灯社、2007年)、p.179からの引用。
さて、この引用にあるような指摘を、この数年間の大阪市政をめぐる問題にあてはめた場合、どんな構図が見えるだろうか? マスメディアを使って、市民の世論をあおることを通じて、さかんに公務員の不祥事をオモテに出すことで、大阪市の市政改革は何を隠蔽したのだろうか? それでほんとうに、大阪市民の暮らしはよくなったのだろうか?
もうそろそろ、そういう冷静な議論が、大阪市の市政改革に対しても、必要な時期がやってきているように思われる。